仏教のお話

03-2-2-2 妙法蓮華経方便品第二 / 2

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ダルマ太郎 2023/09/09 (土) 16:44:22 修正

略開三顕一

法華経の説法は、方便品から始まります。序品では無量義処三昧に入っているために言葉は発していません。三昧とは、サマーディ samādhi の訳であり、「まとめる」、「心を整える」、「意図的な熟考」、「完全な吸収」などの意味があります。瞑想によって深い精神集中に入った状態のことです。

方便品の最初に釈尊は、三昧から覚めて舎利弗に説法をしました。

爾の時に世尊、三昧より安詳として起って、舎利弗に告げたまわく。諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり。所以は何ん、仏曾て百千万億無数の諸仏に親近し、尽くして諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞えたまえり。甚深未曾有の法を成就して、宜しきに随って説きたもう所意趣解り難し。

舎利弗、吾成仏してより已来、種々の因縁・種々の譬喩をもって、広く言教を演べ、無数の方便をもって、衆生を引導して諸の著を離れしむ。所以は何ん、如来は方便・知見波羅蜜皆已に具足せり。

舎利弗、如来の知見は広大深遠なり。無量・無碍・力・無所畏・禅定・解脱・三昧あって深く無際に入り、一切未曾有の法を成就せり。

舎利弗、如来は能く種々に分別し巧に諸法を説き言辞柔軟にして、衆の心を悦可せしむ。舎利弗、要を取って之を言わば、無量無辺未曾有の法を、仏悉く成就したまえり。

止みなん、舎利弗、復説くべからず。所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。

というのが、方便品の最初のところです。

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