☆塩尻・風待茶房
山木さんデビュー50周年記念日ということで、風薫る五月の特急あずさに乗って、久しぶりの風待茶房へ。
♪電車は走る~ 山合いを縫って~ の歌詞の通りの風景を眺めながら、心躍りました。
ということで、いつもは関東南部限定で書かせていただいてますライブ報告の、長野県出張版です。
「50年目をここで迎えられるっていうのは、本当に幸せなことですね。
歌ってる本人じゃなくて、創った本人で『白い冬』やってみたいと思います。(拍手)
学生ん時創った歌なんですが、51年前くらいに創った歌なんですが、それでこういうことになるとは思っていない。
友だちの詞にメロディーをちょこっと付けて、デビュー曲になったわけで。 デビューって意味がわかってない。
『白い冬』が入り込んで来て、生活をすべて変えるわけですね。
エレキが入って、ドラムが入って。 市民会館てやったことないじゃないですか、アマチュア時代。
それに合わせるっていうね。
24才、いい意味で大人ですからね。 将来どうすればいいのよ。 でも、それが良かったんですね。 感謝してます。
やっぱりスタートで人間決まるじゃないかと。 そういう意味でラッキー。 お客さんのおかげで。
50年ていうのは、一言では言い尽くせない。 そういうことに携わって来たっていうのは、幸せだなって。
詞を創ってメロディーを乗せる。 末永く愛してもらえる歌を創る。」
『しだれ柳に九月の雨』
「ひとりになってから創った歌でありまして。 ふきのとう時代に創ってたら、もっと皆さんの耳に残って。
ひとりになって、地味な活動ずっと続けて、もう32年。」
『春雷』
「この歌は、29才だったと思います。 札幌戻ったわけです。
東京の暮らし6年やって、おふくろが癌になってあと3か月だって、兄から連絡もらって。
親の死に目に会えないなんて、もうこんなことはやってられないなと思って、引っ越したわけです。
アレンジが、瀬尾一三さんなんですがね。 あーやっぱりこういうアレンジなんだなって。
ジャーンジャジャジャンて。 もう少し・・・そんなに派手にしなくてもって。」
「ふきのとうやって来ましたーってできたのは、嬉しかったですね。 自分の中での思い出に浸ってさ。
いいんだわさ。 趣味としてはすごくいいんです。 1回きりの人生だからさ、面白おかしく生きて行きます。」
「ふきのとうやめて、ひとりになって。 それまで紙のファイルでやってましたが、パソコンにして。
当時のパソコンは、1時間もたない。 148,500円。 これが一番安くて、それでも重さは3キロあって。
ふきのとう時代の名簿をもとに、山木倶楽部を立ち上げたわけですよ。 《病は気から》
気持ちっていうのは、どこから来るんだろう。」
「デビューの時、何をやってたのかなって、全然記憶にないんですよ。
『白い冬』の視聴盤? 見本盤みたいのもらって、六本木にあった森田荘で、ふたりで初めて針を落とす。
これが、我らの初めてのシングル盤『白い冬』か。
大家さんが後ろからこっちを覗いて『あらいい歌ね、これ、あなたたちの歌? 売れるかもしれないね。』
B面の『夕暮れの街』は『いいけど、乙女チックで甘ったるいわね。』(笑)
木の実ナナが住んでたって、自慢なんですよ。(笑)
今、六本木は六本木ヒルズ、そこに飲み込まれてしまいましてね。 坂もなくなりまして。」
『昨日故郷へ帰る夢を見た』
「この頃はまだ、当然父親も母親も元気で。 音楽だけの夢を見て、世の中のこともよくわかってなかった。
学生気分が抜けなくて。」
「明日は伊那っていうところでやりますが。」
客席「いーなー。」(笑)
「先に言われてしまいましたがね。(笑) 明後日は、甲府の桜座劇場。 配信もありますからね、行かれない人は。」
「50年目のデビュー記念日をここで行えたこと、非常に感謝します。 ありがとうございました。」大きな拍手。