彼女は珈琲を口に含んだ。
喫茶店の窓からの日に照らされ、彼女の真珠の様に輝く綺麗な黒髪が微かに揺れる。僕はついそれに見惚れてしまって彼女を凝視してしまう。
「どうしたの?」
彼女が艶やかな唇を開く。僕は急に声がかかったので、驚いて思わず体を大きくびくつかせた。
「ごめん、集中していたのね」
彼女は珈琲に濡れた唇で優しく僕に微笑みかけた。彼女に気を使わせたのが情けなくて肩を竦める。
僕は彼女に良いところを見せたかった。だから勇気をだして、彼女をお洒落な喫茶店に誘ってみたまでは良いが、しかし、そう簡単に上手くはいかず、いざ対面すると緊張して自分には会話する心の余裕もなく珈琲と時間だけが少しずつ減っていく。珈琲もいつもは砂糖をたっぷり入れて飲むのに格好をつけるため、今日は角砂糖を一つも入れていない。
僕は緊張を紛らわすために珈琲に口をつけた。
しかし、いつの間にか、カップの中はもう空になっており、珈琲の茶色い染みだけが残っていた。
「すみません、もう一杯珈琲ください」
財布の中身のことなんて考えず、僕はもう一杯珈琲を頼む。少し時間が経つと髭をたくわえたマスターが珈琲を机に置き、ぺこりと頭を下げて帰っていく。ふと、彼女の方に目をやるとマスターが置いていった僕の珈琲をじっと見つめていた。
「欲しいの?」
「いえ、さっきの珈琲よりも色が濃いなと思って」
彼女は長い髪を邪魔そうに耳にかけた。
マスターが少し濃いめに作ったのだろう。僕は先程より苦い珈琲を一口含むと、飲み込むと同時に彼女が唇を開いた。
「よいコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い……フランスの政治家の言葉よ」
彼女は真っ黒な瞳をこちらに向け自慢気ににやりと笑った。その言葉を聞き、僕は即座に珈琲にたっぷりと砂糖をいれ、それをゴクリと一口味見する。
「そういう意味の甘さじゃないと思うんだけれど」
彼女の口角が上がり、「ふふっ」と笑った。
僕はあまりの甘さに少し咳き込み、彼女に釣られて笑った。僕は我慢して甘い珈琲をグッと飲み込み終える。
「さて、そろそろ帰りましょうか」
彼女は綺麗な姿勢で立ち上がり、財布を取り出し、レジでお金を払おうとする。僕は慌ててそれを制止し、ポケットから財布を取り出した。
「僕が払うから!」
「本当?ありがとう」
僕は鼻息を荒くしてレジの前に立ち、店員さんに会計をお願いした。
「千五百円です」
珈琲で千五百円は学生にとってはそこそこきつい。僕は財布からなけなしの金をレジに置いた。
現実は、珈琲の様に甘くはいかないようだった。
やっぱコーヒーより紅茶だな