名前なし
2020/06/20 (土) 12:16:04
10dbd@a41c0
1940年あたりの独軍主力戦車のⅢ号、Ⅳ号は傾斜装甲をそう意識してないけど同時期のsdkf222系や231系はバリバリ傾斜装甲取り入れてるのはどうして?
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ベースとなるフレームと機関に被せるにあたって最小限の装甲重量で車内容積を大きくするため、斜めのラインを多用せざるを得なかっただけで防御性能を求めたものではない。(結果的には避弾経始を得てるけどあの時代どこの国の装甲車も似たようなもの)
ちな当時のドイツ戦車が避弾経始を意識してないのは簡単に言えば上層部が傾斜装甲に懐疑的だったから
昼飯の角度はマニュアルに載せてたのにか
ティーガーIの製造(コンセプトは1937からだけど最終決定は42年)もそのマニュアルもT-34ショック(41年6月の出来事)の後だからね、それ以前の3号4号の頃は傾斜装甲に懐疑的だったのかもね。
ソ連軍に教育されるまではドイツの戦車設計ははっきり言って大したことない。相手がフランスやポーランドだから気にならんけど戦術面もそんなに先進的じゃないし
ああすまん、三号や四号の時の話
ちなみに3号、4号の傾斜が少ないのはラウ博士という人が10度程度の傾斜装甲が内部容積をあまり減らさずに防御力を向上できると考えた為。当初からドイツも傾斜装甲について理解してたけど、それ以上に内部容積を減らしてでも傾斜を付けるべきなのかというように疑問を抱いていた。
車体前面を傾斜させると、車体全長が長くなる=重くなるってのもあったんじゃないかな 独軍戦車はRF車で変速機のメンテナンスを考えると砲塔がより後ろに寄るから当然エンジンなども後ろに移動せざるを得ないでしょ
車体前面下部を変速機とくっつけてそのまま取り外せるM4と同じ方式にすれば解決出来なくはないけど、今度は防御力に不安が出るし