Wroclawは文化的には混在しているのかもしれないが、建築様式的にはゴシック?バロック?調の所謂ヨーロッパ的な街並みで統一されていた。中央駅前に活気があり市電の路線が網の目のように張り巡らされていた、街中を流れる川の中州が緑豊かな公園になっていた等が個人的なポイントと合致した。
ポーランドでは空港や社食を含めどこで何を食べてもそれなりの品質が保たれている印象がある。それは社会主義時代に安い食事を提供していたMilk barという安食堂が健在なのと関係があるように思う。社会主義時代からの外食インフラが発展的に運用されているという点で。この手の安食堂は旧社会主義国中至る所にあったらしいが、現存しているのはポーランドとロシアのスタローバヤ及びロシア人が多く住んでいるカザフスタンくらい。
一般的に第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻がきっかけとされているが、事実上引き金となったのはナチスドイツへのチェコのズデーデン地方の割譲を、イギリスのチェンバレン首相らがミュンヘン会議にて容認した事だと思う。それになぞらえてウクライナ紛争の停戦条件としてプーチンにロシアの占領地を容認してしまうと、第三次世界大戦の幕開けになると警鐘を鳴らす人もいるが、それはどうかな。
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Wroctlawの建物と緑豊かな公園は、大戦中に建物や街並みが徹底的に破壊され、その後に再建されたから綺麗に統一されていると言うことかもしれないとか思った。そう言ったパターンがドイツなんかでは多かったと思うので。
もし、昔の者が残っていたら、それはそれで素晴らしい。
ポーランドには、安価な食堂が完備していたと言うことは、社会主義時代に、共働きが普及していたからであろうか。北方の地域は、食文化があまり発達せず、寒い時に保存のきくジャガイモやソーセージのような食材のあり合わせ料理が中心と言う偏見があるが、どうなんだろう。
チャーチルの著書、第二次世界大戦にミュンヘン会談に出席したチェンバレンをボロクソにけなす箇所があったのを覚えている。確か、不誠実だとか書いてあった記憶がある。何が不誠実だか忘れていたので、ネットで調べたら、国際連盟の常任理事国であったイギリスやフランスが、国際連盟の規約に反して、加盟国であるチェコスロバキアの領土を同国の了解を得ずに、大国主導でドイツに譲ったと言うのが不誠実だと言うのであろう。
【このチェンバレンの平和主義──国際法や人権といった原理を損なってでも平和を最優先するという意味での──こそがその後の第二次世界大戦を招いたと主張したのが、アメリカの歴史家アーサー・ウォルドロンだ。彼はそれを「チェンバレンの罠」と呼んでいる。】
というのが、ウクライナ戦争で、ロシアと融和策を取ることはチェンバレンの罠にはまることだ、と主張する人々の論拠であろう。
これも第二次世界大戦の起源をヴェルサイユ条約に求める考えからすると、少し近視眼的な気もする。
第二次世界大戦の起源をヴェルサイユ条約とする考えは、特に、クレマンソー外相を全権代表としたフランスの国民感情からは受け入れがたいであろうが、大戦後に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を作り、経済の協力体制を構築したと言うことから、指導者層は、何が原因だったか分かっていたはずだ。
テイラーの著書にもあったのを覚えているが、第一次大戦後、膨大な賠償金をドイツに課す一方で、大戦後すぐに、20年もすれば、ドイツの兵役に就ける男子の人口がフランスのそれを大きく上回るとの予測が出来ていたのであるから、リターンマッチが起きるのは、その時点で既定路線だったと言えよう。
ヒトラーが出て来て第二次世界大戦を起こしたと、ヒトラーとナチスを悪者にするのは、死人に口なしで都合が良いのかもしれないが、反面、歴史から学んでいないとも言える。
また、現在では、ナチスが悪者だとの評価は固まっているが、第二次世界大戦が始まるまでは、欧米諸国でそんなに評判は悪くなかった。有名人だと、自動車のフォードモーターズのフォード氏が、ナチスに多額の献金や支援をしていたし、フランスでもシャネルはナチスの協力者であった。そして、ケネディ大統領の父が駐英大使を務めていた時も、ナチスは良くやっている、との発言が残っている。
さらには、大西洋横断で有名なリンドバーグ氏もナチスのシンパだったと言われている。(ちなみにリンドバーグ氏は、茨城県の予科練があった海軍航空隊の基地にも戦前、訪問している。)
さらには、オリンピックの灯をギリシアから運ぶと言うのは、現代では恒例の儀式であるが、これは、ナチスドイツ、宣伝相ゲッペルスの始めた演出である。この時、後にドイツ軍がギリシアに侵攻するときの下見も兼ねていたと言われている。
ロシアのウクライナ侵攻も、ポーランドをNATOに組み入れたあたりから、遠因が発生していると思う。これは、クリントン大統領が、ポーランド系アメリカ人の票を意識して行ったと言われているが、当時、プーチンは、冷戦が終わり、「いつロシアはNATOに入れるのか」と聞いていたくらいなので、裏切られた思いであろう。
一方で、ミュンヘン会議は、大きな転換点だったと思うし、ここが第二次世界大戦の引き金と言うのは正しいとは思う。早い話がヒトラーをつけあがらせたわけだから。
同様にクリミア半島を併合したロシアに何も出来なかったオバマ大統領の無能さ、天安門事件の後、天皇陛下の中国訪問を推し進めた日本政府、どれもチェンバレン首相の融和政策と同様、批判されるべきだと思う。