西フランク王国と言う神聖ローマ帝国の東側がドイツの起源であろうが、諸侯が分裂し国内統一が遅れていた中で、ベルリンを中心とした小さな地域がプロシアと呼ばれ、後にドイツを統一していったのだろう。その時、エルベ川の東側の小さな国だったが、第二次大戦後は、国土の大半がエルベ川の西側となり、共産主義の軍隊がエルベ川付近まで迫ってきたのは、NATOの結束の精神的支柱になったと思う。一度、誰かの講演で聞いたが、ドイツに住んでいると、ロシアの核ミサイルがすぐに飛んできてもおかしくないという恐怖感が常にある、とのことだった。理屈から言えば、日本も同じことを感じてもおかしくないのではあるが。
1800年と言えば、ポーランドの第二回の分割が終わったころで、ワルシャワはその時、プロシアの最東端だったのだろう。ワルシャワの少し東側までロシアの領土が来たことで脅威が迫ったと世界史の教科書にあるが、上記の通り、第二次大戦後は、ポーランドがまるまるワルシャワ条約機構の構成国になったのだから、その比ではない。
そして、現在は、逆にワルシャワの東100キロ以上のポーランド国境までNATOが迫っているのは、プーチンにしてみれば脅威と感じるのであろう。
ロシアとドイツによるポーランドの分割と言うのは、世界史の教科書だと1793年の第二次分割までしかないが、1939年の第二次世界大戦勃発時をなぜ第三次ポーランド分割と言わないのであろうか。あれは、第三次ポーランド分割ではないか。
思うに、第二次世界大戦の起源をソ連のポーランド侵攻にも求めると言うのが、まだ歴史家の間では、少数意見だからであろう。当時のナチスは、障碍者やユダヤ人の大量殺戮と言った狂気じみたことを国ぐるみで行った故、第二次世界大戦の全ての責任を負わされている感があり、テイラーの「第二次世界大戦の起源」(※)なども、傍流意見である。
ところで、ポーランドとウクライナと言うのは、元の中国北部アムール川周辺、朝鮮半島と地政学的に同じ立ち位置なのかもしれない。ロシアとその他の大国の勢力圏のはざまで苦しむ地域である。
この地域をはざまと認識するのであれば、ヴェルサイユ条約でのクレマンソーのドイツに対する過酷な仕打ちや、フランクリンルーズベルト大統領の対日参戦などは、大局観を欠いているとも言える。なぜなら、どうせ、はざまの地域が前後左右に動くだけなのだから。実際、第二次世界大戦後は、ロシアの勢力圏が東西に拡張し、アメリカは、現在、ロシアや中国と対峙して、その狭間の朝鮮半島の北半分までロシアの勢力圏が迫ってきたわけだから。
上記、一気に書いた駄文なので、間違いがあったら、訂正します。
ところで、ポーランドの料理が美味しいのは、海の幸が豊富なせいであろうか。
歴史は繰り返すと言うことを考えると、ロシアは、国内から崩壊して戦争に敗れることが多いが、どうなるのか
※ 第二次世界大戦の起源
講談社学術文庫
著:アラン.ジョン.パーシベール・テイラー 訳:吉田 輝夫
内容紹介
ヒトラーがいなければ大戦争はなかったのか?
「定説」に真っ向から挑戦して大論争を呼び、研究史に画期をもたらした必読の名著。
第2次大戦は「邪悪なヒトラー」による計画的な侵略戦争だったのか? 「通説」に真っ向から挑戦して激しい論争を巻き起こし、大戦前史研究に画期をもたらした歴史的名著。「ドイツ問題」とナチをめぐって、ヨーロッパ列強の首脳たちはどのように誤謬を重ねていったか。1939年9月の大戦勃発に至る国際外交交渉の緊迫のプロセスを解き明かす。
何をなすべきであったかをいうのは、歴史家の義務などではない。歴史家のたった一つの義務は、生起した事実とその理由を発見することである。われわれが生起したあらゆることの原因をヒトラーに還元しつづける限り、何も発見できないであろう。……彼はある意味ではヴェルサイユ条約の落とし子であり、またある意味では現代ヨーロッパで一般的な思想の落とし子であった。だが何といっても彼はドイツ史の、また現代ドイツの落とし子であった。……ヒトラーはドイツ国民の共鳴板であった。――<「再版への序言」より>
※本書の原本は1977年3月、中央公論社より刊行されました。