スキゾイド研究会 検索除外

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おもゆ 2018/11/05 (月) 15:07:17

初めまして。自己診断ですがスキゾイドだと感じている者です。
私も普通はほとんど寂しいと感じることはありませんが、「自分のスキゾイド気質を知って(認めて)くれ、なおかつ私の思考や表現に好意と共感を寄せてくれる人間」が自分から離れてしまいそうな時はとても寂しいと感じたことがあります。
そもそも他人から理解や賞賛を示されることはごく少ないので、そのような人間はめったにいません。それを失いそうになったときの焦りや喪失感といった感情を覚えました。離れていこうとする人間を繋ぎ止めるなど今まで一度もしたことがありませんでしたが、自発的にその人に声をかけ関係を修復させる行動を取ってしまうほどにはその感情は強いものでした。
本心を見せたことのない大抵の人間に対して感情が動くことは有り得ませんが、稀に本心に近い部分を許した相手に対してであれば感情的になることもあるということでしょうかね。

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よくいつも1人で寂しくないのと聞かれますがそういったものは感じないですね
世間の寂しいというものはどうやら一人でいて人恋しさを感じるときのように思います
が、煩わしく思うものに接しないほど自由なことはないと考えているのでそういったところが私自身と世間とがズレているのだと思います
スキゾイドに対しての理解者がいないことは寂しいというよりは諦めですかね しょうがないなという気持ちです

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ふーと 2018/11/05 (月) 08:18:16 >> 16

誰にも理解されない状態が寂しいんですね。

僕は知ってる人が誰もいないと逆にワクワクします。中途半端に理解されるくらいなら、完全に理解されてない方が楽だからかもしれません。または、どこに行こうと理解者なんていないと諦めているか…

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ふーと 2018/11/05 (月) 08:04:06 >> 15

なるほど、親しい人と居て寂しさを満たされる経験がなければ、寂しさは感じませんね

酒を飲んだことがなければアル中にはならない、みたいな感じですか(例えがあれですけど)

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ぐるみん 2018/11/04 (日) 23:41:11

私が寂しさを感じる時は2種類あります。

1つ目は、周りに1人も理解者がいない時。知らない土地に就職し、一人暮らしを始めた時に強烈な寂しさを感じました。この場合、「寂しさ=心細さ」という感じです。

2つ目は、集団の中で孤立してしまった時。他の人はうまく人間関係を築けているのに、自分だけ学校や職場で孤立してしまっている、というような時は寂しいです。(この場合の寂しさはたぶん劣等感から来ているので、本当の意味での「寂しさ」とは少し違うかもしれませんが)

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tou_375 2018/11/04 (日) 17:13:51

フィクションや現実で寂しい人に共感して寂しいに襲われることはあります。自分が一人でいるときはまったく感じません。

「寂しい」は人に対する喪失感で、親しい人がいなくなった跡ではないかと考えています。もともとそういう人がいなければ「寂しい」も発生しないのではないでしょうか。

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ふーと 2018/11/04 (日) 11:46:57

ああ、海外にいるときのなんとなく不安な感じ、分かります。
さすがに自分の評価に自信がなくなって、日本人がいるとホッとした経験があります。
あれは寂しさの疑似体験だったのかもしれません。

日本にいれば意思疎通はできるし、家に帰れないという不安もないので、寂しさを感じるラインまで到達しないのかなと思いました。

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ふーと 2018/11/04 (日) 11:28:25 >> 11

夢の中ですか、面白いですね。
他の方も言っているように、普段は心の奥にしまい込まれていると考えるべきかもしれません。

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ゆう_ju_die_ 2018/11/04 (日) 08:12:35

Twitterやこちらの掲示板で皆さんの意見を聞くまでは
「寂しい」というのは何をして良いのか、何をしたらダメなのかわからない時に抱く不安な気持ちのことだと思っていました。
例えるなら全く知らない言語圏の国に身一つで放り出されたみたい時のような気持ちです。

ただただ1人でいて人恋しいような気持ちを抱いたことは今までにないので私も寂しいと思ったことは無い部類の人間なのかなと思います。

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寝子 2018/11/04 (日) 00:20:15

普段寂しいという感情を抱くことはないに等しいのですが、先日ある状態で寂しいという感情を感じたので書き込みます。

それは『夢の中』です。

具体的な夢の内容は覚えていないのですが、夢の中で強い寂しさや不安を感じたのです。
これは日常過ごしている時に感じることのない感情でした。
なので確実にこれが寂しいなのかはわかりませんが、私の中では『寂しい』に近い感情だったと思います。
スキゾイドは普段感情を奥にしまいこんでいるので、夢の中では無意識下の感情を感じることができるのかもしれないと思いました。

実は自分は寂しいのか?と起きて思いましたが、生活する中では人間関係に起因する寂しさはないんですよね。
将来などの漠然とした不安とかはなんとなくあるんですが…。

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ふーと 2018/11/03 (土) 23:44:28 >> 5

返信ありがとうごさいます。
寂しさを感じたらちゃんと(?)人と交流するんですね。

「自分の連絡に友達が反応してくれる」ことで安心できるんでしょうね

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ふーと 2018/11/03 (土) 23:26:29 >> 7

分かります。僕も自分の中に絶対評価があって、他人がどう評価しようが基本ブレません。

もし、自分の絶対評価を揺るがす何かがあったり、精神が限界になったら、他人の評価が欲しくなるかもしれません。

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私はスキゾイドではありません 2018/11/03 (土) 23:25:14

唯の孤独好きです。
寂しいという感情は知ってます。
一人でいることは全く寂しくありません。
疎外された状況に置かれば孤立感は感じます。
もう慣れてしまったので、今ではそれも何という事もありません。
自身で対処できない事態に陥れば不安から他人を求めたくなるかもしれませんが、それ以外の事で誰かを必要としません。
誰から何か受け取れる場合は、そのメリットの為に誰かをを必要とすることはあります。

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私は普段、自分から友人に連絡することはほとんどありませんが、寂しさを感じたときは自分から連絡します
実際に会うかどうかは場合によりますが、「自分から連絡する」ことが、寂しさを満たす手段になっています

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sophia_N4T 2018/11/03 (土) 22:54:01

正直に言って寂しいという感情が本当に分からないですね。

もしふーとさんの言うように「自己肯定感を他人に認められることで満たしたい欲求」が「寂しさ」だとするならば。
私は自分で自分の能力をしっかりと把握できているので、他人からの評価がどうだろうが自分の中での絶対評価は変わらないという事実のもとに寂しさを感じていないのかもしれません。

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ふーと 2018/11/03 (土) 22:41:26 >> 3

なるほど、自分の存在が認められないことから来る寂しさでしょうか?
ちなみに、頻度はどれくらいですか?

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ふーと 2018/11/03 (土) 22:37:22 >> 4

ほんとに極たまになんですね。若葉さんのように一年に一度レベルの人が多ければ、アンケートの結果も納得です。

ちなみに、寂しさを感じた時は友達に会いに行きますか? それとも一人で疲れを回復しますか?

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若葉 2018/11/03 (土) 22:22:22

Twitterでたまにあると回答しました

私の場合は、「数ヶ月友人と会っていない」「自分の中の不安や不満が溜まっていて、精神的に疲れている状態」という、二つの条件が重なったときに寂しさを感じます

そのため頻度としては、「一年に一度、あるかないか」といった程度になります

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さんすん 2018/11/03 (土) 22:15:58

自分に理解のない人が周りにうようよいるときにさみしさを感じます.

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ふーと 2018/11/03 (土) 21:56:02

第2回の内容あんまり良くなかったかなとちょっと後悔・・・

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ふーと 2018/11/03 (土) 21:45:18

僕は現時点では、「自己肯定感を他人に認められることで満たしたい欲求」が「寂しさ」だと思っています。
スキゾイドは「根拠のない万能感」によって自己肯定感が満たされているので、寂しさを感じないのではないでしょうか。

精神的に疲れると自己肯定感がなくなって寂しさを感じるのかもしれません。

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ふーと 2018/11/03 (土) 21:31:09 >> 13

僕も、他者から認められることで自己肯定感を満たしたいという欲求が「寂しさ」なのかなと思っています。
その理屈だと、スキゾイド特有の「根拠のない万能感」によって自己肯定感が満たされていれば、寂しさを感じませんしね。

寂しさへの憧れという視点は気が付きませんでした。僕が今なんでこんなに「寂しさ」にこだわっているのか疑問だったのですが、「寂しさという原動力」が羨ましいのかもしれませんね。面白い気付きを与えてくださってありがとうございます!

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ふーと 2018/11/03 (土) 21:13:40

僕は寂しさを感じません。子供の頃は友達と一緒にいたい、遊びたいという感情がありましたが、それは寂しさを感じるからではなく、人付き合いが純粋に楽しいからでした。

周りが友達と旅行に行ったり、彼女を作ったりすると、僕も人付き合いをしなきゃなとは思いますが、寂しさというより危機感に近いですね。

「寂しさ」というと埋めるもの、満たすものというイメージがあります。マイナスからゼロにする感じです。僕は人付き合いを、精神的に足りない何かを埋めるものというより、ゼロの状態にプラスするものだと捉えています。

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ふーと 2018/11/03 (土) 20:10:46 >> 12

自分を理解してくれる人が誰もいないことに寂しさを感じるんですね。

普段は隠されているのか、寂しさを埋める機能が働いているのか…多分後者な気がします。

Dさんも晴さんも、寂しさを感じるのに人と会おうとせず、一人を選択するのは興味深いですね

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初めてこのような場所に書き込ませていただきます。
数十年感じてきた周りとの違和感が「スキゾイド」という名前を持つことにより、今まで感じていたいくつかの疑問が解けたように思います。このような場を設けていただき感謝しています。

表題にある「寂しさ」についてですが、皆様の経験を拝読させて頂いたところで、ひとつ気になる感覚を思い起こしました。
私自身、寂しさを感じることをほとんどなく生きてきましたが、その中でも「寂しさを感じない」ことを悲観したことが全くありませんでした。というのも、とんでもなく傲慢な考えではありますが、皆が寂しいと口々に言うのは「自己に満足していないからだ」と私が思い込んでいたためです。
寂しいというのは、何かが足りていない状態でそれを他者によって補いたいという思いで、自分が寂しさを感じないのは自己の中で満ち足りているからだ。なんとも自己愛が強く他者を見下した酷い考えですが、私の中では「寂しい」の対義語は「満ち足りている」ことになるのです。 
私個人の性格の問題かもしれませんが、スキゾイドについて少しづつ調べていく中で知った、分裂気質にみられる根拠のない自信と無敵感というのはこれか、とも今では思います(笑)

それでも、寂しいという感情に憧れはあります。
寂しさを原動力にした働きにはすさまじい勢いがあると傍から見てて思うので、あれがあったら生きやすそうだな〜という欲ですが…

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twitterのアンケートに、「たまにある」と回答しました。
私もDさんと似たような感じで、精神的にやられている時に寂しさを感じます。
私は外部からのネガティブな感情に感化されるというよりは、自分の中でいつもは滅多に出てこない感情が少し顔を出すような感じです。
自分のことを理解してくれる人なんて誰もいないということに寂しさを覚え、もしもこういう時に恋人や親友がいれば何かが満たされるんだろうか…と思います。
でも、分かってもいないのに「その気持ち分かるよ」などと言われたら余計ストレスが溜まりそうですし、結局家で1人でゆっくり休めば精神的ダメージから回復するので寂しさもなくなります。

あと、私は今25歳の女性で、友達にはだいたい彼氏がいて結婚なども考えている時期なので、それに対しては寂しさというか、結婚を考えられるような人と出会い、長い時間をかけて信頼関係を築き上げていることへの憧れを感じます。

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ふーと 2018/11/03 (土) 10:48:53 >> 10

なるほど、ネガティブな感情に感化されると寂しさを覚える・・・いわゆる飲み込まれ不安ですね。

それは自分の中から湧き上がってくる感覚というより、他人の感情が反映された感覚なんでしょうか?
それとも、他人の感情に感化されて、自分の心中に隠されていた寂しさが湧き上がってくる感じでしょうか?

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普段寂しいと思うことはなく、寧ろ1人の空間になると解放感に満ち溢れます。
ただ、極度に疲れている、特に精神的にやられてるときに外部からネガティブな感情を受け取りやすく、それが憎悪などの特定の人間を否定するものだと何故か、寂しく、悲しくなってしまう……
憶測ですが、周囲の感情から日頃守っていたガードが崩れ、周囲のネガティブな感情に感化されて寂しく思うのかもしれません。
因みに寂しいときは1人でいようが大人数でいようが変わりません。
そうなってしまったときはなるたけ1人で好きなことをして忘れるようにしています。

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ふーと 2018/11/01 (木) 21:40:30

このトピックがきっかけとなって、ツイッターで「スキゾイドは寂しさを感じるのか」のアンケートを取ってみました。

こちらのコメントでは、寂しさを感じない人が多かったので、「たまにある」と答えた人が半数以上いたのは意外でした。「よくある」と答えた人も、少数ながら確実にいますね。

スキゾイドがどんな時に寂しさを感じるのか気になりました。具体的なエピソードを交えてくれると、イメージが湧きやすいのでありがたいです

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ふーと 2018/11/01 (木) 21:27:32

僕は寂しさを全く感じないですね。寂しさを感じたことがないかもしれません。

子供の頃、よく誰かと一緒に居たいと思ってましたが、寂しいというよりお化けが怖いからでした。
今も、友達が集まって楽しく遊んでたり、カップルがいちゃいちゃするのを見ると「いいなー」と思いますが、寂しいからというより、人と交流できるスキルが羨ましいからです。

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ふーと 2018/10/30 (火) 22:01:21

こんばんは
僕はLINEへの苦手意識はないですね。むしろ対面の会話より考える時間があるので、ゆっくりトークできて好きです。
どうでもいい会話はよく未読無視しますが、それで何か言われたことはありません。一応、約束や連絡事項は早めに答えるようにしてます。

ですが、もしルチルさんのように返事を催促される環境だったら、LINEに苦手意識を持ったかもしれません。会話の返事一つひとつに熟考してしまうので、LINEであってもテンポが早いトークだとついて行けないからです。「早く返信しなきゃ」というプレッシャーが嫌で、ますますLINE嫌いになりそうですね。

ルチルさんの場合、LINEが苦手というより、友達との相性が悪いのかなーと思いました。
ポンポン会話が浮かぶ人は、ルチルさんのような性格を理解できないので、「面倒くさがって返事が遅い」なんて思っているはずです。

「何を返事をするか迷っているうちに中々返信ができなくなる」、「あなたへの返事が面倒くさい訳ではない」ということを、それとなく相手に伝えてみてもよいかもしれません。
それでも理解されない場合は、全員平等にゆっくり返信しちゃいましょう。

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さんすん 2018/10/29 (月) 22:20:14

面倒な方にからまれた時の対処法
https://www.youtube.com/watch?v=xRn26uEqhJU

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ぐるみん氏の書き込みから、どちらかといえばスキゾイドというよりも回避性パーソナリティ障害に近いような印象を受けました。
某掲示板の回避性スレの書き込みと雰囲気(強い劣等感と人並みの対人欲求とのジレンマに苛まれている感じ)がとても似ていたので。
そちらの方面で調べてみるといいのではないかと思います。

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NCKT2188 2018/10/28 (日) 17:03:12

私も日常で寂しいと感じることはほとんどありません。

sophia_N4Tさんがお書きになったような、自分の中のもう一人の自分と常に対峙している感覚があるからかもしれません。
寂しいとは違うけれど、集団になじめる人を見て、「ああ、自分は人と違うんだな、やっぱり何か人として欠落してるんじゃないか、だめなんじゃないか」、と自己嫌悪のような感情で落ち込むことはたまにあります。
それでも、最終的には「自分はどうしたいのか」というところに結論が出ます。私は他人といて疲れることより一人で心穏やかでいるほうを選択している感じです。

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NCKT2188 2018/10/28 (日) 16:19:18

はじめまして。
私は実家にいた頃、犬、猫、鳥など飼っていましたが、動物と接することは抵抗はありませんでした。
紅茶さんも書かれてましたが、スキゾイド気質の自分に一番合うのは猫でした。
猫は基本的に一人行動で他者へ愛情表現がべったりではなし、たまに擦り寄ってきてくれるくらいの距離感なども含めて一緒にいて非常に心地よい存在です。

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自分の場合は生活の中で、寂しいと思うことはほとんどないですね。一人暮らしなので、風邪を引いたりした時には、身体を動かすのも辛いとかそういう時に頼れる人がいたら良いなぁと思うことはありますが…コレは寂しさなのですかね?誰かいたら便利って感覚が寂しさなら、たまには有りますね。お手伝いロボットとかいたらいらないですが。

自分は、一応友だちもいてだいたい半年から1年に一回くらい会って飲んだり遊んだりするのですが、それで十分だと感じています。相手もスキゾイドまではいかずとも、その傾向があるので楽です。1人の方が好きですが、人が嫌いではないのです。ただ、その割合が極端なだけで。

友だちが欲しい、周りと仲良くしたい思いはないですが、嫌われないようにしようとは心がけています。別に嫌われる事自体はどうでもいいですが、嫌がらせを受けたり迫害されるのは避けたいですからね。特に、性質上周りと上手くやる事が疲れてしまうのもわかっていますから。
なので、大抵の集団に入るときにそれとなく一人でいる方が気楽って事を伝えています。周りと上手に「仲良く」している人を見たときにはすごいなぁと思う反面、大変そうだなと思ってしまいます。

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もう10分遅くアクセスしていればこっちに書き込んだかも。

一人でいて寂しいとは思わないですね。
LINEも付き合いでやりましたがメール感覚(日に2~3回チェックすればいいだろ)でやってたら途絶えましたね。
一応は通知設定もしてたんですけど非常にわかりにくかったです。気づいたら通知が来てた感じですね。
自分を外に表現することは苦手なのでSNSみたいのは一切やってないですね。
Twitterも、もの珍しさでアカウントを取りましたけど結局は他のコンテンツのログイン用で残してただけだったりします。

>私はスキゾイド気質と言えるのでしょうか?
これは専門家に聞くしかないんじゃないかな?
なぜなら、スキゾイドの定義に「賞賛にも批判に対しても無関心にみえる」という項目はあっても
「寂しいという感情が希薄である」という項目は無いからです。
しかし、自分を振り返ると
「家族を含めて、親密な関係をもちたいとは思わない。あるいはそれを楽しく感じない 」
「一貫して孤立した行動を好む 」
これが数か月みたいな一時的なものではなく、常態化するとなると寂しいという感情は
何らかの形で処理されないといけないんじゃないかと強く想像してたりします。
なのでインターネットは非常に便利な道具ではるけれど、使い方を誤れば人を変えてしまう危険な道具でもあるという
考えに至るわけですね。

これだけじゃあれなので、経験則からの助言を一つ
スキゾイドに限らず一人でいる事が多い人は、声が小さくなる傾向が強くあると思います。
ぼそぼそっとしゃべる状態ですね。これは相手さんにしてみれば、声が小さい、ただそれだけでイライラするんですね。
なので、最初はともかく段々疎遠になるみたいになるかも知れません。
沸点が低い人ならこちらが一生懸命にしゃべったあと
「何、言ってるか理解できねぇよ。」
みたいに返されたりするかもしれません。
なので、ボッチ気質の人は人としゃべるときは「声を大きく」を心掛けることを強くお勧めします。
これだけで、無用なトラブルの何割かは回避できるんじゃないかな?
ぐるみんさんは人付き合いがうまくないとの事ですが、その複数の原因の一つは案外こんなことかも知れません。

まおさんの方ですけど
>寂しいという感情を判断することは出来ないと思うのですが
実は、気づきませんでした。
気づいたのは20代後半か30代かその辺ですかね。
各種の創作物や人との会話の中でどうも自分は何か人と違うらしいということは感じてましたが。
ある時ふと、寂しいという気持ちが無いんだと唐突に気付いたという感じです。
自分の心の中はわからないもので、心の奥深くしまい込んでいるかも知れないといわれればそうかも知れません。
ただ、日常的には湧き起らない感情ですね。

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私は今まで寂しさという感情を自覚した記憶はありません。
幼少期から両親が共働きで家に誰もおらず、友達と遊ぶこともなく一人で部屋にいるという状況が割と頻繁にありましたが、それを寂しいと感じたことはありませんし、それが異常だとも思いませんでした。
また、一人暮らしを始めるまでは重度のうつ状態にあったため、今以上に極端に他人と交流することを避け続け、とにかく一人でいることを徹底していました。
誰かと一緒にいることに苦痛を感じるのは、これをご覧になっている方たちの共通事項ではあると思いますが、その度合いが心身に異常を来すほどなのか、我慢すれば他人とそれなりに関われるほどなのかは個人差が大きいのでしょう。
私は現在進行形で慢性疲労があり、常に全身倦怠感や肩こり、筋肉痛などがある状態ですが、他人と長く一緒に居すぎると、相手が誰であれ確実にそれらの症状が悪化するので、体調が悪いときにはとにかく一切家から出ずにじっとしていないと、最悪寝たきりになりかねません。
そんなわけで、私の場合は誰かと一緒にいてもつまらないとか楽しくないということはそんなに感じませんが、とにかく身体的に苦痛が生じるため、極力他人といることは避けたいですし、それを悲しいとか残念だと思うことはありません。
まぁ、もし体調が悪化しなかったとしても、誰かと一緒にいたいと思えることはないでしょうけど・・・(笑)
話が少しそれましたが、私のように寂しいという感情がわからない、あるいは欠損している人間というのも少なからずいるのではないかと思っています。
ただ、それは自分で認識できていないだけで、無意識に他人との交流を欲していると捉えられそうな行動を起こしている可能性は否定できません。
少なくとも自分から誰かを遊びや飲みに誘ったり、出会いを目的としたイベントに参加することはまずあり得ないんですけどね・・・

長々と駄文失礼しましたm(__)m

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sophia_N4T 2018/10/28 (日) 12:28:40

ふーとさんのブログにも書いてありますが完璧に人付き合いを嫌うスキゾイドはいないと思われます。
ただ交流欲求は非スキゾイドに比べたら著しく低いでしょう、【人付き合いによる疲れ>交流欲求】だからです。
しかしスキゾイドも一応人間ですから、寂しいという感情があるのも当然です。ただスキゾイドは人と触れ合うと疲れるし、体調を崩したりするので、一人でいたいと思うのは生物としての防衛機能なのではないかと私は考えてます。
だからスキゾイドにとってこの矛盾は往々にして陥るものではないでしょうか。
なのでこの矛盾を気にする必要はないでしょう、少なくとも私はそう思ってます。
もし寂しさをどうにかしたいのであれば信頼できる一人二人に自分のことを話して丁度いい距離を保ってもらうのがいいと思います。

寂しいという感情を私はまず感じないですね。自分の中に複数の自分がいるのでそれと会話するような形で一人でも問題なく過ごせてます。あと最近は一人だけ、他の人と同様に疲れるけれどそれ以上に人間的に面白く、気が合う人を見つけられたので、その人とだけ少し交流しています。

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「寂しさ」について面白い体験をしたことがあるので、こちらに投下させていただきます。

私はスキゾイド気質を自認していますが、普段孤独でいることに寂しさは全く感じませんし、後ろめたさも社会的な疎外感も感じません。生涯変わらず孤独でいられる予感には安心感すら感じています。

しかし子供の頃は異常な程の寂しがりやだったのを覚えています。成長して気がついたら今のような状態になっていました。
寂しさを感じなくなって久しく、それがどんな感覚だったかも記憶に知識として存在するくらいの状態になっていたのですが、
数年前事故に遭い、それを誰にも周囲に知らせてはいけない状況にあったとき、突如激しい寂しさに襲われました。
明日の朝からだが動かなかったらどうしようと一人で動揺混乱しまくると同時に、数十年ぶりに実感として極彩色に感じた「寂しさ」に圧倒され、その一方でそれを他人事のように観察し感動すら覚える自分がいました。
これよこれ!これが「寂しさ」だった!と。
ヘレン・ケラーのwater!ってこんな感じだったのかなとも思いました。

その出来事から5年以上は経ちますが、それ以来ふたたび寂しさを感じることはありません。
私の場合、寂しさを感じる機能は無くなったのではなく、生きるのに不要と判断され無意識下に抑圧されているのだと上記の体験から推測されます。

スキゾイド気質の方で、寂しさを感じないという意見をよく目にしますが、寂しさがどんな感情か全く知らないとそれを自分が感じていないかどうかを判断することは出来ないと思うのですが、その辺皆さんがどう認識されているのか興味がありますね。