1960東大理化卒同期生

富士市の ご紹介( 2 )です

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1180年に 起きた この戦いの後 鎌倉幕府の成立へと 発展してゆきますが 水鳥の棲み家であった  この地方も その後 数百年の間に さらなる変化を して行きます。 東京、江戸 がその典型ですが、
流れこむ河川の持ち込む土砂が 海岸に堆積し 洲となり 人口の増加とともに 水鳥 ではなく 人間様の棲み家に変化してゆきます。 とは申しましても もとは 水鳥の棲み家 あたり一面の 葦(あし、よし)原 でありました。そして この数百年の間の 何時のころからか 葦原(よしはら)、吉原 と呼ばれる 集落が出来上がりました。
(1966年 旧吉原市 旧富士市 旧鷹岡町 が合併して 富士市となった) 

ashika
作成: 2018/01/20 (土) 21:07:26
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私は東海道五十三次の一つに住んでいるせか、文化圏を分けることばかり考えてしまうのですが、空も水も繋がっているのですね。鳥の飛翔距離がどのくらいかは別として、羽のある水鳥にとっては江戸も富士市周辺も一つながりだったのでしょうか?ともあれ、明日は戸塚の宿あたりで試験です!

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Yamagata 2018/01/22 (月) 10:26:59 ab5f4@42c01

YOさん: 試験、がんばって! 加油!!!

中国では「がんばって!」は 「加油」JiaYouといいます。燃える火に油を注ぐイメージで、とてもわかり易いですね。チョロチョロの火でもパット燃え上がりますよね。競技場では自国のランナーに皆が一斉に、JiaYou! JiaYou!

ぼくの消えかけの火にも、加油が必要。