Tiger I

Last-modified: 2024-03-18 (月) 22:49:06


Tier 7 ドイツ 重戦車 Tiger I(ティーガー アインス)/日本語表記: VI号戦車 ティーガー1型

16EF955F-772B-41E4-A566-5785633686FF.jpeg
Pz.Kpfw. VI H Ausf. E + 8.8 cm Kw.K. 41 L/71
最終状態。史実ではTiger IIに譲る形で幻に終わった火力強化案。 2022年7月14日にて行われたバランス調整でPBR化された。
 
伝説迷彩

本車両には3つの伝説迷彩が存在する。

伝説迷彩「Gamescom2016」
Gamescom2016
Tiger I Gamescom.jpg
その他の画像
Tiger I Gamescom (back).jpg
適用中は車両名が「Tiger I Gamescom」となる。
PBR化以前の画像
Tiger1_Gamescom2016_front.jpeg
Tiger1_Gamescom2016_back.jpeg
Gamescom(ゲームズコム)は、ドイツのケルンで開催されるゲーム見本市の名称。
アメリカのE3、日本の東京ゲームショウと並ぶ世界三大ゲームショウの一角として知られる。
伝説迷彩「ヴュステンフックス」
ヴュステンフックス

全身にツィンメリットコーティングが施され、鉄条網・指揮車用のアンテナ・スモークディスチャージャー・ゲペックカステン(砲塔左右の荷物入れ)・スタック時に使う木材などOVM*1が大量に搭載されている。なかにはHEATに耐性がありそうなものが存在するが、性能には影響しない。
名前はドイツ語読みで「ヴュステン」は砂漠を、「フックス」は狐を意味し、砂漠の狐こと「エルヴィン・ロンメル」を指すと思われる。
この迷彩は2022年7月15日以降にマスターバッジ「エース戦車長」を4つ獲得することが解除条件である。

6A67394D-8F7D-4103-985D-7FF708A481BA.jpeg
伝説迷彩「シュヴァルツバロン」
シュヴァルツバロン
Tiger I Baron.jpg
その他の画像
Tiger I Baron (right).jpg
Tiger I Baron (left).jpg
適用中は車両名が「Tiger I Baron」となる。
全身にツィンメリットコーティングが施され、鉄条網・指揮車用のアンテナ・スモークディスチャージャー・ゲベックカステン(砲塔左右の荷物入れ)・スタック時に使う木材などのOVMが大量に搭載されている。
加えて、この迷彩にはヴュステンフックスにない機銃が追加されている。ヴュステンフックス同様に性能には影響しない。
名前はドイツ語読みで「シュヴァルツ」は黒を、「バロン」は男爵を意味する。
当初は特別オファー形式であったが、アップデート9.4より常設販売となった。
他の装備
IMG_0206.JPG
Pz.Kpfw. VI H Ausf. H2 + 8.8 cm Kw.K. 36 L/56
史実では一応改良案だが、即刻敵に初期装備だとバレてしまう。大至急フリー経験値を使って最終砲塔に換装しよう。

✠ドイツの科学は世界一ィィィィーーーーッ!!✠
第二次大戦期、ドイツが開発・運用した重戦車。ドイツのみならず、世界の大戦期戦車の代名詞的存在の一つである。
正式名称はPanzerkampfwagen VI Tiger Ausf. E(パンツァーカンプフワーゲン ゼクス ティーガー アウスフルング エー / VI号戦車Tiger E型)。
大戦後期、守勢を強いられるドイツ軍の中にあって、当時の連合軍の兵器に対して圧倒的に優位な防御力と攻撃力を誇り、数々のエースたちによって伝説的な活躍を数多く残した。

ゲーム内では、Tier制による性能の均一化の影響で、残念ながら装甲は史実ほど頼れるとは言えない。
しかしその分、高い体力と重戦車にしては良好な機動性、そして優れた砲性能を持つ、攻撃的な性能にまとまった戦車となっている。

 
車輌性能に関する変更点
v4.5.0改良砲塔搭載時の8,8 cm Kw.K. 43 L/71の装填時間が6.71秒から5.56秒に減少
砲塔の旋回速度が20.86度/秒から26.07度/秒に増加
改良砲塔に搭載可能な全ての主砲の防盾が100mmに変更
Maybach HL 230 TRM P45エンジンの出力が700hpから780hpに増加
最大後退速度が12km/hから14km/hに増加
v4.7.0改良砲塔搭載時の8,8 cm Kw.K. 36 L/56の装填時間が5.56秒から6.23秒に増加
改良砲塔搭載時の8,8 cm Kw.K. 43 L/71の装填時間が5.56秒から6.23秒に増加
 

直近90日の平均勝率:54.32%(2023年8月30日現在、ver10.1.5)
※平均勝率は参考数値であり、その車両の絶対的な強さを示すものではありません。

基本性能(v6.10.0)

車体Tier国籍タイプ耐久値
(HP)
車体装甲厚
前面/側面/背面
(mm)
最高
速度
(km/h)
初期
重量
(t)
本体価格
(クレジット)
Tiger I
(Tiger I Gamescom)
VIIドイツ重戦車1400~1500178/89/8944/1455.871,390,000 cra.png
 

武装

砲塔:Pz.Kpfw. VI H Ausf. H2

Tier名称発射
速度
(rpm)
弾種平均
貫徹力
(mm)
平均
攻撃力
DPM
(HP/分)
精度
(m)
照準
時間
(s)
総弾数弾薬費
(Cr/G)
重量
(kg)


VII8.8 cm Kw.K. 36 L/568.82AP
APCR
HE
145
195
44
220
190
270
1940
1675
2381
0.382.3920 cra.png
3200cra.png 8gda.png
0 cra.png
2,050+15°
-8°
 

砲塔:Pz.Kpfw. Tiger Ausf. E

Tier名称発射
速度
(rpm)
弾種平均
貫徹力
(mm)
平均
攻撃力
DPM
(HP/分)
精度
(m)
照準
時間
(s)
総弾数弾薬費
(Cr/G)
重量
(kg)


VII8.8 cm Kw.K. 36 L/569.23AP
APCR
HE
145
195
44
220
190
270
2031
1754
2492
0.382.3920 cra.png
3200cra.png 8gda.png
0 cra.png
2,050+15°
-8°
VIII8.8 cm Kw.K. 43 L/719.23AP
APCR
HE
203
237
44
220
190
270
2031
1754
2492
0.342.9720 cra.png
4400cra.png 11gda.png
0 cra.png
2,562+13°
-7°
 

砲塔

Tier名称装甲厚(mm)
前面/側面/背面
旋回速度(°/s)視界範囲(m)重量(kg)
VIIPz.Kpfw. VI H Ausf. H289/89/70252408,250
VIIIPz.Kpfw. Tiger Ausf. E110/89/89252408,950
 

エンジン

Tier名称馬力(hp)引火確率(%)重量(kg)
VIIMaybach HL 210 TRM P4565020850
VIIIMaybach HL 230 TRM P45780201,300
 

履帯

Tier名称積載量(t)旋回速度(°/s)重量(kg)
VIPz.Kpfw. VI H Ausf. H161.002819,000
VIIPz.Kpfw. Tiger Ausf. E61.003219,000
 

乗員

  1. Commander
  2. Driver
  3. Gunner
  4. Radio Operator
  5. Loader
 

派生車両

派生元:VK 36.01 (H)
派生先:Tiger II
関連車両:Tiger Kuromorimine SP/Tiger131/Icebreaker

 

開発ツリー

VK 36.01 (H)Tiger I
25,120fa.png
Gun.png
8.8 cm Kw.K. 36 L/56
turret.png
Pz.Kpfw. Tiger Ausf. E
11,130fa.png
Gun.png
8.8 cm Kw.K. 43 L/71
20,630fa.png
Tiger II
78,000fa.png
2,450,000cra.png
turret.png
Pz.Kpfw. VI H Ausf. H2
engine.png
Maybach HL 210 TRM P45
engine.png
Maybach HL 230 TRM P45
18,800fa.png
suspension.png
Pz.Kpfw. VI H Ausf. H1
suspension.png
Pz.Kpfw. Tiger Ausf. E
9,705fa.png
 

fa.png:必要経験値

解説

車体

正面上部はほぼ垂直の178mm装甲で実質装甲厚は180mmを有する。ごく一部を除いた格下重戦車や同格中戦車をはじめ、一定数の同格重戦車にも対抗し得る良好な防御力を持つ。
広い車体下部は144mm装甲となっており、実質165mm程度と上部に比べれば薄くなっている。しかし、最も標準化が作用するAP弾でも158mm相当の防御力があり、多くの格下戦車や同格中戦車の通常弾程度では貫通は困難となる。
また、本車輛はその形状と装甲厚から昼飯や豚飯が非常に効果的で、この先に進むためにもその習得は必須である。*2具体的には20度傾けること*3で正面から見ればほぼ全ての範囲で実質装甲厚が180mmを越える。
もっとも、Ver6.7の調整で前面装甲が強化されたとは言え、課金弾を使われるとマッチングする大体の戦車に貫通されてしまう。また、上部にあるペリスコープは156mm、丸い機銃孔は108mmと周辺よりも薄くなっており、弱点である。小さいため課金弾を使う方が確実だが、余裕があれば狙ってみると良い。
さらに、ドイツ戦車にとっては恒例の車体下部のトランスミッション判定が存在し、そこを狙われやすいため闇雲に車体を晒すことはしないようにしよう。

側面装甲は88mm*4と平均的で、履帯裏の装甲も67mmに履帯が40mmの空間装甲の判定になりそれなりに強固である。ただし、下部の履帯に覆われていない部分は67mmしかなく、豚飯を行うとここを狙撃される可能性がある。PBR化で飾りだったフェンダー*5が67mmの空間装甲になった。十分な厚みを持つものの、側面のごく一部であり防御力の大きな向上はあまり期待できない。
また、狙われることは少ないが、スポンソン(車体が張り出した部分)の底部は30mmしかない上に手前に向かってせり上がっているため、撃ち上げられる際に狙われると低貫通の戦車にも貫通され、最悪の場合履帯ハメされるということは、頭の片隅に置いておいてほしい。
またこれもドイツ戦車恒例だが、車体の両側面には砲塔直下から車体底部に至る大きな弾薬庫があり、うっかり側面を晒していると運が悪ければ弾薬庫を飛ばされる可能性があることを注意しておきたい。

 

砲塔

砲塔正面は大きな防盾で覆われており、防盾自体は108mmの空間装甲として機能する。裏に控える88mmの本装甲を加えると、正面の大部分は196mmの実質装甲厚を持ち、同格以下の中軽戦車および格上の一部の貫通が低い戦車の通常弾程度は防ぐことができる。
基本的に課金弾を使用されると安定して貫通されてしまうが、上下の端に近い部分では防盾が重なり、290mm程度、左右の端では本装甲が110mmに増厚されている影響で220mm程度と強固な防御力があるため、あまり適当に撃つと弾き返される可能性がある。
逆に運用側は上下端及び砲身周りの傾斜した部分に関してはほぼ貫通されることはないものの、そもそも範囲が狭いためわざわざ狙われるような場所ではないため、跳弾を期待してはいけない。
大きなキューポラは100mm前後と言うまでもなく明確な弱点であり、マッチングするすべての戦車が貫通できる。
側面装甲が正面に張り出している部分は、急傾斜によって高い防御力を発揮しているため傾斜を緩めることにもなるよそ見はしてはいけない。
ハルダウンし、こまめに左右運動することで敵の照準をずらして防御力の低い防盾中段を撃たれないようにして、射撃時以外はできるだけ砲塔を見せないようにしよう。

 

主砲

  • 8.8 cm Kw.K. 36 L/56
    最終砲に対して照準速度と俯角が若干優れているだけでこちらを搭載するメリットはない。Tigerの魅力の1つである貫通力も同格LTに劣るレベルである。
    貫通力の不足がどれだけ深刻かというと、8.8 cm Kw.K. 43 L/71砲装備のTigerを相手にした場合、向こうの通常弾がこちらの正面装甲を容易に貫通するのに対して、こちらは課金弾を使用しない限り正面装甲を抜くことが不可能という状況に陥ってしまう。
    高い機動性を持つLTであれば側面に回り込むなどして低い貫通力を補えるが、重戦車である本車はさすがにそのような立ち回りは不可能である。
    結論から言うと、この砲を搭載しての戦闘はかなり味方に負担がかかるため、出来る限り最終砲を積んでから初戦に向かうことを推奨する。
  • 8.8 cm Kw.K. 43 L/71
    貫通力及び精度、DPMが高いため、平地で正面きっての撃ち合いならば同格HTに対し有利に立てることが多い。ただ、単発は高くはないため100mmや120mm砲との単発交換は控えるべきである。なるべく数発撃ち込める状況に持ち込もう。
    高い貫通力と精度を手に入れたことで取り回しが良くなっているが、俯角がわずかに狭まり照準時間がやや長くなるなど若干悪化した部分も存在する。
    とはいえ高い貫通力と精度による攻撃面の優位性は圧倒的であり、こちらを装備して初めてTiger Iの本領発揮となる。
    Tiger IIの初期砲であるため、モジュールの互換性を活かしてフリー経験値を節約することも可能(詳細は下記の「初期の研究」で解説)。
 

機動性

見た目とは裏腹に重戦車にしては良好な機動性を持つ。車体旋回速度はTier6-8重戦車中1位、砲塔旋回速度も合わせた総和は52度/秒と非常に優秀。快速車両相手にもある程度対抗可能で、陣地転換を得意とする。
一方で後退速度は遅いため、市街地戦の飛び出し撃ちなどにはあまり適していない。

 

立ち回り方

低い単発、薄い装甲、大きな車体、他の重戦車と比べて目立つ短所はあるものの、良好な速度、高い装填・旋回速度、高い貫徹力によって柔軟な立ち回りが可能だが、いかなるマッチでも本車両で開幕芋るのは厳禁である。ボトムでは、味方の重戦車のダメージレースを有利に進め、かつ味方の重戦車の長い装填時間をカバーする事で包囲されないように「戦線の穴を埋める」ことが本車の役割である。味方重戦車が展開したら、回り込まれた時に迎撃できるようにポジション取りをしつつ、主戦場には飛び出し撃ちで前線のヘイトをこっちに向けさせよう。明らかに複数の敵戦車に狙われている場合、良好な加速を利用し飛び出すか出さないかギリギリの所で粘り、敵戦車の照準を縛り続ける事で後方の駆逐戦車や味方重戦車が撃ちやすい状況を作ろう。痺れを切らした敵戦車が数両こちらに向かい、引き込んだ後にそれらを味方駆逐戦車と倒すのが理想である。トップでは豊富なヘルスと良好なDPMを活かして前線に立とう。勿論装甲に明確な弱点があるものの、ハルダウン等の基礎技術を駆使していればそうそう抜かれる事はない。但し豚飯を取ろうとして、味方戦車の邪魔をしてはいけない。

 

特徴

長所

  • 最高速度44km/h
  • 良好な砲性能
  • 昼飯をすれば同格までなら割と弾ける正面装甲
  • 高い耐久値
  • カッコイイ(個人差あり)

短所

  • 遅い砲塔旋回速度
  • モジュール判定が広く、弾薬庫が損傷しやすい
  • いつもの車体正面下部火災判定

初期の研究

初期砲塔では最終砲が積めず敵からも簡単にバレてしまう為、フリー経験値を投入して最優先で開発しよう。
その後最終砲→エンジン→履帯と改良を進めよう。
なお、最終砲はTiger IIの初期砲であるので、Panther IからTiger IIの開発を終わらせるだけで最終砲が手に入る。


歴史背景

戦車事典より
ティーガー I (Tiger I) の開発は、1937 年にヘンシェル社により開始されました。1942 年より量産を開始し、最終的な生産数は 1,354 両でした。本車はレニングラードの戦いで初陣を飾り、チュニジアからクルスクまで最前線で戦い続けました。新規の生産は 1944 年の夏で終了したものの、終戦まで活躍を続けました。

詳細な解説
image.jpeg

写真はイギリス・ドーセットシャーのボービントン戦車博物館に所蔵されている個体、通称「ティーガー131」。左下の砲弾は8.8 cm Kw.K. 36 L/56のもの。
元はアフリカ戦線第501重戦車大隊所属131号車で、1943年4月21日、イギリス軍によってほぼ無傷で鹵獲された。
分析後はイギリス軍需省によって1951年9月25日にボービントン戦車博物館へと正式に寄贈された。
ABRO*6による大規模な修復作業で稼動可能なエンジンを装備した、現在自走可能な唯一のティーガーIである。
映画「フューリー」でもその点を買われ、実際に戦闘シーンを演じてみせた。

 

ティーガーI(Tiger I)は、第二次世界大戦期のナチス・ドイツで開発された55トン級重戦車である。制式番号はSd.Kfz. 181。
制式名称は何度か変更されているが、最終的にはVI号戦車ティーガーE型(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausführung E.)と呼ばれていた。

1935年、IV号戦車の後継を担う30t級突破戦車として開発が始まった新型戦車は、戦局の推移に伴って、VK 30.01 (H)VK 30.01 (P)VK 36.01 (H)VK 45.01 (P)など様々な試作車が製作され、規模が拡大していった。
最終的に1942年、VK 36.01 (H)を拡大し、VK 45.01 (P)に搭載されていた砲塔(VK 30.01 (P)のものを拡大した砲塔)を搭載した57tの車両が、VI号戦車E型「ティーガー」として採用された。

開発の経緯
2種類の試作車両

1941年5月26日の兵器局との会議において、総統アドルフ・ヒトラーは、前年のフランス侵攻作戦で強力な装甲を備えた連合軍戦車に苦戦した経験を基に、当時開発が進められていたVK 30.01やVK 36.01よりさらに重装甲で強力な火力を備える重突破戦車(Durchbruchwagen)を開発することを要求した。
この重突破戦車は機甲師団の先頭に立って敵の陣地に突進し、その強力な火力と装甲によって後続の戦車の突破口を開く役割を担うものとされ、この車両を20両ずつ装備する戦車部隊を編制することが予定された。
ヒトラーの要求に基づいて兵器局第6課は45t級重突破戦車「VK 45.01」の開発を計画し、ヘンシェル社とポルシェ社に対してそれぞれ「VK 45.01(H)」と「VK 45.01(P)」の名称で開発を要求した。

VK.45.01(P)

ポルシェ社は兵器局第6課の要求に応じて、「タイプ101」の社内名称で45t級重戦車VK 45.01(P)の開発を開始した。ポルシェ社は当時開発を進めていたVK 30.01(P)をベースに、車体を拡大することでVK 45.01(P)を開発する方針を採った。

VK 45.01(P)では、ガス・エレクトリック方式・縦置き式トーションバー・サスペンションといった基本設計は踏襲されている。ただし大幅に重量が増加したため、エンジンはVK.30.01(P)の出力210hpの「タイプ100」エンジン2基から、出力320hpの「タイプ101/1」 V型10気筒空冷ガソリン・エンジン2基に強化され、これをジーメンス・シュッケルト社製のaGV発電機、D1495a電気モーターと組み合わせてパワートレインとしていた。
また、パワートレインが大型化したため、VK 45.01(P)は車体が長く、砲塔は前寄りに設置された。

本車の設計に当たったフェルディナンド・ポルシェ博士は電気自動車の技術者としても経験が豊富であり、前身のVK 30.01(P)の開発計画に際して「加速性能に優れ、左右旋回も容易な電気式駆動装置が適している」との持論から、ガソリンエンジンで発電機を回し、その電力でモーターを駆動して走行させる「ガス・エレクトリック方式」を採用し、VK 45.01(P)でもそれが踏襲された。
この方式であれば、変速や旋回の際のギアの入れ替え、複雑なステアリング装置やトランスミッションが全て省略でき、かわりに電力の流量を調節するだけで変速や旋回が可能になる。さらにモーター駆動である以上、前進・後退どちらでも同じ速度が出せる。…理論上は。

砲塔に搭載する武装もVK 30.01(P)と同じクルップ社製の56口径8.8cm戦車砲「KwK36」とされたが、VK 45.01(P)の砲塔はVK 30.01(P)より大型の馬蹄形のものとされ、装甲厚も大幅に強化された。

1942年3月23日の会議において、ポルシェ社はVK 45.01(P)の生産数の半分をフォイト社製の流体式変速機*7を装備したタイプ(ポルシェ社内名称「タイプ102」)として完成させることを提案し、これはタイプ101とタイプ102を9:1の割合で生産するという形で承認された。
しかしタイプ102の開発を進めている途中で後述のようにVK 45.01(P)の不採用が決定したため、結局タイプ102は試作車が1両製作されたのみで開発が中止された。

なお勘違いされがちだが、ポルシェ社はあくまで設計のみを担当しており、製造には携わっていない。製造はそれぞれ

  • 砲塔・装甲板:クルップ社
  • エンジン:ヅィマーリング・グラーツ・パウカー社(オーストリア)
  • 最終組み立て:ニーベルンゲン製作所(オーストリア)

が担当する予定だった。

VK.45.01(H)

一方のヘンシェル社も、当時開発を進めていたVK.36.01(H)をベースにこれを拡大することでVK.45.01(H)の開発を進めた。
開発期間を短縮するために、できるだけVK 36.01(H)の設計や部品が流用された。転輪やサスペンション、トランスミッション等の駆動系は完全にそのままである。
砲塔についても7.5cm口径漸減砲「ゲレート0725」を装備するVK 36.01(H)のものを流用する予定であったが、1941年9月27日付でゲレート0725の開発が中止されてしまったため、急遽VK 45.01(P)と同じ8.8cm戦車砲「KwK36」に武装を変更することになった。
しかしゲレート0725用砲塔にKwK36を装備するのは不可能で、新規に砲塔を開発する時間的余裕も無かったため、やむを得ずポルシェ社がVK 45.01(P)用に設計した砲塔をVK 45.01(H)に流用することになった(経緯は後述)。しかし砲塔リング径が合わなかった*8ため、新規に車体を設計することとなった。

VK 45.01(H)では、重量増を補うため、種々の方策がとられた。

  • 接地圧の低減を図って第1、第3、第5、第7転輪は外側に転輪を追加して複列式にし(これがいわゆる「千鳥足」転輪である)、履帯も725mm幅のワイドなものに換装。
  • 砲塔リング径の拡張と履帯幅の拡張に伴って従来の戦車に比べて車幅がかなり広くなったため、鉄道輸送用の貨車からはみ出さないよう、輸送時は外側の転輪を取り外してVK 36.01(H)用の520mm幅の履帯を装着し、車体左右側面のフェンダーも取り外す。

またエンジンの強化も図られるはずだったが、新型エンジンを開発する時間的余裕が無かったため、VK 36.01(H)ベースの戦車回収車に搭載されたのと同じ、マイバッハ社製の「HL210 P45」 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力650hp)が用いられた。

しかし両開発陣に2つの大きな試練が訪れる。
ひとつは1941年6月に始まった独ソ戦である。ソ連軍のT-34中戦車やKV-1重戦車などの強力な新型戦車に対して、ドイツ陸軍の主力であるIII号戦車IV号戦車が苦戦を強いられていた。このため、ヒトラーはVK 45.01を一刻も早く実用化するよう要求していた。
さらに軍需省事務次官オットー・ザウアーがヒトラーの歓心を買うため、1942年4月20日のヒトラーの誕生日プレゼントにVK 45.01 (H)/(P)の試作車を展覧することを考案した。無茶振りもいいとこである。
このため、ただでさえ厳しい開発スケジュールはますます過酷なものになったが、両社の血のにじむような努力の末、期限までになんとか試作車は完成した。VK 45.01(P)の試作1号車は、期限2日前の4月18日になってようやく完成したという。

さて、かくして4月20日、ラシュテンブルクの総統本営で、VK 45.01(H)/(P)の試作車が披露され、走行試験が行われた。
ヒトラーは明らかにポルシェ社のVK 45.01(P)をひいきしていた*9が…結果から言えば、ヘンシェル社のVK 45.01(H)の圧勝だった。というより、VK 45.01(P)があまりにもポンコツだった、というほうが正しい。

どのくらいひどかったかというと
  • 信地旋回すらできず、地面に埋まる。
  • モーターがキャパオーバーであり*10、オーバーヒートや発煙・炎上は日常茶飯事。*11
    • キャパオーバー過ぎて、砲塔を回しただけでコードが焼き切れる。
    • 負担が減るはずの下り坂を走らせてもやっぱりコードが(ry
    • 開発段階ではVK 30.01(P)から電力を供給されて動くありさまだった。
    • 砲塔が放っておいても勝手に下を向く。
  • モーターの防磁処理ができておらず、無線機がまともに使えない。
  • 重すぎて重量バランスを崩すだけで履帯が切れる。
  • そもそもモーターの製造に不足していた戦略物資である銅をドカ食いする。
  • 車体サイズもVK 45.01(H)より大きい(1mぐらい全長が長い)。

ここまで差があるにも関わらず、それでもまだどちらを選ぶか結論は下されなかったため、両者はクンマースドルフ車両試験場に送られて性能比較試験が実施された。
この試験において、VK 45.01(H)の方がはるかに性能が優れていることが改めて確認されたため、兵器局第6課は同年10月にVK 45.01(H)を「VI号戦車ティーガーH1型」として制式採用することを決定し、1942年10月末、ポルシェ社に対してVK 45.01(P)の不採用を通知した。当たり前だ

武装に関して

開発の段階で、ヒトラーは各社に対し、より強力な砲が搭載できないかと打診しているが、いずれも幻に終わっている。

VK 45.01(P)

ヒトラーはVK 45.01(P)の主砲をより強力なラインメタル社製 74口径8.8cm高射砲「FlaK41」に換装することを求めており、兵器局第6課は1941年6月21日にポルシェ社に対し、VK 45.01(P)の砲塔にFlaK41の搭載が可能かどうか検討するように指示した。
9月10日にポルシェ社は不可能という報告書を提出しているが、結局ヒトラーの無茶振り要望で「最初の100両はこれまでの砲塔にKwK36を搭載して製作するが、101両目から新設計の砲塔にFlaK41を搭載して製作する」ことが決定された。
しかしVK 45.01(P)の生産が100両で打ち切られたため、結果的にこの案は計画どまりとなった。

VK 45.01(H)

兵器局第6課は1941年7月半ばにラインメタル社に対して、当時開発が進められていた30t級中戦車VK 30.02(後のパンター戦車)用に新型の長砲身7.5cm戦車砲および砲塔を開発するよう命じていたが、これに応じてラインメタル社が開発した70口径7.5cm戦車砲「KwK42」は8.8cm戦車砲KwK36より装甲貫徹力が優れていた。このため、この砲を装備するVK 30.02用砲塔を、VK 45.01(H)にも搭載することが求められた。

兵器局第6課は1942年2月にヘンシェル社に対して、ラインメタル社が開発したVK 30.02用砲塔をVK 45.01(H)に搭載可能かどうか検討するよう指示した。これに応じてヘンシェル社はVK 30.02用砲塔装備のVK 45.01(H)を設計し、さらに木製モックアップを製作してVK 30.02用砲塔を搭載可能であることを実証した。
かくしてVK 45.01(H)は8.8cm砲装備型が「ティーガーH1型」(ティーガー:Tigerはドイツ語で「虎」、”H”はヘンシェル:Henschelの頭文字)、7.5cm砲装備型が「ティーガーH2型」と呼ばれることになり、兵器局はVK 45.01(H)の最初の100両を8.8cm砲装備のH1型として、101両目からは7.5cm砲装備のH2型として生産することを計画した。

しかし、VK 30.02はIII号・IV号戦車に代わるドイツ陸軍の新型主力戦車として大量生産が計画されており、加えてラインメタル社はVK 30.02用砲塔をVK.30.02以外の車両にまで供給できるほどの生産能力が無かったため、結局この計画は立ち消えとなった。

なお、ゲーム内では初期砲塔がH2型の装備だが、7.5cm砲がないため完全再現はできない。しても何のメリットもない

生産開始

4月の試験の後、ヘンシェル・ポルシェの各車両はそれぞれ量産に入る。VK 45.01(P)は同年5月に、VK 45.01(H)は6月にそれぞれ生産型第1号車が完成していた。
…そう、ポルシェ型もである。

VK 45.01(P)

恐ろしいことに、ヒトラーはポルシェ型をひいきにするあまり、まだ試作車が完成する前の1941年7月に、VK 45.01(P) 100両の生産を命令していたのである。そしてそれを真に受けたポルシェ社も、同月中に100両分の装甲板と砲塔の製作をクルップ社に発注していた。何やってんだ*12
このため、不採用通知が来た時には、すでにVK.45.01(P)は10両がほぼ完成状態にあり、さらに90両分の車体と砲塔が用意されていた。
さすがにもったいないと判断されたため、VK 45.01(P)は10両を完成させて乗員の訓練や試験に用いることになり、残った90両分の製作部品については、砲塔はVK 45.01(H)の砲塔に転用され、車体も別車両の素体となった…これがフェルディナント重突撃砲、のちのエレファント重駆逐戦車である。
…そちらではある程度好評だったのだが、それに関してはフェルディナントの記事に譲ることとする。

VK 45.01(H)

一方順当に晴れて制式採用されたヘンシェル型は、1942年6月に生産型第1号車が完成したのを皮切りに、1944年8月の生産終了までに合計1,346両が生産された。
通常は生産型の量産開始前に試作車が製作されるのだが、試作第2号車は1942年10月、試作第3号車は12月にそれぞれ完成している。

ちなみに試作第1号車の車体前部には「フォーパンツァー(Vorpanzer)」という折り畳み式の増加装甲板が装備されていたが、生産型では廃止されている。
もしかして:Titan H-N?

性能
  • 武装
    主砲にはアハトアハトこと8.8cm Flak高射砲から発展した「8.8 cm Kw.K. 36 L/56」に、ツァイス社の「TZF9b」照準器を組み合わせたものを採用した。
    この砲はT-34M4シャーマンチャーチルといった当時の連合軍戦車を、1,600m以上の遠方からでも貫通できた。
    精度面も申し分なく、戦時中にイギリスに鹵獲されてからのテストでは、1,000mから50cm四方に満たない的に5回連続で命中させてみせたという。
  • 装甲
    正面装甲は100mmに達し、正面に限れば、登場当時(1942年)の連合軍・ソ連軍戦車で突破できる車両はなかった。
    真正面から貫通可能な車両はT-34-85シャーマン・ファイアフライなどいなかったわけではないがかなり稀だった。
  • 機動性
    足回りには大重量を支えるため、悪路に強いトーションバー式サスペンションと挟み込み式転輪を採用した。
    セミオートマチックトランスミッションとハンドル型操向装置を採用するなど、操作性も考慮されていた。

このように、ティーガーは当時のドイツの科学力を結集した戦車だったが、その機構は繊細で無理をするとすぐに故障するため、専門の整備中隊が用意された。加えて57tに達した重量は運用を制限し、パーツの損耗を早めた。約1300両(現存するのは僅か6両)という生産数は、万単位で生産される敵戦車(T-34など)と対峙するには少なすぎた。

ちなみに、本車の運用に当たる戦車兵には、『ティーガーフィーベル』(Tigerfibel)というマニュアルと、敵車ごとの「どの角度・距離なら抜ける・抜かれる」といった表が配布されていた...のだがこの本、なんとティーガーを「エルヴィラ・ティーガー」という女性に擬人化し(挿絵つき)、兵士のキャラクターがその世話をしながらエルヴィラを口説くための恋愛入門書という図式でティーガーIの運用法を解説している。しかもおふざけかと思いきや、ハインツ・グデーリアン上級大将のお墨付きである。同盟国の流行を80年先取りしていたのか...
気になる人はこのリンクから読めるので見てみると面白いかもしれない。

運用

前述の通りティーガーは突破戦車として開発されたが、配備が始まったころには既に戦局はドイツ不利に傾いていた。1943年夏のツィタデレ作戦が攻勢作戦としてはほとんど唯一のもので、残りは防衛・救援作戦だった。
ティーガーを装備する部隊は前線を突破してきた敵を撃退するいわば「火消部隊」の役割を担っていたが、防衛作戦においては機動力がそれほど必要とされないため、鈍重な機動力と壊れやすい駆動系という弱点がカバーされ、ティーガーの装甲と火力が有効に働く結果となった。

ティーガーの57tという重量は、ティーガーIIやヤークトティーガーといった後継を除けば第二次大戦中の戦車で最大級だった。このため、エンジンが途中から改良されたとはいえアンダーパワーであり、また履帯など駆動系への負担も非常に大きかった。事実、初期の車両はほとんど機械トラブルや川・沼での水没で失われており、戦闘中よりも待機中に撃破された数の方が多かったとまでされている。

一方で、その威風堂々とした佇まい、強力な火力と装甲から、ドイツ陸軍にはティーガーの不敗神話が浸透していた。
ティーガーの部隊は東西各方面から引っ張りだこで前線に長く滞在していることが多く、事実ティーガーを駆った戦車兵からは多くのエースが出た。彼らの戦果は総計撃破数が10,000両を遥かに超えるとも言われるほど凄まじいもので、連合国軍を文字通り「恐怖のどん底」に陥れた。

エースたち
  • ミヒャエル・ヴィットマン (1914-1944)
    通算撃破数は戦車138両、対戦車砲132門。エースとして軍の宣伝にも担ぎだされたいわば看板的存在。
    ティーガー単騎でイギリス軍の部隊に切り込み、1中隊をほぼ壊滅に追い込んだ「ヴィレル・ボカージュの戦い」*13で有名。
  • オットー・カリウス (1922-2015)
    通算撃破数は戦車150台以上。味方との連携と偵察を非常に重視するスタイルで知られ、レニングラード包囲戦といった激戦区を戦い抜いた。
    大戦を生きのびたのちは、薬剤師の資格を取ってその名も「ティーガー薬局」を開き余生を送った。
  • クルト・クニスペル (1921-1945)
    通算撃破数は戦車168両。これは枢軸・連合両軍通しての最多記録である。
    ドイツ軍最後の攻勢となったツィタデレ作戦(クルスクの戦い)では27両の撃破を記録している。

逆に、連合国軍の兵士にとって、手持ちの砲では全く歯が立たず、悠々とこちらの戦力を撃破していくティーガーは恐怖そのものだった。
絶対的な数は非常に少ないにもかかわらず、ティーガーを恐れる余りノイローゼに陥る兵士が出、「タイガーフォビア」(ティーガー恐怖症)なる言葉まで生まれるほどだった。
連合軍兵士はティーガーを見かけると立ち向かうよりも逃げ出したが、シュルツェンが装着されたIV号戦車のようにシルエットが似ているだけの戦車に対しても同様のことが起こった。連合国軍のティーガー撃破の報は、実際にはほとんどがIV号戦車だったという説もある。
ソ連のT-34もティーガーを恐れた。奇しくもそれは、かつてIII号戦車がKV-1を恐れたのと同じ構図だった。

その後

大戦後半になるとIS-2M26パーシングなどティーガーに匹敵する性能を持つ戦車が登場したため、ドイツはさらなる高性能車種VI号戦車B型「ティーガー2」を実戦に投入することになる。
これに伴って、ティーガー1の生産は1944年6月をもって終了した。
しかしティーガー2の生産開始以降もティーガー1は前線で戦い続け、最後の戦いとなったベルリン攻防戦にも参加した。

tiger-i-323-berlin-1945--06-.jpg
ブランデンブルク門の前で撃破されたティーガー。

また、実は同盟関係にあった大日本帝国陸軍はティーガー戦車のライセンス生産を検討しており、実際に1943年に1両を購入している。
購入されたティーガーは10月14日、フランスのボルドーより海運する予定でケーニヒスボルンのマグデブルクを出発した。
27日にはボルドーに到着するも、海路は既に連合国に制海権を握られていた為、発送は断念された。
戦局の悪化から日本へ輸送できなかったティーガーは結局ドイツ軍に無償貸与という形が取られ、後に第101SS重戦車大隊へ配備されている。
PC版WoTでは、この日本軍仕様のティーガーが「Heavy Tank No. VI」の名称でTier6車両として参戦している。

改良案

前述の7.5 cm Kw.K. 42 L/70を装備した砲塔を搭載するプランはH2型と呼ばれ、途中からこの型への移行を行う予定で設計が行われたが結局中止され、従来のタイプが最後まで生産された。
またこれとは別に、1943年後半には砲塔をそのままに8.8 cm Kw.K. 43 L/71を搭載する改良案が計画され、ヴェクマン社による試作が行われるが、完成が遅れたこともあり、同じ主砲を搭載するティーガーIIに譲る形で廃案となっている。

防御面では曲面装甲を車体前部に「装着」したいわゆる増加装甲プランがあったが、これは諸々の事情で、ペーパープランに終っている。

更に発展型として「F型」が計画されたとの事なのだが、これは記録や図面が発見されておらず、詳細は不明である。

派生型

Wikipediaより
250px-Bovington_Tiger_II_grey_bg.jpg
Panzerkampfwagen VI Ausführung B "Tiger II" (Sd.Kfz.182)
ティーガーIの発展型。更なる重装甲、重武装が施されている。ティーガーIの後継車両として生産された。

 

250px-Sturmtiger_Sins.jpg
シュトルムティーガー
38cm RW61 auf Sturm(panzer)mörser Tiger
損傷を受けたティーガーIを改造して製作された、38cm臼砲を搭載した突撃砲。

ベルゲティーガー
Bergetiger
ティーガーIをベースとした戦車回収車。ティーガーIの砲身部分をウィンチに換装している。
ティーガーの様な超重量級の戦車を牽引するために、破損したティーガーIを現地の野戦修理中隊が独自に改造した車両であり、軍に制式採用された物ではない。
第508重戦車大隊の所属とされる1輌のみの存在が確認されているが、破壊され不完全な状態の写真しか残されておらず、その実体は未だ不明確であり、回収戦車ではなく地雷除去作業車ではないかとの説もある。

 

※(H)=Henschel ヘンシェル社
  (P)=Porsche ポルシェ社

 

参考資料
Wikipedia ティーガーI

 

実車解説動画(英語音声&EUユーザー向け各国語字幕) Part 1
http://youtu.be/_JhKTKsdlB8

 

↓より詳しく知りたい方向け(かなりの長文です)

ティーガーI戦車の生産数

1942年 生産目標 生産数 1943年 生産目標 生産数 1944年 生産目標 生産数
1月 30 35 1月 93 93
2月 30 32 2月 95 95
3月 40 41 3月 95 86
4月 45 46 4月 95 104
5月 50 50 5月 95 100
6月 5 1 6月 60 60 6月 75 75
7月 15 0 7月 65 65 7月 58 64
8月 10 8 8月 70 60 8月 9 6
9月 15 3 9月 75 85
10月 16 10 10月 80 50
11月 18 17 11月 84 56
12月 30 37 12月 88 67
合 計 109 76 合 計 717 647 合 計 615 623

 
●構造

ティーガーI戦車の車体デザインは従来のドイツ陸軍戦車のものを踏襲しており、装甲板をほぼ垂直に組み合わせた箱型構造になっていた。これは、パンター戦車やティーガーII重車がソ連軍のT-34中戦車の車体デザインの影響を大きく受けたため、避弾経始を重視して傾斜装甲を多用したデザインにされているのに対し、ティーガーI戦車は原型の開発が第2次世界大戦前であり避弾経始はあまり考慮されていなかった。

車内レイアウトは車体前部が操縦室、車体中央部が全周旋回式砲塔を搭載した戦闘室、車体後部が機関室という常識的なものであった。
ティーガーI戦車の装甲厚は車体と戦闘室の前面が100mm、車体前面下部、車体側面上部、車体後面が80mm、車体側面下部が60mm、車体上/下面が25mmと非常に強力であり、1942年の時点で本車の前面装甲を貫徹できる火力を備えた連合軍戦車は存在していなかった。

しかし、強力な装甲を持つ反面、戦闘重量は57tにも達し、機動性の悪さが大きな欠点となってしまった。
大重量に対応してエンジンは出力650hpのマイバッハ社製HL210P45 V型12気筒液冷ガソリン・エンジンが機関室に搭載され、駆動軸を前方に延ばして車体前部に搭載された同社製の「オルファー」OG401216A半自動変速機(前進8段/後進4段)に動力が伝達され、最終減速機を介して起動輪を駆動させるようになっていた。

エンジンの左右には容量186リッターの燃料タンクが1個ずつ設置され、路上航続距離は195kmとなっていた。
ティーガーI戦車の足周りは原型のVK.30.01(H)で導入されたオーバーラップ式転輪配置を踏襲しており、片側8個の複列式転輪(直径800mm)を左右の位置をずらして挟み込むように配置していた。
サスペンションは、III号戦車と同様にトーションバー方式を採用していた。

左右側面のフェンダーを含めた車幅が3.705mと従来の戦車に比べてかなり広いため、鉄道輸送する際には車幅を狭めるために最外部の転輪を取り外して幅の狭い鉄道輸送用履帯を装着し、左右側面のフェンダーは取り外すようになっていた。
通常装着する戦闘用履帯は全幅725mm、鉄道輸送用履帯は全幅520mmでいずれも片側96枚の履板を用いて構成されていた。

砲塔は前述のようにライバルであったポルシェ社のVK.45.01(P)のものを流用していたが、砲塔が電気駆動方式であったのを油圧駆動方式に改めていた。
砲塔は圧延防弾鋼板を溶接した馬蹄形のもので装甲厚は前面が100mm、側/後面が80mm、上面が25mmとなっており、防盾部は鋳造製で装甲厚は85~250mmであった。

砲塔内には左側前方に砲手、その後方に車長、主砲を挟んで右側に装填手が位置するようになっていた。
主砲は、クルップ社製の8.8cm高射砲FlaK36を戦車砲に改修した56口径8.8cm戦車砲KwK36を装備していた。
この砲はPz.Gr.39徹甲弾を用いた場合砲口初速773m/秒、射距離500mで110mm、1,000mで100mm、2,000mで84mmのRHA(傾斜角30度)を貫徹することが可能であった。

さらにタングステン弾芯のPz.Gr.40高速徹甲弾を用いると砲口初速930m/秒、射距離500mで156mm、1,000mで138mm、2,000mで110mmのRHA(傾斜角30度)を貫徹することができ、1942年時点で存在した全ての連合軍戦車を遠距離から撃破することが可能であった。
主砲弾薬は車体各部に合計92発が搭載されたが、弾種については徹甲弾と榴弾を半分ずつ搭載するのが一般的であった。

主砲の俯仰は砲手席の右側に設けられた俯仰用ハンドルを用いて手動で行うようになっており、俯仰角は-9~+10度となっていた。
主砲の照準機は双眼式のTZF.9b照準望遠鏡(倍率2.5倍、視野角25度)が装備され、主砲防盾の左側には照準機の位置に2個の穴が開口されていた。

 
●生産型の分類

極初期生産型
ティーガーI戦車は全体の生産数が少ないこともありA、B、Cなどの型式分類は一切行われなかった。
ただし生産時期によって少しずつ変更が加えられているので、以下それについて記述する。

一般に「極初期生産型」と呼ばれているのが、大体1942年6月~1943年1月の期間に生産されたタイプである。
以下、このタイプの特徴を挙げていく。

まず車体前面のフェンダーが2段に折れた簡単な構造の鋼板になっていたが、これは極初期型の後期までである。
ライトは、車体前面左右に鋼材を組んだ台座を設けて取り付けられていた。
操縦手用視察口の装甲ヴァイザー上には、ヴァイザーを閉じた時使用するためのペリスコープ用の2つの穴が開けられていた。

砲塔左右側面の後部には、かなり大きくてごついガンポートが設けられていた。
また排気管カバーは標準装備ではなかったが、後のものと異なる左右に補強リブが見られるカバーが使用されている例が見られる。
砲塔後部には大型の雑具箱が取り付けられていたがこれは生産途中から標準装備となったもので、それ以前の車両にはIV号戦車のものを流用したり自作した雑具箱が取り付けられていた。

ティーガーI戦車の車体側面は前から後ろに斜めに下がっていたが、当初これは一直線でなく途中に段があった。
このため極初期型では側面フェンダーが一直線でなく、少し段が付いて取り付けられていた。
ただこれは、極初期型のさらに初期だけである。
なお極初期型のさらに初期では、車体後部左右の大型エア・フィルターがまだ装備されていなかった。

ティーガーI戦車はこれまでの戦車よりはるかに重量が重いため、橋が渡れない場合に備えて1942年8月の生産車から潜水渡河装置が装備されるようになり、これに併せて車体機関銃のボールマウントに防水用のカバー取り付け部が設けられ、車体の各部に防水シールが施された。
また砲塔の左右側面前方に各3基ずつ、発煙弾発射機が装備されるようになった。

初期生産型
ティーガーI戦車で「初期生産型」と呼ばれているのが、大体1943年1月~1943年7月の期間に生産されたタイプである。
初期型ではまず車体前面のフェンダーが前面上部装甲板と面一になり、幅が車体左右側面のフェンダーの先端位置まで拡げられた。

鉄道輸送する際には車幅を狭めるために最外部の転輪を取り外して幅の狭い鉄道輸送用履帯を装着し、左右側面のフェンダーは取り外すようになっていた。
初期型以降は前面フェンダーの幅が拡げられたため、車体からはみ出す部分はヒンジで折り畳むことができるようになっており鉄道輸送時には折り畳まれた。
極初期型では車体前面左右にあったライトは、車体上面最前部の左右に移されている。

操縦手用視察口の装甲ヴァイザー上のペリスコープは廃止されて2つの穴は当初は栓で塞がれていたが、後には初めから開けられなくなった。
砲塔左右側面のガンポートは、右側が廃止されて脱出用ハッチに変更されている。
排気管が灼熱して夜間敵に発見されるのを防ぐために、取り囲むようにカバーが取り付けられるようになった。

また、砲塔後部の大型雑具箱は標準装備となっている。
側面フェンダーは、極初期型にあった段が無くなって一直線になっている。
なおエンジンは初期型の途中(1943年5月半ば以降)から、排気量をHL210P45エンジンの21リッターから23リッターに増加させて出力を向上させたHL230P45 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力700hp)に変更された。

中期生産型
一般に「中期生産型」と呼ばれているのが、1943年7月~1944年2月にかけて生産されたタイプである。
中期型での変更点は多岐に渡っているが、初期型で車体上面最前部左右に設置されていたライトは当初左側のものが廃止され、後に車体前面中央部に移された。
主砲防盾には左側に主砲用照準機の照準口が2つ開けられていたが、この部分の防御力を強化するため部分的に装甲厚が増やされ段が付いた。

初期型までは車体周囲の5カ所に対人擲弾発射用のSマイン発射機が装備されていたが、これは次弾の装填には車外に出なければならずすぐ破損することもあり廃止された。
車体後部左右の大型エア・フィルターは、破損し易く不要であるとして廃止された。
また潜水渡河装置は実際にはあまり使用されなかったため、中期型以降では廃止された。

これに関連して、車体各部に用意されていた防水用のカバー取り付け部やシールの類いも廃止された。
砲塔上面の装填手用ハッチの前にはペリスコープが追加されたが、これは初期型の終わりからである。
砲塔左側面のガンポートはごついカバーから単純な装甲栓に変更され、後に廃止された。
砲塔左右側面前方に装備されていた発煙弾発射機はSマイン同様、再装填に乗員が外に出なければならず、やはり破損し易いため廃止された。

砲塔上面のヴェンチレイターはこれまで上面右後方にあったが、排気効率を改善するため中央に移された。
砲塔上面左側の車長用キューポラは、それまで筒型で周囲に防弾ガラス入りのスリットが設けられたタイプが使用されていたが、背が低く周囲にペリスコープが取り付けられた新型に変更されている。
なお車長用キューポラ上面のハッチは従来は片開き式であったが、新型キューポラでは一旦上に持ち上げてからスライドして開く形式に変更されている。

また砲塔側面には左側に5個、右側に3個の予備履帯取り付け具が取り付けられるようになった(初期型後期から)。
車体上面右後部には、鉄道輸送時などに主砲を固定するトラヴェリング・ロックが追加されている。
なおドイツ陸軍戦車独特の磁気吸着地雷を防ぐツィンメリット・コーティングは、中期生産型の中期から塗布されるようになり以後の生産車では標準となった。

後期生産型
一般に「後期生産型」と呼ばれているのが、1944年2~8月にかけて生産された最後のタイプである。
後期生産型の最も大きな変更点は、転輪が従来のゴム縁付きのものからゴムを内蔵した鋼製転輪に変更された点である。
これは戦略物資であるゴムの節約のためであるが、ゴム縁付き転輪と同様の緩衝効果を発揮できた。

その他では主砲先端の砲口制退機が周りの出っ張りが少ない小型のものに変わり、車体前部のフック掛けが干渉を防ぐため抉れたようになった。
また主砲の照準機が従来の双眼式から単眼式のものに変更され、照準口が1つになっている。
最初は双眼の穴1つを栓をして塞いでいたが、後に初めから1つしか開けられないようになった。

砲塔上面は、装甲厚が増厚されて防御力が高められた。
これはドイツ軍が制空権を失い、航空攻撃が大きな脅威となったことを象徴している。
また砲塔上面右側の装填手用ハッチは周囲の跳弾板が省かれて、ハッチそのものが跳弾効果が発揮できる形状に変更されている。

砲塔上面には近接防御兵器発射機が装備されるようになったが、これは砲塔内部から擲弾と発煙弾を装填発射できるもので、廃止されたSマイン発射機と発煙弾発射機に代わるものである。
同じく砲塔上面にエンジン等の交換用の2t小型クレーンを装備するための、「ピルツ」(Pilz:茸)と呼ばれる取り付け具が3つ追加されている。

また、砲塔基部周囲には防弾装甲リングが追加された。
誘導輪も、形状は似ているが小型のものに変更されている。
また、中期型で新設された主砲のトラヴェリング・ロックは廃止されてしまった。
以上のようにティーガーI戦車は生産時期によってかなりの変化があったことが分かるが、基本的な攻撃力、防御力、機動力に変化は無く、実戦を通して得られた戦訓から信頼性と使い勝手を向上させていったのである。

 
●部隊配備と戦歴

ティーガーI戦車は元々生産数が少ない上に、戦闘でも酷使されたためにその配備数はごく限られていた。
登録数で最大となったのは1944年7月だが、その時点でもわずか671両に過ぎなかった。
しかし、その伝えられる活躍ぶりはその数を補って余りある。
ティーガーI戦車は通常の主力戦車とは別の重突破戦車であり、その配属先は一部の例外を除いて通常の機甲師団ではなく独立した重戦車大隊となっていた。

第501重戦車大隊
ティーガーI戦車装備の重戦車大隊として最初に編制されたのが、1942年5月10日にテューリンゲン州のエアフルトで編制された同隊であった。
当初ポルシェ社製のVK.45.01(P)が配備される予定であったが、VK.45.01(P)の開発中止に伴ってヘンシェル社製のティーガーI戦車が配備されることになった。

当初の編制は2個中隊で、ティーガーI戦車の不足からティーガーI戦車20両に支援用のIII号戦車16両の混成配備となっていた。
同大隊は1942年11月、戦雲急を告げる北アフリカのチュニジアに送られてアメリカ軍相手に大活躍をした。
しかし物量を誇る連合軍の攻勢にはかなわず、アフリカ軍集団と共に1943年5月に降伏している。

なお1943年3月に第3中隊が編制されているがこれは北アフリカには送られず、同年6月に機甲擲弾兵師団グロースドイッチュラントに配属されてしまった。
その後1943年9月にドイツ本国で再編制され(3個中隊でティーガーI戦車45両)、東部戦線の中央軍集団戦区でソ連軍相手に奮戦するが戦力を消耗する。
1944年7月に、ティーガーII戦車を受領して再編制された。

第502重戦車大隊
同隊は、1942年5月25日にバイエルン州のバンベルクにおいて2個中隊で編制された(ティーガーI戦車とIII号戦車の混成)。
そのうち第1中隊はティーガーI戦車初の実戦投入として、同年12月に東部戦線のレニングラード戦区に投入されている。
しかし、初陣は戦区の地形の悪さもあり失敗であった。

1943年初旬には、150両以上の敵戦車を撃破して伝説的戦車長となるオットー・カリウス少尉が第2中隊に配属された。
同年4月には大隊に第3中隊が配属され、その後北方軍集団戦区で粘り強く戦い続ける。
1944年10月にソ連軍の攻勢で、北方軍集団はクールランドで切断包囲されてしまう。
この時第1、第2中隊は逃げ延びたが第3中隊は包囲され、第510重戦車大隊に加わる。

その後機材を置いて兵員のみドイツに戻り、ティーガーII戦車で再編制される。
一方第1、第2中隊は東プロイセンで戦いを続ける。
1945年1月5日付で第502重戦車大隊は第511重戦車大隊に名称変更され、同年2月には改編が行われて残ったティーガーI戦車は全て第2中隊に集められ、第1中隊は代わりにヘッツァー駆逐戦車を受領した。

第503重戦車大隊
同隊は1942年4月16日からベルリン北西のノイルッピンで編制が開始されたが、編制途中のまま大隊は8月初旬にオーストリアのウィーンに移動した。
9月からポルシェ社がティーガーI戦車の試作車として開発したVK.45.01(P)を用いて訓練が開始されたが、この車両の不採用が決定した後砲塔乗員はプトロス射撃訓練場、操縦手と整備要員はヘンシェル社に送られて同社製のティーガーI戦車に乗り換えるための訓練・研修を受けた。

1942年12月になってようやく大隊はティーガーI戦車20両とIII号戦車N型31両を受領し、これらを用いて2個中隊が編制され東部戦線の南方軍集団に配属されて戦った。
1943年7月のクルスク戦時には、3個中隊45両の編制で参加している。
その後、南方軍集団戦区で戦い続け完全に消耗する。

1944年5月、フランスに下がって再編制。
同年6月に第1中隊はティーガーI戦車を受領、第2、第3中隊はティーガーII戦車を配属される。
6月6日に始まったノルマンディー戦に投入されるが8月には全車両を失って後退し、後にティーガーII戦車で再編制される。

第504重戦車大隊
同隊は、1943年1月13日に2個中隊で編制された。
同年3月にイタリアに輸送され第1中隊はチュニジアに渡るが、第2中隊はシチリア島に残留した。
この後、5月に第1中隊はチュニジアで降伏している。
第2中隊は7月の連合軍のシチリア島上陸を迎え撃ち、8月にはイタリア本土に後退した。
この時、中隊に残されていたティーガーI戦車は1両だけだった。

この間、1943年4月に編制されていた第3中隊はイタリアには送られず、7月に機甲擲弾兵師団グロースドイッチュラントに配属されてしまった。
1943年末にドイツ本国で再編制されるが、この時第3中隊としてティーガーI戦車と無線操縦の爆薬運搬車を装備する第314戦車中隊が配属された。
大隊は1944年4月からフランスに駐屯するが6月にイタリアに移動し、終戦までそこで戦い続けた。

第505重戦車大隊
第505重戦車大隊は1943年2月12日に2個中隊で編制、4月に第3中隊が追加される。
5月に東部戦線中央軍集団戦区に送られ、7月にクールスクの戦いに投入されている。
その後同戦区を転戦し、数多くの戦果を上げる。
1944年7月にティーガーI戦車を補修部隊に引き渡し、ティーガーII戦車に改編された。

第506重戦車大隊
同隊は1943年7月20日に編制開始、初めからティーガーI戦車だけの3個中隊で編制された初めての大隊である。
9月に東部戦線南方軍集団戦区に送られ、ソ連軍のドニエプル攻勢に対抗して火消し役として活躍する。
1944年7月にはほとんどのティーガーI戦車を消失、残存車両を第507重戦車大隊に引き渡して後退、9月にティーガーII戦車装備で再編制された。

第507重戦車大隊
同隊は1943年9月23日に編制、1944年3月に東部戦線北部に送られ以後ポーランド方面を転戦した。
1945年2月にはほとんどの装備を消失し、3月にティーガーII戦車を受領して再編制された。

第508重戦車大隊
同隊は1943年8月25日に編制、12月に第3中隊としてティーガーI戦車と無線操縦の爆薬運搬車を装備する第313戦車中隊が配属された。
1944年2月にイタリアに送られ以後イタリアで遅滞戦闘に従事、1945年2月に残った装備を第504重戦車大隊に譲り、残った兵員はオーストリアからドイツに移動、再編制されることも無く残存兵員は歩兵として戦い降伏した。

第509重戦車大隊
同隊は1943年9月9日に編制、10月末に東部戦線中央軍集団戦区に送られ以後キロボグラード、キエフなどを転戦、チェルカッシィ戦の後1944年9月に残った装備を第501重戦車大隊に譲り本国に帰還、ティーガーII戦車で再編制される。

第510重戦車大隊
同隊は1944年6月6日に編制、8月に東部戦線北部に送られた。
以後、クールランドで戦う。
1945年3月、大隊は再編制のためドイツ本国に向かうが一部と車両はクールランドに残り、終戦まで戦い続けた。

機甲擲弾兵師団グロースドイッチュラント
国防軍のエリート部隊である自動車化歩兵師団「グロースドイッチュラント」(Großdeutschland:大ドイツ)に、戦車大隊グロースドイッチュラントの第13中隊として1943年1月にティーガーI戦車装備の戦車中隊が編入された。
第13中隊の前身は1941年にフランス軍からの捕獲戦車をもって編制された第203戦車連隊の第3中隊であり、ファリングボステルで受領した9両のティーガーI戦車の他に10両のIII号戦車を保有していた。

第13中隊は1943年3月の第3次ハリコフ戦に投入されたがティーガーI戦車の戦闘での損失は無く、5月には6両のティーガーI戦車が補充されて定数どおりの計15両のティーガーI戦車を揃えることができた。
1943年6月23日に自動車化歩兵師団グロースドイッチュラントは機甲擲弾兵師団グロースドイッチュラントに改称され、同時に戦車大隊グロースドイッチュラントは戦車連隊に拡大されることになった。

戦車連隊グロースドイッチュラントの第1大隊は旧大隊が編入され、第2大隊は第203戦車連隊の第2大隊が改称編入された。
第3大隊は第13中隊を中心に編制されることになり第13中隊は第9中隊に改称され、北アフリカ戦線に送られるはずだった第501重戦車大隊第3中隊が第10中隊として改称編入、同じく北アフリカに送られるはずだった第504重戦車大隊第3中隊が第11中隊として改称編入された。

第3大隊は定数どおりの計45両のティーガーI戦車を保有しており、1943年7月のクールスク戦には間に合わなかったが8月以降戦闘に加入しキロボグラード戦に参加、以後ルーマニアまで後退戦闘を続けた。
1944年11月に残った装備を第511(第502から名称変更)重戦車大隊に引き渡し、12月に重戦車大隊グロースドイッチュラントとして再編制された。
同大隊は東部戦線を転戦し、1945年3月にハイリゲンバイルの包囲戦で最後のティーガーI戦車を失った。

この他国防軍では無線操縦の爆薬運搬車を装備した第301(無線操縦)重戦車大隊に、1944年10月以降ティーガーI戦車31両が配備され西部戦線で戦った。
また第316(無線操縦)重戦車中隊にも10両が配備されており、ノルマンディー戦に投入された。
この他、1944年7月にパーダーボルンで編制された重戦車中隊フンメル(当初は臨時重戦車中隊ダンケルクという名称であった)にも14両のティーガーI戦車が配備されていた。

SS第101重戦車大隊
一方SS(武装親衛隊)でも、幾つかのティーガーI戦車装備の重戦車大隊が編制されている。
SS第101重戦車大隊は1944年春に、SS第1機甲師団LAHに配備されていたティーガーI戦車装備の重戦車中隊を基幹として編制された。

同年6月にノルマンディー戦に投入されたが、そこで同大隊所属の伝説的戦車長であるミヒャエル・ヴィットマンSS大尉が戦死したのは有名である。
同大隊はノルマンディー戦でほとんどの装備を失い9月にティーガーII戦車で再編制され、名前もSS第501重戦車大隊に変更された。

SS第102重戦車大隊
同隊は1944年春に編制され、やはり6月にノルマンディー戦に投入された。
カーン付近で激戦を演じたが後退戦闘で全てのティーガーI戦車を失い、1944年末にティーガーII戦車で再編制され名前もSS第502重戦車大隊に変更された。

SS第103重戦車大隊
同隊は1944年春に編制されたが、同大隊の場合ティーガーI戦車は充足せず、ノルマンディー戦では兵員装備をSS第101、第102重戦車大隊に提供しただけで自身は戦闘に参加していない。
その後ティーガーII戦車を受領し、SS第503重戦車大隊に名称が変更されている。

 
各車諸元

<VK.30.01(H)>

全長:    5.81m
全幅:    3.16m
車体高:   1.85m
全備重量: 32.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL116 4ストローク直列6気筒液冷ガソリン
最大出力: 300hp/3,000rpm
最大速度: 35km/h
航続距離:
武装:    24口径7.5cm戦車砲KwK37×1
装甲厚:   15~50mm

<VK.30.01(P)>

車体長:   6.60m
全幅:    3.20m
全高:    3.03m
全備重量: 30.0t
乗員:    4名
エンジン:  ポルシェ・タイプ100 4ストロークV型10気筒空冷ガソリン×2
最大出力: 420hp/2,500rpm
最大速度: 60km/h
航続距離:
武装:    56口径8.8cm戦車砲KwK36×1
装甲厚:   20~50mm

<VK.36.01(H)>

車体長:   6.05m
全幅:    3.14m
全高:    2.70m
全備重量: 36.0~40.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL174 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 550hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離:
武装:    75.5口径7.5cm口径漸減砲ゲレート0725×1
        7.92mm機関銃MG34×2
装甲厚:   20~100mm

<VK.45.01(P)>

全長:    9.34m
車体長:   6.70m
全幅:    3.14m
全高:    2.80m
全備重量: 57.0~59.0t
乗員:    5名
エンジン:  ポルシェ・タイプ101/1 4ストロークV型10気筒空冷ガソリン×2
最大出力: 640hp/2,500rpm
最大速度: 35km/h
航続距離: 80km
武装:    56口径8.8cm戦車砲KwK36×1 (70発)
        7.92mm機関銃MG34×2
装甲厚:   25~100mm

<ティーガーI戦車 初期型>

全長:    8.45m
車体長:   6.316m
全幅:    3.705m
全高:    3.00m
全備重量: 57.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL210P45 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 650hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 195km
武装:    56口径8.8cm戦車砲KwK36×1 (92発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (5,850発)
装甲厚:   25~100mm

<ティーガーI戦車 中期型>

全長:    8.45m
車体長:   6.316m
全幅:    3.705m
全高:    3.00m
全備重量: 57.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL230P45 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 700hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 195km
武装:    56口径8.8cm戦車砲KwK36×1 (92発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (5,850発)
装甲厚:   25~100mm

<ティーガーI戦車 後期型>

全長:    8.455m
車体長:   6.335m
全幅:    3.705m
全高:    2.855m
全備重量: 57.0t
乗員:    5名
エンジン:  マイバッハHL230P45 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 700hp/3,000rpm
最大速度: 40km/h
航続距離: 195km
武装:    56口径8.8cm戦車砲KwK36×1 (92発)
        7.92mm機関銃MG34×2 (5,850発)
装甲厚:   25~100mm

史実におけるティーガー戦車開発の系譜
車名D.W. 2VK 30.01 HVK 36.01 HTiger ITiger II
開発年19381939194119421943

コメント

このコメント欄の書き込みはWiki内ではなく、zawazawaに行われます。

書き込みに際し、コメントルールを遵守してください
コメントルールに違反したコメントを発見した際は反応せず、通報してください。非表示設定にしても通報は行われません。

Mバ報告などは戦果報告板へ。コンテナ(ガチャ)結果などはドロップ報告板へ。

【既存のコメントに関連したコメントをするとき】
既存のコメント文頭にある〇をクリック(選択)してから書き込んでください。
【長文コメントを書き込むとき】
折りたたみ機能を使用してください。詳しくは下記「折りたたみ機能について」を参照してください。
【創作ネタなどを書き込みたくなったとき】
癒しの休憩所 投稿する際の注意とお願い【必読】を熟読した上で図書館一号館/図書館一号館第二棟/図書館二号館のいずれかに書き込んでください。
【コメント内容を修正・削除したいとき】
詳しくは下記「ツリー化を間違えた場合」を参照してください。なおzawazawaでは他人のコメントを編集することはできません。

使用可能な書式はこちら

折りたたみ機能について
  1. 下、すべて見るからzawazawaにアクセスしてください。
  2. 下記画像で示されているボタンをクリック。
    Logicool G HUB 2023_06_12 17_05_47.png
    するとこのように表示される
    Screenshot 2023_06_12 17_09_11.png
  3. 下記画像のように、ラベルと記載されている部分をタイトルに、コンテンツと記載されている部分を本文に置き換える。
    ドロップ報告板 World of Tanks Blitz Wiki 掲示板 - zawazawa - Google Chrome 2023_06_12 17_08_07.png
  4. 画像で示されているプレビューボタンを押して問題がなければ送信。
ツリー化、枝化について

ツリー化、枝化とは?


  • コメント1 -- 2018-09-28 (土) 6:00:00
    • コメント1に関連したコメント2 -- 2018-09-28 (土) 7:00:00
    • コメント1に関連したコメント3 -- 2018-09-28 (土) 8:00:00
      • コメント3に関連したコメント4 -- 2018-09-28 (土) 9:00:00

上のように、関連するコメントを子要素にすることを「ツリー化」「枝化」などと言います。
この「ツリー化」を行わないと、どのコメントに対する意見なのか分かりにくくなることがあり、混乱を招くため、必ず関連するコメントをするときは「ツリー化」を行ってください。

  • ツリー化を行うには既存のコメント文頭にある、〇をクリック(タップ)し、●にしてからコメントを投稿してください。
    Desktop Screenshot 2019.09.28 - 01.24.40.13.png
  • zawazawaから投稿する場合は、既存コメント下部の+をクリックし、「>>〇(数字)」と表示された状態にしてからコメントを投稿してください。
    Desktop Screenshot 2019.09.28 - 01.25.44.30.png
    Desktop Screenshot 2019.09.28 - 01.25.52.09.png
ツリー化を間違えた場合

ツリー化を間違えた場合
投稿後にツリー化を行うことはできません。
後からツリー化を行う場合は、まず投稿したコメントの末端部分、投稿日時横の「zawazawaで見る」アイコンをクリック(タップ)します。
Desktop Screenshot 2019.09.28 - 01.24.48.37.png
リンク先で投稿したコメントの詳細表示がされるので、「削除」をクリック(タップ)して、投稿したコメントを削除してから、再度投稿しなおしてください。
Desktop Screenshot 2019.09.28 - 01.25.32.74.png

ログインするメリットとなりすまし防止

ログインするメリットとなりすまし防止

zawazawaによるコメント欄は、もちろんログインせず、誰でも書き込むことが可能ですが、ログインすることにより以下のようなメリットがあります。

  • 「なりすまし」が行われない
    「なりすまし防止」欄で解説していますが、エイリアスがログインすることにより固定されるため、他人からなりすましをされる可能性が極めて低くなります。
  • コメントごとに「通報」を行うことが可能
    ログインすることでコメントごとに通報をすることが可能になります。
    詳しくは「コメントを通報するには」へ。
  • ログインしても匿名性を保てる
    通常、ログインするとハンドルネームが表示されてしまいますが、「アカウントと関連付けない」を選択してから投稿すると、ログインしてないコメントと同様に表示されます。

Diffanaと異なり、メールアドレス、Twitterから登録可能で、本Wikiの運営会社(wikiwiki.jp)が運営しているので、比較的信頼度の高いサービスとなっています。

また、zawazawaによるコメント欄では、どのコメントとどのコメントが同一人物なのか、ある程度特定することが可能です。

  1. 同一かどうか確認するには、まず各コメント欄上部にある「すべて表示」をクリック(タップ)します。
  2. 各コメントの投稿日時の後ろに、英数字が記載されていますが、これは「エイリアス」といい、ブラウザ、回線等を総合的に判断して乱数によって自動的に設定されます。
    comment2.png
    このエイリアスを確認することにより、投稿されたコメントがどのコメントと同一人物なのかを判断することができます。
    また基本的にブラウザ、回線を変更してもこのエイリアスは変更されないため、なりすまし防止にも役立ちます。
コメントを通報するには

コメントを通報するには

ページと関係ないコメント、他人の誹謗中傷、晒しコメントなど、不適切なコメントはコメントごとに通報することができます。

  1. 通報を行うには、まず通報したいコメントの末端に表示される、「zawazawaで見る」をクリック(タップ)します。
    rip1.png
  2. 当該のコメントがzawazawaで表示されるので、「通報...」をクリック(タップ)します。
    なお通報する際はzawazawaアカウントでのログインが必要ですが、通報自体は匿名で行われます
    rip2.png
  3. 通報の理由を記入し(任意)、送信をします。
    rip3.png

また通報用フォームや運営掲示板から通報をすることも可能です。

過去のコメントはアーカイブから参照してください(表示されている場合のみ)。

アーカイブ アーカイブ2



*1 On Vehicle Materialの略。車外装備品の意。
*2 自信のない人は戦術指南所のテクニックを参照
*3 目安としては主砲とフェンダーが少し重なる程度の角度
*4 ゲーム内では89mmだが、参照のBlitzHangerでは88mm
*5 泥除け
*6 Army Base Repair Organisation、陸軍基地修理機構
*7 いわゆるトルクコンバータ。オートマ車の変速機によく用いられる
*8 7.5cm砲用の砲塔は1,650mm、8.8cm砲用は1,850mm
*9 ヒトラーは戦況の一発逆転を狙えるような「超兵器」を求めていた。そのため、実用性よりもカタログスペックを重視していたとも言われる
*10 魚雷用のものを流用していた
*11 なおエンジンは空冷である。
*12 採用されると疑わなかったポルシェ博士が発注したという説もある。いずれにせよあまりにも見切り発車が過ぎる事態だが。
*13 15分足らずで戦車を少なくとも12台撃破している。