ドイツ RankIII 軽巡洋艦 Leipzig(1944)
概要
1.97で実装されたドイツ海軍の軽巡洋艦。
ドイツが建造した最後の軽巡ライプツィヒ級の一番艦。
艦艇情報(v2.**)
必要経費
必要研究値(RP) | 61,000 |
---|---|
艦艇購入費(SL) | 230,000 |
乗員訓練費(SL) | 65,000 |
エキスパート化(SL) | *** |
エース化(GE) | *** |
エース化無料(RP) | *** |
バックアップ(GE) | *** |
護符(GE) | *** |
BR・報酬・修理
項目 | 【AB/RB】 (初期⇒全改修完了後) |
---|---|
バトルレーティング | 5.3 / 5.3 |
RP倍率 | 1.6 |
SL倍率 | 2.7 / *** |
最大修理費(SL) | 3,500⇒*** / 4,300⇒*** |
艦艇性能
項目 | 数値 |
---|---|
【AB/RB】(初期⇒全改修完了後) | |
シタデル装甲 (前/側/甲板)(mm) | 70 / 50 / 20 |
主砲塔装甲 (前/側/後)(mm) | 30 / 20 / 20 |
船体 | 鋼, 20 mm |
上部構造物 | 鋼, 8 mm |
排水量(t) | 8515 |
最高速度(km/h) | 51⇒*** / 51⇒*** |
乗員数(人) | 884 |
武装
種類 | 名称 | 砲塔 | 搭載基数 | 弾薬数 | 購入費用(SL) |
---|---|---|---|---|---|
主砲 | 15 cm/60 SK C/25 cannon | 三連装 | 3 | 1080 | *** |
副砲 | 8.8 cm/76 SK C.32 anti-air cannon | 連装 | 3 | 2400 | *** |
対空砲 | 2 cm/65&bf;C/30 automatic cannon | 単装 | 7 | 14000 | - |
2 cm/65&bf;Flakvierling 30 automatic cannon | 四連装 | 2 | 16000 |
弾薬*1
艦砲
武装名 | 砲弾名 | 弾種 | 弾頭 重量 (kg) | 爆薬量 (g) | 初速 (m/s) | 信管 遅延 (m) | 貫徹力(mm) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1000 m | 2500 m | 5000 m | 7500 m | 10000 m | 15000 m | |||||||
15 cm/60 SK C/25 | 15 cm Spgr. L/4.5 Kz (m.Hb) | HE | 45.5 | 3910 | 960 | - | 37 | |||||
15 cm Spgr. L/4.4 Bdz (m.Hb) | SAPBC | 45.5 | 3320 | 960 | 5 | 141 | 122 | 102 | 88 | 79 | 67 | |
15 cm Spgr. L/4.5 Zt.Z | HE-TF | 44.8 | 3910 | 960 | - | 37 | ||||||
15 cm Pzgr. L/3.7 (m.Hb) | APCBC | 45.5 | 1320 | 960 | 6 | 281 | 245 | 204 | 177 | 157 | 153 |
小口径砲
武装名 | 砲弾名 | 弾種 | 弾頭 重量 (kg) | 爆薬量 (g) | 初速 (m/s) | 信管 遅延 (m) | 貫徹力(mm) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
100 m | 1000 m | 2000 m | 3000 m | 4000 m | 5000 m | |||||||
8.8 cm/76 SK C/32 | Sprg. L/4,5 | HE | 9 | 698 | 1060 | - | 11 | |||||
Sprgr. L/4,5 Zt.Z. | HE-TF | 9 | 698 | 1060 | - | 11 |
武装名 | ベルト名 | ベルト内容 | 貫徹力(mm) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | 2000m | |||
3.7 cm SK C/30 | 既定 | HE/APCBC | 87 | 84 | 73 | 63 | 56 | 51 |
機銃
武装名 | ベルト名 | ベルト内容 | 貫徹力(mm) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | 2000m | |||
2 cm/65 C/30 C/38 | 既定 | AP-T/AP/HEF-T/HEF | 36 | 34 | 28 | 23 | 20 | 17 |
追加武装*2
追加武装: なし
カモフラージュ
研究ツリー
解説
特徴
ドイツ巡洋艦で最初に手に入るBR5.7の軽巡洋艦。
主砲性能はBR5.3としては高めの性能だが装甲は薄めとなっている。
【火力】
主砲は60口径15cm3連装砲を前部1基・後部2基の合計3基9門搭載。
以前は一時弾薬庫があったが現在は取り払われ毎分8発を維持し続ける事が可能となった。
使用可能な砲弾は榴弾(HE)半徹甲弾(SAPBC)時限信管榴弾(HE-TF)徹甲榴弾(APCBC)の4種類。
60口径の長身砲から放たれる半徹甲弾や徹甲榴弾は高初速だが重量が軽いためか貫徹力は口径の割におとなしめ。
対空性能は次に開発できるケルンより上、20mm機関砲がより多く配置され近距離防空の密度が増した。
一方でケルンや二番艦ニュルンベルクと違い魚雷を搭載する事は出来ない。
【防御】
船体装甲は外側が50mm~25mm・内側25mm・水線下15mmのおなじみタートルバック装甲を採用している。
複数の装甲で守られているとはいえ薄いため6インチ級の徹甲弾には容易に抜かれてしまう。
主砲砲塔の装甲はケルンと変わらず正面30mm・他20mmのままであり相変わらず打たれ弱い。
揚弾筒を守るバーベットは30mmと薄い、残念ながら次のケルンも同じ厚さである。
艦橋モジュールは100mmの圧延硬化装甲でしっかりと守られておりとても頑丈。
ただし二番艦ニュルンベルクとは違い無線モジュールまでは守られていない。
【機動性】
駆動系パーツ全改修によりRBで59km/h(32kt)となっている。
史実
前級のケーニヒスベルク級の改良型として建造された軽巡洋艦。1931年就役。
ケーニヒスベルク級に新機軸・新技術を詰め込みすぎた反省から、無難・基本的なスタイルにまとめられた。
実はケーニヒスベルク級より排水量が増えて制限をオーバーしていたが、対外的には6000トンと公表された。
まあ日本にもあれやこれや実例あったし多少はね……?
続いて建造された同型艦「ニュルンベルク」と合わせてライプツィヒ級とされるが、実際には「ニュルンベルク」はさらに船体サイズが5mほど延長されており、準同型艦とするほうが妥当である。建造時期も5年も離れている……が同型艦ということにされた。政治とかいろいろあったので。
設計は前級でやりすぎた艦体軽量化を見直して構造を強化。主砲のオフセット配置もやめて中心線上に直している。
上部構造物の配置を修正したほか、最も目立つ変化は二本だった煙突を集合煙突化し1本にしたこと。
一方でケーニヒスベルク級であまり良好な結果を残したとは言い難いハイブリッド式機関はそのまま流用された。
ただしディーゼル専用の推進軸が1本増えて3軸推進となり、タービンとディーゼルを同時に稼働できるようになった。
電気溶接の使用範囲もさらに増やされており、艦全体の90%にもおよぶ。
1928年4月に仮艦名「E」としてヴィルヘルムスハーフェンで起工。1929年10月進水、1931年10月8日就役。
就役後はバルト海を中心に訓練と練習航海を繰り返し、1934年には「ケーニヒスベルク」とともに第一次大戦終結後初となるイギリス本土への親善寄港を行っている。
1936年にはスペイン内戦に参加。スペイン沖で警戒監視などを行う。
第二次大戦開戦時にはポーランド海軍を封鎖するため進出。その後北海で機雷敷設にあたる。
1939年11月、通商破壊作戦支援のため移動中、キール軍港で砲術練習艦ブレムゼと衝突しそのままドック入り。
翌12月、修理を終えた「ライプツィヒ」は「ケルン」「ニュルンベルク」とともにイギリス東岸での機雷作戦のために出撃。
途中、ノルウェーの商船と遭遇し臨検中にイギリス海軍の潜水艦「サーモン」の雷撃を機関室に受ける*3。
ボイラー室が浸水し一時航行不能寸前まで行ったが、ディーゼル機関が無事だったため1軸推進10ノットという低速で何とか離脱し帰還に成功する(途中でボイラーの応急修理に成功して20ノットに回復できた)。帰路にイギリス潜水艦「ウルスラ」から再び雷撃を受けたがこちらは命中しなかった。
大損害のため完全な修理は断念され、大破したボイラー室は居住区に改装して宿泊艦となることが決まる。
――のはずだったが、ノルウェー侵攻で軽巡・駆逐艦クラスを多数失ったことから方針は撤回され、練習巡洋艦として近海に限定して活動することになった。
バルバロッサ作戦が発動すると「エムデン」らと海上からの砲撃支援につく。1942年には練習艦隊旗艦も務める。
その後1943年3月に一時退役・8月に復帰(バレンツ海海戦の不手際で海軍がヒトラーの勘気を蒙った余波とも言われる)
翌年1月、完全復旧を目指してドック入りするものの、想像以上に状態が悪く、また電子装備なども完全に一新するとなると予算面でも資材面でも厳しいと判断され、結局完全修理は最後まで諦められた。
9月に艦隊に復帰し、装甲艦「アドミラル・シェーア」とバグラチオン作戦で孤立したバルト海沿岸への増援に向かう。
しかし10月15日深夜、濃霧の中で重巡「プリンツ・オイゲン」が左舷から衝突。この事故で27人が死亡*4し、竜骨まで及ぶ大破孔を生じる損傷を負った。両艦を引き離すと破孔からの浸水で沈没する危険があったため、衝突したままの状態で応急処置が終わるまで14時間を要した。
この事故の原因として前述のハイブリッド機関の切り替え時のミスで推進力を失い、立ち往生したところにオイゲンに突っ込まれたとする記述が多いが、実際のところは定かでない。
ゴーテンハーフェン港(ポーランドのグディニャ)に曳航されてドック入りするが、すでに東部戦線は敗色濃厚であり、赤軍が近づく情勢下での修理は困難と判断された。
竜骨を一応修繕して破孔を塞ぎ、接岸したままでの宿泊艦、あるいは浮き砲台として活用することになった。
年が明けて45年、赤軍の侵攻がさらに進むと東プロイセン地方に250万人以上のドイツ軍民が孤立。これを救出するために海軍の残存総力が投じられることになった。
「ライプツィヒ」も投入するために急いで修繕が進められ、数ノットという低速ながら一応自力航行が可能な状態に何とか復帰、ハンニバル作戦と命名されたこの救出作戦に従事した。
押し寄せるソ連軍に対して「シェーア」「オイゲン」ら僚艦とともに砲撃支援を実施し、また避難民の輸送にあたった。
5月、難民を満載した「ライプツィヒ」はデンマークのオーベンローに到着。ここで終戦の報を聞く。
終戦後、ヴィルヘルムスハーフェンに帰港。ドイツ近海に投下された機雷の掃海にあたる掃海協会(と改名させられたドイツ海軍)の兵員宿泊船となり、掃海作業がひと段落した翌46年7月、スカゲラク海峡で海没処分された。
--加筆求む--
小ネタ
- 一時弾薬庫は何処に?
ケルンやニュルンベルクとは違い一見すると存在しないように見える一時弾薬庫。
実はソ連のチャパエフやスヴェロドルフと同じく砲塔内部に詰め込まれている。
PCならAnselとX線モードを駆使して見物可能、30発も詰め込まれているため3列に並べて置かれている。
- 艦首の紋章は?
艦首に輝く紋章は艦名の由来であるザクセン州ライプツィヒの市章である。
外部リンク
コメント
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