Admiral Graf Spee

Last-modified: 2024-03-17 (日) 02:47:25

ドイツ RankV 重巡洋艦 Admiral Graf Spee

Spee.jpg

概要

アップデート1.95“Northern wind"で実装されたドイツの装甲艦。
WarThunderでは初の8インチ(20.3cm)超えとなる28.3cm砲を搭載、実装時点ではゲーム内最大の砲だった。
--加筆求む--

艦艇情報(v1.**)

必要経費

必要研究値(RP)220,000
艦艇購入費(SL)610,000
乗員訓練費(SL)180,000
エキスパート化(SL)690000
エース化(GE)1700
エース化無料(RP)***
バックアップ(GE)80
護符(GE)***

BR・報酬・修理

項目【AB/RB】
(初期⇒全改修完了後)
バトルレーティング5.7 / 5.7
RP倍率196
SL倍率150 / 150
最大修理費(SL)4630⇒6019 / 5890⇒7657

艦艇性能

項目数値
【AB/RB】(初期⇒全改修完了後)
シタデル装甲
(前/側/甲板)(mm)
100 / 100 / 30
主砲塔装甲
(前/側/後)(mm)
140 / 80 / 170
船体鋼, 25 mm
上部構造物鋼, 12 mm
排水量(t)16320.0
最高速度(km/h)45⇒*** / 45⇒***
乗員数(人)1175

武装

種類名称砲塔搭載基数弾薬数購入費用(SL)
主砲283 mm/52
SK C/28
三連装27207
副砲15 cm/55
SK C/28
単装816004
10.5 cm/55
SK C/28
連装32520-
対空砲3.7 cm
SK C/30
連装416000-
2 cm/65
C/30
単装1428000-

弾薬*1

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艦砲

武装名砲弾名弾種弾頭
重量
(kg)
爆薬量
(g)
初速
(m/s)
信管
遅延
(m)
貫徹力(mm)
1000 m2500 m5000 m7500 m10000 m15000 m
283 mm/52
SK C/28
Spgr L/4.4 KzHE30023,330910-80
Psgr L/4.4APCBC3007,84091010538495439398365319
Spgr L/4.4SAPBC30016,94091010267235197172154131
 
武装名砲弾名弾種弾頭
重量
(kg)
爆薬量
(g)
初速
(m/s)
信管
遅延
(m)
貫徹力(mm)
1000 m2500 m5000 m7500 m10000 m15000 m
15 cm/55
SK C/28
Spgr. L/4.5 Kz (m.Hb)HE45.53,910835-37
Pzgr. L/3.7 (m.Hb)APCBC45.51,3209606281245204177157133
Spgr. L/4.4 Bdz (m.Hb)SAPBC45.53,3209605141122102887967
 
武装名砲弾名弾種弾頭
重量
(kg)
爆薬量
(g)
初速
(m/s)
信管
遅延
(m)
貫徹力(mm)
1000 m2500 m5000 m7500 m10000 m15000 m
10.5 cm
SK C/33
Sprgr. L/4.4 Zt.ZHE-TF15.11,550900-20
 
 

機銃

武装名ベルト名ベルト内容貫徹力(mm)
10m100m500m1000m1500m2000m
3.7 cm SK C/30既定HE/APCBC878473635651
 
武装名ベルト名ベルト内容貫徹力(mm)
10m100m500m1000m1500m2000m
2 cm/65
C/30 C/38
既定AP-T/AP/HEF-T/HEF363428232017
 

追加武装*2

分類名称搭載数費用
(SL)
搭載条件
魚雷533 mm G7a8290-

魚雷

名称重量
(kg)
爆薬量(kg)水中最大速度
(km/h)
(初期⇒改修)
射程
(km)
(初期⇒改修)
533 mm G7a1528358.481⇒566⇒14

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条件
説明

研究ツリー

前艦艇KMS Koln
派生艦艇
次艦艇SMS Kaiser
 
 

解説

特徴

重巡よりも砲火力が高く、戦艦より足が速いという設計理念のもと作られた「ポケット戦艦」たるドイッチュラント級の3番艦。
その理念通り1.95時点で最も強力な艦砲を搭載し装甲も「重巡としては」優秀。
対空性能も堅実で主砲の旋回速度も驚くほど早い。

 

【火力】
主砲は28.3cm3連装砲塔を2基搭載、それぞれ前後に1基づつ配置され合計6門となっている。
使用可能な弾種はHE・APCBC・SAPBCの3種、現状では徹甲弾を使わずともHEで十分な事がほとんど。
そのHEは重量300kg・初速910m/s・炸薬量23.33kgと凄まじい、ちょっとした航空爆弾を放つようなものである。
 
1.99で通常のHEは巡洋艦に対する艦内部への直接的な加害力が激減し火災程度しか狙えなくなった。
そのため巡洋艦を狙う場合はAPCBCとSAPBCが主力となる。
 
戦艦クラスの3連装重装甲砲塔だが砲塔旋回速度はパーツ改修済みで7.2°/秒とストレスを感じないほど早い。
アドミラル・ヒッパー級の主砲が8°/秒なのでほぼ同じ速度と言える。
装填速度は遅く乗員の装填スキルMaxでも30.25秒となっている、ただしエース化で26.3秒とかなり早くなる。
 
更に副砲として15cm単装砲を両舷に4基づつ、合計8門搭載している。
弾種はHE・APCBC・SAPBCの3種、ちなみにHEは45口径砲と同性能でAPCBC・SAPBCは60口径砲と同性能。
こちらは砲塔の旋回速度が遅めだが装填速度は乗員スキルMaxで5.63秒・エース化で3.75秒とやたら早い。
 
対空砲は10.5cm連装砲3基・3.7cm連装砲(機関砲型ではない)4基・20mm機関砲14門と堅実な装備となっている。
ABでは少し不安が残るがRBではそれなりに活躍してくれる。
 
魚雷も搭載、ドイツ巡洋艦では初となる4連装魚雷発射管を2基後部に搭載している。
砲戦力が充実しているため見落としがちな武装だが開発により(速度は大幅に落ちるものの)14kmもの射程となる。
射界が広いため扱いやすく射線ガイドにより敵の動きを把握しやすいなど利点も多い、
敵の進出ルートやリスポン地点に流しておくと思わぬ戦果を得られる事も。

 

【防御】
舷側装甲100mm+内部装甲40mmの合計140mmが重要区画の主な装甲となる。
主砲装甲は正面140mm・側面80mm~75mm・バーベット125mmと榴弾程度では傷つかないだけの装甲を持つ。
ただしアドミラル・ヒッパー級で見られた危険な弾薬庫配置はこの船でも健在、
二弾重ねの弾薬庫と巨大な揚弾筒を囲むように配置された弾薬は装甲を撃ち抜ける相手には格好の弱点となってしまう。
アップデートにより揚弾筒を囲む弾薬は撤去された。
 
強力な武装を備える本艦だが戦艦ではないので装甲も重巡洋艦レベルである、
15cm砲クラス相手なら十分な装甲ではあるが20.3cm砲の徹甲弾が相手となると撃ち抜かれてしまう事も。

 

【機動性】
駆動系パーツを全改修しても28ノット(53km)とかなり遅めとなっている。

 

史実

「アドミラル・グラフ・シュペー」はドイッチュラント級装甲艦3番艦。艦名は第1次大戦の未成巡洋戦艦に次いで2隻目(実質初代)。
ちなみにドイツ語の発音としては「アトミラール」のほうが正しいが、日本では慣例的に「アドミラル」で通る。
艦名は第一次大戦の東洋艦隊司令官で、フォークランド海戦で戦死したマクシミリアン・フォン・シュペーから。
以下「グラフ・シュペー」と表記する。

装甲艦とは

ヴェルサイユ条約下のドイツに対しては「旧型戦艦の代替に限り」基準排水量1万トン以上・28cm砲装備の艦艇建造が認められていた。
この制限の上限いっぱいを使って出来るだけ有力な戦闘艦を作ろうとしたのがドイッチュラント級装甲艦である。
戦艦と称すると戦勝列強諸国から不要な疑念を抱かれると考えたのか、Panzerschiff「装甲艦」という名を使った(元々は条約に書かれたフランス語Cuirasséが由来で、それは戦艦を表す表現だったのだが)。
コンパクトな有力艦として各国の注目を集め、イギリスの記者からは「ポケット戦艦」、日本では「豆戦艦」等と呼ばれた。
第二次大戦が始まり条約が無意味になってからは艦種を正式にSchwerer Kreuzer(重巡洋艦)に変更された。

ドイッチュラント級について

先述の通り、ヴェルサイユ条約で認められた制限の上限一杯を使った戦闘艦として開発がスタートした。
しかしその設計は試行錯誤が重ねられ、いくつも試作案が作られたことが現在ではわかっている。
当時の仮想敵国はフランスとポーランドで、前者は戦艦複数の低速重艦隊、後者は軽装高速水雷艦隊が主力だった。
そのため基本的に「ポーランド艦隊を凌駕する砲火力」と「フランス艦隊を凌駕する高速力」の両立が求められた。
これらの能力はまた、ソ連や北欧4国の巡洋艦・海防戦艦等の主力艦艇に対しても有効であると結論された。
21cm砲・30.5cm砲などが検討されたが、最終的に採用・完成された設計は28cm三連装砲2基6門・最大28ノットとなった。
ただし火力と速度と排水量を満たす代償として防御装甲が削られたため、自分の主砲である28cm砲どころか実際に重巡級の20cm砲にも耐えられない艦であったとされている。
しかしヨーロッパ列強諸国はこの艦の速力と攻撃性能をまさに自分たちの軍備の(戦艦と巡洋艦の)間を突いたものとして捉え、戦艦・巡洋戦艦を高速近代化改修したり新規に建造を進めたりした。

 

先述の通り、軽量化と高速力も設計上で重要なポイントだった。
三連装砲塔も門数を維持しながら砲塔を減らす軽量化の一環で、軽合金の多用や電気溶接の導入も行った。
これらは先行して建造されたケーニヒスベルク級軽巡洋艦で取り入れられた技術の活用である。
それでも排水量は制限を1700tほどオーバーしていたが、対外的には1万トンということにされた。無理がないか⬅黙っていれば、バレないさ。どうせ罰則規定も無いんだし。
機関も燃費が向上し、スペースが削減でき、トータル重量も減らせる大型高出力のディーゼル機関のみで構成された。
しかし当時のディーゼル機関はまだ故障が多くコストがかさみ、低品質重油では出力が上がらないなど問題も多かった。
また燃料をあらかじめ予熱装置で加熱してから機関に送らないといけなかったのだが、加熱用の蒸気を送る配管が一部非装甲区画を通っており、これが後述の「シュペー」喪失の原因にもなった。

「グラフ・シュペー」の戦歴

設計変更が行われており、1番艦「ドイッチュラント」とは艦橋形状が異なっているのが特徴である。
1932年10月ヴィルヘルムスハーフェン工廠で起工。1934年6月に進水し、1936年1月6日就役。
慣熟訓練後スペイン内戦に参加し警戒監視に当たる。
1937年に行われたジョージ6世戴冠記念観艦式に参加し、各国海軍の有力新鋭艦の一隻として注目を浴びる。
1939年開戦前の8月下旬に「ドイッチュラント」と前後してヴィルヘルムスハーフェンを出撃、開戦後は通商破壊作戦に従事する。
艦長ハンス・ラングスドルフ大佐の指揮の元、12月にラプラタ沖海戦で自沈するまでの3か月半―実質的にはそのうちの2か月で9隻5万トンもの貨物船を沈め、イギリス海軍を悩ませた。
ラングスドルフ大佐は(第一次大戦で彼らの先輩がしたのと同様に)敵船からの乗組員の退船や救難信号の発信を待ってから拿捕あるいは撃沈しており、捕虜とした船員にも戦時国際法を遵守した取り扱いを行い、尊敬を得たという。
とはいえそれは遵法精神や騎士道精神というだけでなく、救難信号の発信によって「グラフ・シュペー」が活動していることを知らしめ、イギリス海軍の戦力を割かせるという作戦目的に沿ったものでもあった。そして事実、イギリス海軍は「ドイッチュラント」「グラフ・シュペー」の通商破壊作戦に対して戦艦3隻空母4隻巡洋艦16隻駆逐艦多数を大西洋からインド洋の広範囲に展開させ、さらに輸送船団に多くの護衛艦を張りつけなければいけなくなったのである。
12月6日、照明をつけて夜間訓練を行ったところ、これを見た船が近くにいてイギリス海軍に通報される。
さらに翌日別の貨物船が拿捕されたことから「グラフ・シュペー」の現在位置を絞り込んだイギリス海軍は巡洋艦を主力とする「G部隊」を追撃に投入する。
12月13日、「グラフ・シュペー」はG部隊のリアンダー級軽巡「エイジャックス」「アキリーズ」、ヨーク級重巡「エクセター」に捕捉され戦闘が始まる。ラプラタ沖海戦である。

「グラフ・シュペー」の側では最初1隻の軽巡と2隻の駆逐艦と誤認した。これが輸送船団の護衛であると考えて近づいたのだが実際は違っており、気づいたときにはすでに離脱不可能な状態に陥っていた。
対するイギリス海軍の3隻は1隻ずつの能力上では不利だった。しかしG部隊司令官のヘンリー・ハーウッド准将は「エクセター」で引き付け「エイジャックス」「アキリーズ」で挟撃する作戦を立てた。
「グラフ・シュペー」はハーウッドの目論見通り、まず「エクセター」に攻撃を集中した。複数の命中弾で「エクセター」は炎上し一時は浸水・戦闘不能に追い込まれたが、2隻の軽巡が「グラフ・シュペー」を追撃して猛攻撃を加えた。しかし反撃を受けて「エイジャックス」の主砲2基が損傷し、戦闘が中断したため「グラフ・シュペー」は戦場からなんとか離脱できた。
艦長ラングスドルフ大佐は中立国ウルグアイのモンテビデオ港で修理を行おうとしたが、ウルグアイ政府はイギリスからの圧力もあって72時間の停泊しか認めなかった。
交戦で燃料予熱用の蒸気パイプと食料庫が破壊されており、長距離の航海ができる状態ではなかった。装甲も貫通され浸水も起きていた。このまま戦っても勝ち目はないと判断したラングスドルフ大佐は、操艦に必要な最低限の人員だけを残して残りの乗組員と捕虜60名以上を輸送船に移し、12月17日18時にモンテビデオ港を出港。1時間半後、ラプラタ川河口で艦を爆破、自沈擱座させた。

○その後
ラングスドルフ大佐は艦と運命を共にするつもりだったが部下たちによって連れ出され、アルゼンチン(ラプラタ川をはさんだ隣国で親独)の海防戦艦に救助された。しかしその後、ブエノスアイレスのホテルで拳銃自決した。
乗組員はウルグアイ・アルゼンチンで戦争終結まで抑留され、そのうちの何割かは両国に帰化して暮らしたという。
ヒトラーは自沈という結末に対して「死ぬまで戦わなかった」と非難したが、実際戦える状態ではなかったし、G部隊を退けてもH部隊―戦艦「レナウン」・空母「アークロイヤル」・重巡2隻軽巡1隻がラプラタ沖に向かって集結中だった。
2004年、ウルグアイ政府は「グラフ・シュペー」の残骸の引き揚げを開始すると発表した。公的な理由は残骸が港の航路に支障することだった。
引き上げられた後はモンテビデオの海事博物館に展示する予定だったが、ドイツ連邦政府の抗議や過激なネオナチ支持者の活動などの問題も一緒に浮上し、最終的に2009年に全ての作業は中止された。

姉妹艦のその後

1番艦「ドイッチュラント」は開戦後「国名を冠した艦が万一沈んだら戦意に悪影響」とされ「リュッツオウ」に改名。
2番艦「アドミラル・シェーア」とともに戦争前半は通商破壊に、後半はバルト海での対地支援に活躍した。
「リュッツオウ」「シェーア」はともに終戦直前の空襲で損傷し、大破した「シェーア」は放棄された。
「リュッツオウ」はポーランドの港で着底したものの戦闘可能だったので乗員は死守を命じられ、押し寄せてくるソ連軍を相手に「戦艦対戦車」という戦史上希に見る激戦を展開し、ソ連軍が誇る重戦車を次々と粉砕。最終的に自爆して放棄されるが、圧倒的な火力はソ連軍を恐怖させたという。戦後、ソ連に接収されたが修理不可と判定され、標的艦としてバルト海に沈んだ。
「シェーア」はキールで転覆沈没し、戦後の港の拡張の際、残骸ごと埠頭に埋め立てられた。

ちなみに英重巡ヨーク級の実装によってラプラタ沖海戦の参加艦4隻全てがWTに実装されたことになり、再現が可能になった。
--加筆求む--

 
ドイッチュラント級装甲艦
1Deutschland?-
2Admiral Scheer?-
3Admiral Graf Spee-

小ネタ

--加筆求む--

外部リンク

 

WarThunder公式英語Wiki

 

公式Devログ

 

DMM公式紹介ページ

 

インターネット百科事典ウィキペディア

 

コメント

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*1 爆薬量はTNT換算
*2 爆薬量はTNT換算