ニホンカワウソ

Last-modified: 2019-05-22 (水) 22:07:26
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名称:ニホンカワウソ(日本川獺)、Japanese Otter
学名:Lutra lutra nippon(Lutra nippon)
保全状況評価:EX 絶滅(環境省、平成24年8月28日)
※IUCNではニホンカワウソをユーラシアカワウソのシノニム(異名)として扱っている。

 
哺乳綱
ネコ目
イタチ科
カワウソ属
 

ニホンカワウソの体は潜水するために細長く、尾は基部が大きく胴との境が不明瞭で太くて長い[5]。
頭胴長と 尾長の割合は3対2である。短足で四肢に「みずかき」がある。爪は短く耳も極めて小さい[5]。

 

ニホンカワウソは標本が極めて少ないために種、亜種レベルの分類に見解の相違があるが、環境省のレッドリストでは本州以南個体群をL.l.nippon,北海道個体群はL.l.whiteleyiとし、ユーラシア大陸分布種の亜種としている(環境省2002)[2]。
「ニホンカワウソ」の形態的特徴についての研究は愛媛県と高知県のわずかな標本に依存しており、本州や九州に広く生息していたカワウソがニホンカワウソだったという明確な証拠はない[6]。

  • 生態

夜行性のように見えるが、薄明薄暮に活動して、昼間は真水の流れる場所に「ねぐら」「やすみ場」を作り、そこで休息する[5]。
夜間は採餌のため川、沼、海を行動し魚類を捕食する。粗食で小魚(10cm)は丸呑み、中型魚(10cm ~ 20cm)は数cmに噛み切って呑み込むが、大きい魚は骨、頭、尾を残し皮、身、臓物を片側から順次食す[5]。
川エビは丸呑みし、カニの殻は食さない。糞は「ねぐら」「やすみ場」の近くや岩の上に、砂地では脱糞し砂をかけ次回はその上に重ね、脱糞する。いずれ も溜め糞する[5]。

 

行動中の脱糞はサインポストで、川原や海岸の石や岩の上に少量する。糞の未消化の骨、うろこ殻を混入するが餌が不足すると液状糞をする[5]。
行動の範囲は広く「ねぐら」「やすみ場」を作りこれを利用して行動する。巣穴はこれとは別で自然の岩穴や木、竹、しだの根の下等を掘って作る。10月~11 月に発情し約2ヶ月で1~2頭を出産する[5]。

 
  • 絶滅

江戸時代には、カワウソは北海道から九州まで広く分布しており、全国で人里においても普通に生息していた動物であった[3]。
明治から大正にかけて、カワウソは毛皮や肺結核の薬となる肝臓を目当てに狩猟が行われた。しかし、狩猟の管理が十分に行われていなかったため、狩猟数は増加後、激減していく[3]。
毛皮用の乱獲については,明治時代にカワウソが最高級の毛皮獣として輸出されることで莫大な利益を生んでいたためとされている[6]。
また,カワウソは多くの餌を必要とするために元々個体数が少なかったにも関わらず,行動範囲が川沿いに限定されることで捕獲が容易だったために捕りつくされたと推測されている[6]。

 

カワウソが保護動物に指定されたのは1928年のことであるが[1]、狩猟禁止からも全国の開発は進められており、加えて第二次世界大戦、敗戦後の混乱、朝鮮戦争特需などによる生息環境の破壊や密漁の影響で、孤立した個体群が絶滅していった[3]。
1986年に得られた死体を最後に明確な生息証拠は得られておらず[2]、現在では絶滅したと考える研究者が多い。

 
  • 各都道府県から見る絶滅

  • 北海道
    北海道での狩猟数は、1906年の891頭から191年の7頭へと激減する[3]。
    斜里町斜里川で1955年に採取されたものを最後に、北海道でニホンカワウソの明確な生息証拠は無くなった[2]。
     
  • 福島県
    南会津郡桧枝岐村の桧枝岐川流域には、明治34~35年(1901~1902年)頃までは夥しく生息し,薄暮にはあちこちで鳴声が聞かれた。
    ところが,明治35年(1902年)の大洪水を境にして,急に姿を消した。昭和14年(1939年)現在では極めて稀である。
    村民はカワウソが洪水に押し流されてしまったのであろうと考えている[1]。
     
  • 茨城県
    久慈郡大子町の久慈川流域には,大正末期(1925年頃)まで普通に見られた[1]。
    埼玉県:北葛飾郡三郷町の江戸川で,昭和16年(1941年)12月に,数日に亘って2頭目撃。白昼に游泳・潜水・或いは杭の上で休息する姿を認めた[1]。
    特徴的な口笛のような鳴声も聞かれた。東京付近における確実な最後の記録であろう[1]。
     
  • 栃木県
    奥日光の湯川流域において,大正末期~昭和初期(1923~1930年頃)に目撃例がある[1]。
    その後,昭和25年(1950年)頃,西ノ湖付近の渓流で夜間漁猟中に,岸辺に放置した大きなビクの中に入って,漁獲したマスを食っていた本種らしい動物が撲殺された事実がある[1]。
    大田原市の箒川では,昭和10年頃(1935年頃)に捕獲され、同地に隣接する矢板市の内川では、1975年1月から3月までの間に目撃情報が数件あった[1]。
     
  • 富山県
    狩猟数は1989年の120頭をピークに、1904年以降は20頭前後にまで落ち込む[3]。
     
  • 岐阜県
    12の市町村史にカワウソについての具体的な記述が含まれている[6]。
     
    1.七宗町(1993)「アンケートによれば,カワウソは昭和二四,五年ごろまで確認されている」
    2.揖斐川町(1971)「沼地に多かったカワウソは昭和初期に,それぞれ絶滅したといわれる」
    3.清見村(1976)「川うそは昭和の初め頃森茂で捕えられたのが最後である」
    4.明宝村(1993)「大正の終わりごろのこと,父親が田んぼにコイを入れとって,夜さ水を止めに行ったら,何やら谷でシャビシャビしとった。ネコじゃと思ってひっつかまえたら腕に食いついたって。これがわしが見た最後のカワウソやったって話された」(角源造 明治四〇年生)
    5.久々野町(2010)「大正4年に発刊した久々野村史に利用動物,在来種の主なるものの記述に次のようなものがある (中略) 獺 毛皮細工用」
    6.可児市(2007)(明治34年の「岐阜県産業統計書」によるものとして)「川獺皮2枚」
    7.付知町(1974)「カワウソは明治中頃まで見かけたと云う話し程度であり」
    8.福岡町(1981)「なお明治以前に生棲していたものには,ホンシュウジカ・ニホンオオカミ・ニホンカワウソ(古名オソ)などがある」
    9.大八賀村(1971)「いたちやてん,かわうそも明治時代までは居たが今日では絶滅の運命にある」
    10.宮川村(1981)「明治八年六月『村地情景明細表』(坂下村)には,棲息する動物として,クマ・イノシシ・サル・カワウソなどをあげているので,明治のころまだこれらの動物がいたようである」
    11.白鳥町(1976)「またカワウソ・ムササビなどは,かつては相当多く生息していたといわれているが」「とくにカワウソやヤマイヌ(ニホンオオカミ?)がいたということは,今は昔語りとなっている」
    12.加子母村(1972)「カワウソ・イタチは水辺の石垣の穴などに巣を作って棲み,カワウソの良質の毛皮と,イタチの追われた時に放つ悪臭とはよく知られているが,共に池の鯉にとっては大敵である」
     
  • 和歌山県
    1954年に本州最後のカワウソが和歌山県和歌山市友ヶ島で捕獲された[3]。
     
  • 愛媛県
    カワウソは賢く、また警戒心が強いため、怪我をさせずに捕獲することは大変困難であり、愛媛県では捕獲が難航し、くくりわなを使って死亡事故も起こっている[3]。
    捕獲した個体についても、結局、飼育下での繁殖は成功しなかったが、カワウソを保護するために特別保護区が3ヶ所に設置された[3]。
    面積的に十分とは言えないものの、その一つの八幡浜の保護区では住民から開発計画を実施できないと異議申し立てがされ、護岸工事が行われた。三崎町でもカワウソが利用している池を保護しようとしても住民から協力を得られないなど、住民の理解が得られない状況があった[3]。
    カワウソによる被害が出ていたハマチの養殖業者も自然下での保護に協力的ではなく、ハマチの養殖への被害を軽減し、半自然下で飼育しようとしたカワウソ村も失敗した[3]。
    住民の協力が十分に得られない中、次第にカワウソの情報は無くなっていき、1975年の死体が最後の確認となった[3]。
     
    また、1928年の捕獲禁止後も、愛媛県の松山、五十崎、三瓶、宇和島にカワウソの肝を扱う店があった[3]。
     
  • 高知県
    カワウソの保護が土木工事の妨げにならないようにという陳情が市議会にあるなど、保護の機運が全体に高まったとは言い難い状況であった[3]。
    1973年土佐清水市の海岸で、調査中のカワウソが猟犬に追い出され銃で撃たれそうになった後に何ものかに撲殺されたことを報告している[3]。
    1976年に給餌と監視事業が開始され、1979年に国設西南鳥獣保護区と県設佐賀鳥獣保護区がカワウソ保護のために設置され、カワウソ調査員も置かれた[3]。
    しかし、同年に新荘川で目撃されたカワウソが、高知県での最後のカワウソ確認となった[3]。
     
    NHK高知局では、「ニホンカワウソ」の映像化を高知県自然保護諜から技術協力 を依頼され、赤外線センサーによる自動追尾雲台を設置。その映像は多段中継により、NHK高知局まで伝送、24時閲の自動収録体制をとった[4]。
    海辺において、カワウソの活動が活発といわれる冬場を観察期間(94年11月-95年5月)として取り組んだが、残念ながらニホンカワウソは姿を見せず、収録できた動物は「ハクビシン」「タヌキ」「カラス」「トビ」「ウサギ」であった[4]。
     
  • 出典

[1]御厨正治著、ニホソカワウソ雑記、1976年 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmammsocjapan1952/6/5-6/6_5-6_214/_pdf/-char/ja
[2]竹中健著、サハリン南部のカワウソ (Lutra lutra) 痕跡、2003年 http://www.cho.co.jp/natural-h/download/archive/shiretoko/2401_TAKENAKA.pdf
[3]佐々木浩著、日本のカワウソはなぜ絶滅したのか、2016年 http://id.nii.ac.jp/1219/00000529/
[4]榎本清著、ニホンカワウソ定点観察システム、1996年 https://www.jstage.jst.go.jp/article/tvac/32/0/32_299/_pdf/-char/ja
[5]愛媛県立衛生環境研究所、ニホンカワウソと思ったら https://www.pref.ehime.jp/h15800/documents/chirashi.pdf
[6]向井貴彦/梶浦敬一著、岐阜県の市町村史におけるカワウソの分布、2017年 https://core.ac.uk/download/pdf/148040499.pdf