概要
フェドロフ自動小銃はロシア帝国で開発された自動小銃である。
使用可能キャンペーン
モスクワ | ノルマンディー | ベルリン | チュニジア | スターリングラード |
〇 | - | 〇 | - | - |
距離毎ダメージ減衰率
距離によるダメージ減衰 (改修前⇒改修後) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
距離(m) | 10 | 100 | 200 | 300 | 400 | 1000 | 1500 |
打撃力 | 10.5⇒12.6 | 8.2⇒9.8 | 6.6⇒7.9 | 5.2⇒6.3 | 4.2⇒5.0 | 0.9⇒1.1 | 0.4⇒0.5 |
貫徹力 (改修前⇒改修後) | ||
---|---|---|
距離(m) | 300 | 1500 |
貫徹力(mm) | 1.0⇒1.0 | 0.1⇒0.1 |
性能
項目 | 初期値⇒最大値 |
口径(mm) | 6.50 |
---|---|
打撃力 | 10.5⇒12.6 |
銃口初速(m/秒) | 660⇒660 |
発射速度(発/分) | 600⇒600 |
リロード時間 (秒) | 3.0⇒3.0 |
垂直反動 | 62⇒52 |
水平反動 | 19⇒17 |
供給システム*1 | 25 |
重量(kg) | 4.5 |
弾倉質量(g) | 21.8 |
射撃方法 | セミオート/オート |
銃剣 | - |
解説
特徴
ソ連軍が使用できる自動小銃だが、装備可能なのは突撃兵のみとなる。
同レベルのドイツ軍はMP43/1をアンロックしてくるが、その対抗馬となる本銃はなんと1916年製造開始の骨董品。
【火力】
使用弾薬は6.5mm口径の三八式実包であり、突撃兵の武器としては異例の打撃力10.5を誇る(一応、プレミアム分隊が使用する三八式騎銃と比べると低めに調整されている)。これはドイツ軍の突撃銃がフル改修で到達する打撃力8.8をも上回り、ゲーム内の突撃兵の武器としてはぶっちぎりのトップである。
流石に1発でダウンが取れる距離は短いものの2発ダウンであれば300m先でも狙える計算となり、ここまで打撃力が低いSMGばかりであったソ連軍突撃兵の交戦距離を大幅に伸ばすことが可能となる。
フル改修後の打撃力は12.6となり一般的なセミオートライフルの素の打撃力をも超えてくるが、改修までの分隊育成の手間や銀チケガチャを行う労力を考えるとあまり現実的ではない。
発射速度は分間550発以上とここまでのSMGと比較するとどうしても見劣りしてしまうが、高打撃力弾薬という強みの前では大きな問題ではないだろう。25発と少な目のマガジンをあっという間に撃ち切らない分ちょうどいいかもしれない。
【適正距離】
打撃力の高さから、これまでのSMGでは対応しづらかった中距離戦でも立ち回りやすい。むしろ撃ちきりの早さを考えると、既にアンロックされているであろうPPD40やPPSh-41ほど至近距離での適正はない。
【命中精度】
他のSMGほど悪くないが、歩兵用のライフルと比べると見劣りする。
弾薬のパワーのせいか反動もかなり大きいため、立射フルオート射撃を実用するためには兵士のスキルで垂直反動を抑えることをオススメする。
伏せ撃ちであれば軽機関銃の真似事をできる程度には制御可能。
【総論】
高い打撃力に対して大きな反動や少ないマガジン装弾数といった長所短所を持ち、PPSh-41とは真逆の特徴を持っている。
特に大きな反動を抑えるためには兵士のスキルが必須レベルであり、ストレス無しに運用するにはかなりのリソースと慣れが必要である。
ともかく、これまで近距離特化だったアサルターに中距離戦の選択肢を与えてくれる本銃は、連合プレイヤーにとって間違いなく面白い性能をしていると言える。製造年代に見合わず強力な一品に仕上がっているため、アンロックできたプレイヤーはぜひ試してみてほしい。
史実
Arisaka Type 38 carbineの記事を参照の上お読みいただけるとより理解が深まると思います
概要
ウラジーミル・フェドロフが開発した自動小銃もしくは機関銃。1916年に6.5mmの三八式実包を使用する形で正式化されたが、革命により生産はキャンセルされ、実際に生産されたのはポリシェビキによってコブロフの機関銃工場が再稼働された1918年以降のことだった。
1900年代、各国では無煙火薬により実現可能になった次世代の兵器として自動小銃が開発されていた。ロシアにおいてはフョードル・トカレフとウラジーミル・フェドロフの二人が既存の7.62×54mmR弾を使用する形で研究を行っていたが、フェドロフは7.62mm弾はリム付きで自動火器に不向きなうえ小口径弾に弾道特性の面で劣るもので、6~6.5mmの新型弾薬の採用が必要であると主張していた。1911年には計画が承認されるが、WW1の勃発により中断。しかしそこで幸運にも6.5mmの三八式実包が日本から大量に輸入されることになり、これを使用する形で従来設計を修正しM1916として正式化されることになった。
ロシア革命により当初M1916は生産されなかったが1918年以降コブロフの機関銃工場で機関銃として生産が行われ、1924年の弾薬統一決定により1925年に中断されるまでに約3200丁が生産された。有坂同様1930年までに部隊から引き揚げられ倉庫に保管されたが、冬戦争に当たり短機関銃の不足を補うため再装備されたと言われる。
部品点数が多く整備性が悪い・銃身が薄すぎるなどの欠点はあったが、DP-27に代替されるまでソビエト軍を支えた機関銃であった。
小ネタ
アプデにより射撃音が変更された。