冷奴(アニメ用語)とは、作品に対する「深読みしすぎの考察」を意味するネットスラングである。
概要
メディアミックス作品「けものフレンズ」のプロジェクトチームへのインタビューが元ネタ。
アニメーションプロデューサーの福原慶匡氏と、KADOKAWAの編集長の梶井斉氏が回答を行う中で登場する発言に由来する。
福原:分析していないのでわかりませんが、最近のアニメファンの方って、運営が作品のことをどれだけ愛情を持って作っているかを探っているような気がします。なのでTwitterでちょっとした打ち間違えが誤解を招いたり、深読みして読んだらネガティブに解釈できてしまったり、なかなか難しい時代です。
――直接話せばわかるけど、文字にすると伝わりにくいコトって多いと思います。福原:深読みする楽しみ方があるのも事実なので、あまり否定するツモリはありませんが、あまりアニメの本筋と離れたところで盛り上がっちゃっても、なんか不思議な気持ちになりますね。
例えばお客さんに豆腐を食べてもらいたくて「はい。これが冷奴です」と出したとき、「この豆腐の白は、現代の不安を象徴してますね」とか言われても、僕らは「そうですかねぇ?」としか言えません。こっちとすれば、ただ豆腐を食べてほしかっただけなんです。でも、喜んでいただけるなら「そういうことにしとこうかな?」と思うわけですよ。――絶妙な例えですね(笑)。
梶井:だけど考察班のみなさんは、しっかり作品の隅々まで見ていただいて、自分たちの解釈で情報を発信してくださっています。彼らのお陰で『けものフレンズ』の見方が広がったのは、とてもありがたかったです。細部まで見てくださって、さらに楽しんでもらえてるのがわかりました。一方で、なんで「うれしー!」とか「たのしー!」が流行っているのかは、いまだに謎ですねぇ。
すごーい!の連続、『けものフレンズ』チームに3万字インタビュー | アニメイトタイムズ 4ページ目より
ここから、アニメ作品の描写等を深読みしたり、考え過ぎな見方をする事を指す言葉になった。転じて考察する事やその内容も冷奴と呼ばれる。
主にアニメ「けものフレンズ」で使われ始め、考察班と呼ばれるようなファンが現れる他の作品等でも使われるようになった。突拍子もない仮説を投下する際に自嘲的なニュアンスやチラシの裏的な意味合いを込めることも多い。捏ねくり回しの過ぎる考察は制作側から困惑されると言う懸念もある中、困惑されつつ好意的な反応が返ってきた事から冷奴と称した考察や予想などが投げ交わされるきっかけとなった。まだ未知の部分の多く残る作品の完結前や鑑賞直後が旬の内容が流動的な分野でもある。
一見行き過ぎた考察を訝しんでいるような言葉ではあるが、前後の発言を見れば分かるように、作品を隅々まで見て解釈し、見方を広げる事を肯定的に捉えた文脈の話となっている。また、作品自体もそれを歓迎した作られ方や公開方法をしている場合もある。
もっとも、何に対してもこのようなアプローチをしたところで単に「そうですかねぇ?」で終わる場合も多いと思われるので過度な期待は禁物。
類語
似たような使われ方をされているネタとしては「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」がある。傾向としては脚本の(ryがツッコミ寄りな用法なのに対し、冷奴は考察者の側から考察を指して"こんな冷奴を考えた"と言ったり、文章の語尾に(冷奴)と付けたりと、これは冷奴であると自称する形で用いられている。
冷奴の方は経緯的に"考察の精度を保証できない""拡大解釈的な内容である"と言った、二次創作の前置きのような面を持つ言葉だが、そうした意味合いも薄れて単に考察や雑語りの言い換えとして使われる事も。結果、こじつけであるのが前提の与太話から真面目な考証までごった煮となっている。
作者の手を離れた解釈と言う面では「作者の死」がある。これは作品の解釈を読者に委ねると言った考えで、冷奴の生まれた背景もこれに通じる所がある。冷奴はこうした土台の上でどこまでが作者の掌の上なのかと言った辺りも含めて楽しむような場面も見受けられる。
元ネタを離れた場所ではその手の話題で並列されがちな概念であるが、「そうですかねぇ?」な冷奴に対して脚本の人(ryでは実際は脚本の人はそこまで考えているパターンであったりと、出発点が異なる概念であるので混同には注意。
もう少し一般的な言い回しとしては、完結前の作品の二次創作の前置きで言うところの「妄想注意」等がやや近いかもしれない。
関連動画
関連商品
関連項目
関連リンク
- 36
- 0pt