Chi-Ha Kai

Last-modified: 2023-04-12 (水) 21:55:54

日本 RankI 中戦車 Chi-Ha Kai / 九七式中戦車改 新砲塔チハ

無題3.jpg

概要

チハたん∩(・ω・)∩ばんじゃーい
1.65で実装された日本陸軍、中戦車ツリー3番目の車両。
一つ前のチハの砲塔を交換したモデルで、ここでようやく平均的な貫通力を持つ戦車と出会える。
しかし依然として装甲に難を抱えているにも関わらずBRが2.3になっており、本車両の攻撃を防ぐ戦車も跋扈しているのでより慎重な運用が必要。

車両情報(v1.89.1.73)

必要経費

必要研究値(RP)***
車両購入費(SL)***
乗員訓練費(SL)600
エキスパート化(SL)2100
エース化(GE)40
エース化無料(RP)110000
バックアップ(GE)25
護符(GE)150

BR・報酬・修理

項目【AB/RB/SB】
(初期⇒全改修完了後)
バトルレーティング2.3 / 2.3 / 2.0
RP倍率1.0
SL倍率0.2 / 0.2 / 0.3
最大修理費(SL)320⇒411 / 460⇒592 / 510⇒656

車両性能

項目数値
【AB/RB&SB】(初期⇒全改修完了後)
砲塔旋回速度(°/s)17.2⇒23.8 / 10.8⇒12.7
俯角/仰角(°)-15/20
リロード速度(秒)
(初期⇒スキルMAX+エース化)
4.29⇒3.3
車体装甲厚
(前/側/後)(mm)
25 / 25 / 20
砲塔装甲厚
(前/側/後)(mm)
25 / 25 / 25
重量(t)14.8
エンジン出力(hp)263⇒324 / 150⇒170
2,000rpm
最高速度(km/h)44 / 40
最大登坂能力(°)26⇒33 / 28⇒33
視界(%)74
乗員数(人)5

武装

名称搭載数弾薬数弾薬費
(SL)
主砲47mm Type 1 cannon1104-
機銃7.7mm Type 97 machine gun24000-

弾薬*1

搭載武装解説ページ(弾薬テンプレート置き場)を開く

名称砲弾名弾種弾頭
重量
(kg)
爆薬量
(g)
初速
(m/s)
貫徹力(mm)
10m100m500m1000m1500m2000m
47 mm Type 1Type 1 APHEAPHE1.4922.4808777567585044
 
名称ベルト名弾種貫徹力(mm)
10m100m500m1000m1500m2000m
7.7 mm
Type 97
既定AP/AP/T1097400

車両改良

解説ページを開く

Tier名称必要RP購入費(SL)
I履帯******
修理キット
砲塔駆動機構
IIサスペンション******
ブレーキシステム
手動消火器
砲火調整
IIIフィルター******
救急セット
昇降機構
IV変速機7501,000
エンジン
砲撃支援

カモフラージュ

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既定
チハ改.jpg
条件-
説明標準迷彩
茶色迷彩
[添付]
条件プレイヤー撃破35 / 200GE
説明茶色迷彩
艦艇灰色迷彩
[添付]
条件200GE
説明艦艇灰色迷彩
焦茶縞模様迷彩
[添付]
条件200GE
説明焦茶縞模様迷彩
斑点黄褐緑色迷彩
[添付]
条件200GE
説明斑点黄褐緑色迷彩
冬季迷彩
[添付]
条件プレイヤー撃破50
説明冬季迷彩
Early winter camouflage
[添付]
条件200GE
説明Early winter camouflage

研究ツリー

前車両Chi-Ha
派生車両
次車両Ho-I
 
 

解説

特徴

前車の旧砲塔チハと比べると大きく貫徹力とBRが上昇しており、最大貫通力は77mmと平均的。ただ防御力、機動性は前車と変わらないので運用は慎重に。
--加筆求む--

 

【火力】
短砲身57mm砲に比べると炸薬量と引き換えに貫徹力、弾道直進性、初速が格段に向上している。同ランク帯なら最大77㎜の貫通力と十分な威力・貫通力を持ち、俯角が-15度とハルダウンしやすいのも魅力の一つ。元々砲揺動が少なく、スタビ付きなので急停車からの射撃もしやすい。ただしこのBRになると重装甲の戦車も多いので過信は禁物。
機銃は車体と砲塔上部に付いているが、爆速リロードとはいえ弾数が20発と少なく仰角俯角もあまり取れないので使い勝手が悪い。ただ威力は十分あるのでソフトスキンや露出した乗員に対して有効。

 

【装甲】
前車に比べると砲塔前面が30mmに車体正面に15mmの履帯が追加されるなどと強化されたが当然装甲は頼りにならない。乗員が前車の4名から5名に増えたが、狭い為乗員の配置が非常に悪く、特に砲塔内の乗員は三人共持っていかれやすい。総じて生存性は絶望的な為、被弾しないように障害物やハルダウンで身を隠しな戦う必要がある。
全積載時の砲弾は配置が悪く、特に砲塔正面に置かれた弾薬は誘爆しやすく非常に危険極まりない。砲弾は全積載せず、必ず50発前後に減らして車体のみに弾薬を置くようにしよう。

 

【機動性】
エンジンが貧弱なので動きがもっさりしている。登板や加速は鈍いが、移動するのに最低限の機動力はあるため立ち回りでカバーする必要がある。
後進は5km/h程度で遅め。飛び出し撃ちは避けたい。

 

史実

従来の九七式中戦車(以下、チハ車)を対戦車戦闘力を上げるため、貫徹力が不十分だった九七式五糎七戦車砲を、貫徹力を重視した一式四十七粍戦車砲に換装した改良型。

本来は新型砲塔及び新型戦車砲のテストベッドとして1941年6月頃に開発された車両であり、あくまでもチハの改良型ではなく、量産の予定はなかった。

しかし、同年末~翌年1942年初めにかけて、M3軽戦車に対抗したいという前線の要望があったため、急遽チハの改良型として量産されることになった。

詳細

チハ車からの変更点といえば砲塔が一番最初に目が付くだろう。この変更は、元を辿れば1939年に発足した戦車開発委員会の「(将来の)戦車砲はとりあえず今のままでいいが、今後戦車同士の戦闘が増える可能性が高いので対戦車戦向きの戦車砲も研究する」という議決から端を発する。この認識は直後に勃発したノモンハン事件により証明されることになる。(なお、陸軍がノモンハンで得た戦訓は、「装甲と機動性の向上」と「戦車と歩兵、砲兵の連携の徹底」である。)さっそく、陸軍は1940年(昭和15年)に高初速主砲の試製47mm戦車砲を開発したのだが、チハ車向けに開発されたものではなく、チハ車の後継車両であるチホ車である。

チホ車はチハ車の設計の見直しを行いチハ車と同等の性能でありながら軽量化と整備性・信頼性、量産性の向上を図った車両であった。しかし陸軍はノモンハン事件後、チハ車と同程度の性能では意味がないと考え、チホ車の後継としての開発は1940年に打ち切られ、代わりにノモンハンの戦訓をより完全に取り入れたチヘ車の開発を検討する。また、同時期この47mm砲とこれを搭載した大型砲塔の出来栄えを確かめるためにチハ車の車体に搭載して試験を行っている。

この試験の結果を気に入った戦車部隊関係者により改良案として、翌年の1941年の前半に提出され、その後紆余曲折あって1942年3月に誕生したのが本車「チハ改」なのである。このチハ改は当初、量産する気あまりはなかったのだが太平洋戦争直後に遭遇したM3軽戦車に対抗するための応急処置として送り込まれ、量産が急遽決定された。

チハ改に搭載された一式四七粍戦車砲は初速が810m/sから822m/s程度と速く、一式徹甲弾を用いた場合1000mで約50mmの垂直装甲板(RHA)を貫通することが出来た。この一式徹甲弾の弾丸重量は1.5kgであり、内部には貫通後の威力を考慮し17gの炸薬を充填していた。装薬を含めた全備重量は2.85kgである。

ちなみにアメリカ軍武器科の1945年3月付の情報資料によれば、500ヤード(約457m)の距離で2.7インチ(69mm)の垂直装甲を貫通でき、垂直に対し30度傾けた物に対しては2.2インチ(56mm)の貫通力を発揮できるとしている。(別の米軍の調査では500ヤードで82mmもの厚さの垂直装甲を貫通した記録がある。)さらに榴弾*2もあり、対歩兵や対陣地への攻撃もできた。

ちなみにマークIVスペシャルと言われて連合軍から恐れられたIV号戦車F2型やM4シャーマン中戦車とは同い年である。とはいってもこちらは運用上の制約の為、IV号やM4とは重量、武装や装甲、機動性で天と地ほどの差を付けられているが。
*3

試作車では前期型車台が使われたが、量産型は後期型車台用いている。前期型との見分け方は後部のエンジングリルの周辺に冷却用の遮風板付き排気窓があったが、後期型ではそれが廃止されている為見分けは容易。砲塔は旋回機構は手動で、旋回ハンドルを使用する。砲手側と車長側に旋回ハンドルが付いており、急旋回する場合は二人でハンドルを回す。主砲自体も独立して可動でき上下に動かす場合は肩当てで修正、左右に動かす時は別の旋回ハンドルを回すことで左右10°の範囲ならば独立して動かせた。さらに坂道で不意に砲塔が回らないようロック機能があり固定できた。砲塔内部は砲塔バスケットが無い為砲塔乗員は立ちっぱなしの上に砲塔の動きに合わせて移動しなければならなかったが、スペース的に余裕があったので床下に弾薬庫を設置されている。砲塔右側面には点検窓があり、車外からの確認は容易であった。砲塔後部機銃の隣にあるハッチの中には弾薬庫があり車外からでも弾薬を補充できた。

実戦

史実では1942年のバターン半島攻略戦における臨時松岡中隊におけるチハ改10輌が初陣を切り、機甲戦力として日本軍を勝利に導いている。
4/7日の戦闘ではバンダン河北側に敵戦車3輌が自動貨車を伴い出現と歩兵部隊から報告を受け、臨時松岡中隊が出撃する。戦車第7連隊第3中隊と99式襲撃機/軍偵の戦闘中に到着した臨時松岡中隊だったが、この敵戦車は既に99式襲撃機/軍偵の爆撃により撃破されており、臨時松岡中隊がM3軽戦車と交戦することは無かった。その後臨時松岡中隊は第3中隊と共に追撃戦を開始し、各地で戦闘を始めている。臨時松岡中隊は第三中隊と共に敵の歩兵やM3 75mm自走砲と交戦しつつ、敵の防衛戦を突破した。
この攻略戦にも参加した臨時松岡中隊に居た元小隊長の証言では、バターン半島攻略戦の前日に捕獲M3軽戦車への射撃試験を行い、約1000mからM3軽戦車を6発中5発貫通できた上に精度も57mm砲とくらべものにならないくらい良かったため、部隊の士気が非常に上がったらしい。さらに810m/sと高初速なので砲弾を発射した際に砲弾が赤くなり弾道が良く見え、57mm砲より着弾修正が容易だったらしい。

しかしガダルカナルの戦い以降は戦況は打って変わり防衛側に回されるようになると一転して苦戦するようになってくる。サイパン島の闘いでは初めてM4中戦車に遭遇、M4中戦車が相手ではチハ改はあまりにも分が悪かった。何度命中させてもM4中戦車の正面装甲を貫けず、反対にチハ改は1~2発喰らえば撃破される、という状況に陥る。サイパン島での戦訓からチハ改を装備する戦車部隊は正面戦闘は諦め、小柄さを活かした待ち伏せや側面攻撃の徹底、歩兵及び砲兵との協力、履帯など脆弱部を撃ち擱座させる方針に切り替えて対抗したが絶対的な不利は免れなかった。しかしビルマの戦いにおける戦車第14連隊や、フィリピンにおける戦車第二師団、沖縄の戦車27連隊のように、二倍の重量もあるM4中戦車を撃破するという戦果も上げている。
上記の対戦車戦以外でも貴重な機甲戦力として拠点防衛や機動反撃、敵陣地や敵飛行場を襲撃して度々連合国側を苦しめた。実際に戦車第14聯隊史によると、歩兵部隊に非常に頼りにされていたらしく、著者は非常に困惑したという。

中国大陸での戦闘では中国軍に機甲戦力が無くかなり善戦している。大陸打通作戦では長距離走行により足回りや駆動系トラブルが続出したが、整備員と戦車兵の努力により中国軍の防衛線を突破、後退する中国軍を追撃に活躍した。

日本軍最後の戦闘となった対ソ戦、占守島の戦いでは戦車第11連隊が上陸をしてきたソ連軍の反撃に出動しており、一時は四嶺山まで進出してきたソ連軍に突撃、ソ連軍の対戦車砲や対戦車銃に車輌21輌、戦死者は連隊長と中隊長含めた96名の損害を受けつつも独歩283大隊と高射砲の支援により四嶺山を取り返し、ソ連軍に大損害を与え上陸地点まで追い返している。

※ちなみにソ連による満州侵攻では戦闘前に満州方面の司令部である関東軍が降伏したため、ソ連戦車隊との戦闘は起きていない。

※出典』『激闘戦車戦』『臨時松岡中隊戦闘詳報』『臨時松岡中隊所属宇野寛少尉証言』『戦車第14聯隊史』『機甲入門』『帝国陸軍戦車と砲戦車』

小ネタ

乗組員数

チハ改は本来四人乗りだが、戦車第十連隊、戦車第十四連隊、戦車第十一連隊の中隊長(軽戦車装備の中隊は除く)クラスでは臨時で装填手(第二砲手)を採用し五人乗り編成になっている。

榴弾火力

一式四十七粍速射砲/戦車砲には一式徹甲弾の他に対人用の九八式榴弾がある。この九八式榴弾は米側の資料ではピクリン酸とTNTの混合で炸薬量は91g、ロシア側の資料では87gとある。ゲーム内ではチヘにこの一式榴弾が採用されているが、データはどうやらロシア側の資料を採用している模様。
九八式榴弾の効力半径は7.5mであり、九四式三十七粍戦車砲用の九四式榴弾は同じくピクリン酸とTNTの混合で炸薬量が58.5、威力の目安となる効力半径*4は半径6m。十一年式平射歩兵砲の十二年式榴弾はTNT48g、効力半径は5mだった。
他にも同様の試験で九〇式/九七式五十七粍戦車砲用の九〇式榴弾はTNT250g、効力半径は15~16m、九〇式野砲/三式七糎半戦車砲や四一式山砲や三八式野砲、九九式七糎半戦車砲などに使用された九〇式榴弾は炸薬がTNT810g、効力半径は26mとしている。
参考までに歩兵が装備する九二式七糎歩兵砲用の九二式榴弾は炸薬630g、効力半径は22mである。

なお、一式四十七粍砲の採用に辺り、榴弾効力の参考にノモンハンで鹵獲した押収45mm対戦車砲と九〇式五十七粍戦車砲と比較審査を行った。審査の結果、45mm榴弾の効力半径は57mm砲の半分程度という推測を得た。ただし機銃陣や小掩蓋に対する効力試験では威力は57mm砲とほとんど差がなく、実用的な範囲とした。この試験結果は一式四十七粍砲開発の参考になった。
ちなみに押収された45mm対戦車砲の種類は不明であるが、45mm砲用に使用されたソ連の45mm砲用榴弾はO-240とO-243がある。O-240の炸薬は78g、O-243の炸薬は118gと炸薬量は87~91gの九八式榴弾とそこまで大差はない。なおソ連側の判定によれば、榴弾の種類は不明だが45mm砲弾の殺傷距離は着弾地点より前方15m、深さ5~7mとしている。

チハたん?

よく知られている愛称として存在するチハたんだが、これは「小銃すら防げない」「軽戦車に負ける」などの(デマを含む)悪評によって、クソザコナメクジっぷりがネタにされた際、当時2000年代初頭においてアニメオタクが女性キャラクターに「××たん」と愛称をつけることが流行っていたためそれにあやかり、「チハたん」と名付けられた。今となっては九七式中戦車の愛称で浸透しているが、その由来は少々侮蔑的なニュアンスを含んだものである。ネット黎明期だった当時はまだ日本製兵器に限らず軍事全般の情報量に乏しく、情報交換も少なかったため、現代ではデマとして扱われる事柄も事実としてみられていた。

搭載砲の逸話

チハ車の将来の戦車砲の検討するために、47mm戦車砲と57mm長砲身砲それぞれ試作したところ57mm長砲身砲の方が高い威力だった。しかし、当時の対戦車砲の弾薬が47mm戦車砲と同じであり、弾薬の共通化を優先したため47mm戦車砲が搭載が決定され、57mm長砲身砲は駆逐戦車に搭載することとなった、という逸話がある。
ただし、57mm長砲身砲は正体が分かっておらず、そもそもチハ改の開発経緯は、昭和16年末に遭遇したM3軽戦車に泥縄的に対抗するために、その昨年度に「たまたま、47㎜戦車砲の試験用の台として利用されていたチハ車体」を臨時に量産化したモノである。この時点では長砲身57㎜砲は陰も形もなければ、駆逐戦車の構想もまだまだあやふやだった。
47㎜か57㎜かの主砲選択の逸話の初出は日本戦車部隊の創始者である原乙未生氏の著書であるが、原氏はチハ車の採用後は戦車開発に直接関わっておらず、今のところ裏付ける資料もないため、このエピソードはあまり信用するべきではないのかもしれない。

元々未来を見て作られたチハ

新型の砲を搭載する際、本来車体は再設計又は一から作り直すことが多いがチハ改は砲塔を取り替えるという作業でほぼ完了している。
これはチハの開発者は今後数年の間に出現するであろう新型戦車に対抗出来る砲が搭載出来るよう砲塔リングを大きめに取ったりと元からチハを全体的にある程度の余裕が持てるよう設計していた。(この設計は改良型のチヘ等受け継がれる)しかしそれは設計時の1936年から見積もって数年の話であり、まさか約9年間使用され続けることは想定されていなかった。

共産党軍の「功臣号」

日中戦争が終結し、第二次国共内戦勃発した頃に共産党軍は瀋陽市で九七式中戦車改1両を鹵獲し修理した。共産党軍は史上初の戦車隊として東北戦車大隊(現在の人民解放軍第1装甲師団)を発足しこの車両は102号車と名称され正式に最初の共産党軍戦車となった。その後はいくつかの戦役に参加し何度損傷を受けても修理を行い老頭戦車(年寄り戦車)と呼ばれたりしながら最前線で戦い続け、その戦功を称えられ司令部から「功臣号」の称号を与えられ乗員二名に一等功が授与された。その後の功臣号は閲兵式や天安門広場におけるパレードで装甲車両群の先頭として参加したりして1959年に退役した。現在は中国人民革命軍事博物館に展示されている。

WTでのモデリングについて

WT内のチハ改には正面から見て砲塔右側に謎のチョボが付いてる。実はこれ、ドーザーを装備するための器具である。最前列の転輪の間をよく見るとリング状の器具があり、ここにドーザーブレードの支軸を差し込む。ドーザーブレード実装か? 砲塔のチョボの部分にドーザーから伸びたワイヤーフックを引っ掛け、人の手でドーザーブレードを上下させるという控えめに言っても意味の分からない構造になっている。当然作業時は作業員が車外に出る必要があり、銃弾にさらされながら作業する…わけではなく、砲塔も回せない為戦闘時に運用することはまったく想定してない。その実飛行場設営の際ブルドーザーの不足を補う為の代用といった位置付けで後方で装着されて運用された。本来は油圧による操作が望まれたが、製作を請け負った三菱重工には設備が無かった為手動となった。1944年から生産が開始され、何気に50輌しか製作されなかったレアタイプである。生産された一部はフィリピンや硫黄島に送られ、現在残されているのは硫黄島で鹵獲されてアバディーンに送られたのが唯一である。恐らくGAIJINはこのアバディーンに展示されている車輌をモデルにしたと推測される。

『士魂』…日本軍最後の戦闘

史実でも解説されていたが、ここでより詳しく解説させてもらう。
帝国陸軍戦車部隊の精鋭とされる第11戦車連隊は11を重ね合わせ『士』と読み軍人らは自らを『士魂部隊』と自称していた。ポツダム宣言受諾後第11戦車連隊は本土防衛のため占守島に展開し国籍不明軍による攻撃に対し警戒を続けていた。既に終戦となった8月15日から3日後…突如占守島にソ連軍が上陸。まだ武装解除中であった帝国陸軍第11戦車連帯は直ちに戦闘状態に移行。一時は四嶺山まで占領されたがチハ改を始めとする第11戦車連隊は決死の奮闘を続け奪還に成功した。その後も大隊長が戦死するなど大きな被害を出したが、本土を攻撃させまいと決死の特攻を続け撃退に成功し、苦し紛れながら帝国陸軍は優勢を保ち続けた。しかし、停戦命令が出され、日本軍はやむを得ず占守島における戦闘も放棄せざるを負えなくなった。その後第11戦車連隊はソ連軍監視下で武装解除を行い、戦闘は終了した。陸上自衛隊第11戦車大隊はこの帝国陸軍第11戦車連隊の活躍に敬意を評し、現在も『士魂部隊』を名乗っている。占守島には今もチハ改を始めとする帝国陸軍の戦車やソ連車両の残骸があちらこちらにある。占守島の戦いを始め大戦で戦い散っていった英霊たちに敬礼…

外部リンク

 

WarThunder公式英語Wiki

 

インターネット百科事典ウィキペディア

 

コメント

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  • おかしいな…普通に強いぞ -- 2016-12-20 (火) 21:55:59
  • 悲報、惑星ではチハ改は軽戦車の模様。(白目 -- 2016-12-21 (水) 23:59:08
  • これ、T34を撃破できますね。 -- 2017-02-10 (金) 09:57:02

*1 爆薬量はTNT換算
*2 米側ではType1 HEとなっている。炸薬は混合爆薬で91g
*3 ただし、島国諸島での戦いやジャングルでの戦いは視界が悪く、道路状況も悪いことがが多かったのでむしろ軽量で小柄なチハの方が待ち伏せなどで有利な部分はあった。スティーブン・ザロガ氏の『M3 & M5スチュアート軽戦車 1940‐1945』によれば、M3軽戦車がM3中戦車より優先的に太平洋戦線に配備され、M4中戦車が配備された後もM3/M5軽戦車を運用した理由も、ジャングルのような起伏の激しい土地では日本軍のような車重の軽い戦車の方が運用しやすいからという理由もあった。
*4 日本軍の場合は榴弾の着弾点を中心に三辺方向に布幕を張り弾痕や回収された破片から人馬を殺傷できる距離を測る