野球のこと、野球以外のこと。 私的なこと、公的なこと。 大切なこと、どーでもいいこと。 何でもありの、自由きままな雑記スレ。
関係ない人が殆どやから、まさしく誰が興味あんねん、、、やけど。 7月18日~31日は大阪府柏原市20%還元キャンペーン。 8月1日~31日はは大阪府東大阪20%還元キャンペーン。 近郊の方は詳細調べてご活用下さい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ けど、何やな。貧乏症な人間には逆にアカン事もある。 「還元」と言われたら、還元上限まで買物してまう事や。 過去ほとんど還元上限まで買物してもうた。 大阪市、吹田市、東大阪市、八尾市、藤井寺市。
上限まで買物となると、いらんもんまで買わな、そこまでいかん。 例えば東大阪市の場合、 PAYPAy、au決済、d払い、楽天pay、還元上限各5000円、計20000円なんやが、 これは20000円これらで決済するんちゃうで?10万円の買物や。 生活費の多くは銀行引き落としやのに、 日頃、それらの決済使える店だけで10万円も使わん。 独居であまり外にでん老人(とは思ってないけど)に何がいるねん。
日頃は買わんちょっとええもん、くらいならええけど、 それ、別にいらんがなあ~と後で思うもんが、なんぼあったか。 例えば日頃滅多に外に出ん上に、出る日もあまりかぶらん帽子、5個もいらんぞ? 使っても月1回や。
ユニクロのジャージ下も前の冬だけで4枚。 ユニクロは宣伝うまいわ。入ったら何か買いたなる。 そこにそんな還元キャンペーンや。この期間中はユニクロなんかに入るもんやない。
けど、このキャンペーン、還元とは別にええ事がある。 買物の為せっせと外に出る事や。 今月、来月は歩数も、太陽浴びる事も増えるやろ。
って、真夏にアカンがな!
あ、ここや!帽子が役立つ時が来た!
あ、また虎市なったり、市★なったりしてる。 過去使ったのが残ってたり、そうでなかったり。 名前だけは投稿後変更できん。 まだ定まらんから、しばらくころころ変わるかもしれませんがご了承を。
あかん、連投過ぎや。 ちとどえらい事書きたいけど、後日。
"ちと""どえらい"?何やこの言葉。
イリーガルさん たいして強くもなかった高校野球部の控え外野手だった私が サードの守備について語るのも恐縮ですけど 正対するよう指導されていた気がします。 でも個々のクセで少しだけどちらかの足を引くこともあったような。 それより内野手の構えの指導で思い出されるのは低く低く ですかね。
市さん 小学6年生のソフトボールでの実績 それは自慢して良いんじゃないでしょうか。 すごいと思いました。 私は書くのが極端に苦手で 恥ずかしいくらい時間がかかるんです。 でも読むのは大好きなので誰が興味あんねん話 山ほど書いていただけると嬉しいです。
晩御飯さん なるほどご結婚と移住を機に野球との距離が。 でも甥っ子さんの相手したり今でもリハビリでキャッチボール。 やっぱり野球がお好きなんですね。 それと本職競技も草野球と平行して指導者になるまで続けてらしたんですね。 てっきり飽きた…のままやめてしまったのかと。
今日もオールスター見ながら飲んでます。 万波くんすごいですね。
放置民さん、いつもありがとうございます。
昔は基本正対でしたよね〜w でもその約半世紀前wとは野球そのもの、そして指導方も変化してますね。 私が小学生の時は守りで「構えろ」と言われたらグラブは開いて膝頭に被せ、利き手は反対の膝頭に被せてました(笑) 全力疾走後に息を整えてる姿勢みたいに、、、 反応のしやすさなどお構い無しで内外野7人が同じスタイルで構えてました。 よく考えると単にウチのチームがヘボだっただけかも?ですが。
>> 239 「セイバーメトリクスと私」ですかw シリーズ化するほどのエピソードはないですねぇ。 あの類いは僕の中で「別腹」とでも申しましょうか、言わば「もうひとつの野球の楽しみ方」なんだと思います。
日ごろ野球好きの仲間たちとの会話で、僕がセイバー指標を持ち出して話すなんてことはほぼ皆無です。 ただ逆に活字だけでやり取りする掲示板だと、選手情報を前提共有する上で便利さは感じます。 「打率」や「防御率」だけだと、選手を知る手がかりとしては、どうしても側面的になりがちですから。
セイバーとの出会い(結局語るんかいw) 2004年のある日、仕事仲間が「お前が好きそうな本を見つけたから、買ってきてやったよ」と手渡されまして、 それが当時、日本で翻訳出版されたばかりの「マネーボール」でした。 (2011年にブラピ主演で映画化もされましたね)
その本は当時、アメリカでも日本でも、そこそこ話題になったと記憶しています。 ですから多くの人がそうだったように、僕も「マネーボール」がセイバーを知るきっかけとなりました。
時が経ち2015年のシーズンが開幕すると、僕はその頃から「ペナトピ」への投稿を始めました。 その年は福留がメジャーから阪神に移籍してきて3年目でした。 1年目、打率.198 6本 2年目、打率.253 9本
3年目も開幕直後は打率が上がらず、掲示板上でも「もう福留はええやろ(過去の人)」という空気でした。 ところがセイバーの各種指標を閲覧すると、いい意味で異常値が出ていたんですよね。 僕はそれをペナトピで紹介し、「今年福留は復活するかもです」などと書き込んでいたんです。
結果的には(たまたまかも知れませんが)3年目の福留は打率.281 20本と復活し、 その後も数年に渡り、阪神では主軸を任されましたよね(中日時代ほどではありませんでしたけど)。
その福留の3年目きっかけで、いよいよ「数字で見る野球も面白いな」と思うようになり、 で、何やかんやと今日に至る・・といった感じでしょうかw
あくまで数字「も」面白いです。 数字ばかりで野球を見てるわけじゃありませんw 冒頭にも書きましたが、僕の中ではあくまで「別腹」といった位置づけですねー。
>> 241 くるっと一回転もそうですが センターに抜けそうな当たりをセカンドがグラブトスして それをショートが素手て捕って一塁送球。 アライバのようなことを普通に高校生がやり始めたときに 「高校野球も変わったなー」と驚きました。
あれ けっこういい時間ですね。 酔ってますというどーでもいい報告して お休みなさいませ。
あ ゲッツーじゃないです。 二塁手が踏ん張って一塁送球しても間に合わないとの判断で 代わりに遊撃手に送球してもらうパターンの話です。 文章下手ですね。 自分でも嫌になります(笑)
いえいえ、よくわかります。 そういや漫画「ドカベン」にて、、、 二塁ベース付近の打球を殿馬が飛びついて捕球、空中に浮いたままグラブの網の部分を外から右手でトンと叩き(押し込み)ショートにトスってのを思い出しました。 さすがにこれは見たことがない(漫画や!あるかーい)
>> 240 「そうかぁ。。近い時代でも、地域や環境、指導者が違えば、スタイルも違うよなー」 「俺たちは、内外野7人が同じ格好で守ってはいなかったなぁ。。」 「イリーガルさんの言う、膝頭に手を当てて低く構えるのは内野だけだったなぁ。。」 「外野はもう少しゆったりと、大きく構えていたなぁ。。」 「ん?ホンマに?なんか体長3cmくらいのプラスチックが思い浮かぶのは何故??」
古い古い記憶を掘り起こしていくと、僕の原風景が甦ってきました・・。
不朽の名作? 1970年発売、エポック社のデラックス野球盤!
僕の脳内イメージに残っていたのは、コレでしたわww
調べてみると、初代・野球盤は1958年発売だそうです。 1958年といえば、六大学野球のスター長嶋茂雄がジャイアンツに入団し、 いよいよプロ野球人気が国民的な地位を確立した年かな? 今に続くせ・パ6球団ずつというスタイルに落ち着いたのもこの年だったはず。 (大相撲の年6場所制が確立したのも1958年だったような)
画像にあるのは、僕が遊び倒した1970年モデルです。 バッテリー間のグラウンド(ボール紙)の下には磁石が仕込んであって、 左右に変化球を投げることも出来ました。 しかし、後に人気を博すことになる、落ちる球(消える魔球?)はまだ搭載されていませんでしたね。 ホンマ究極にどーでもええ話ww
野球盤。 年代が同じだと私もその1970年モデルで遊んでたのかな。 変化球ありました、ただ落ちる球もあったので二代目かも? バットを左打ちに差し込めました。 スタンドにある得点表、チーム名・数字は紙を挟み込むやつでヨレヨレになった。
晩酌中に思いつく〜 そやそや、息子が野球好きになるように20年ほど前に買ったのが押入れにあったはず! 阪神タイガースとコラボしたバージョン。 捜索開始するも中々見当たらず、ようやく外箱が目に入った。 シャワーしたばっかりやのにこの段階でもう汗だく。飲みかけのビールはヌルなってるやろ。 このまま押し進み、一気に引っ張り出そうか思案してると嫁が、、、
「何ゴソゴソしとん、もう止めてや、全部崩れてきたらどうするん?私知らんで、元通りしてや、そもそもそんなもん出してきて何するん?意味分からんし」との温かいお言葉。
ということで断念し記念に写真を撮る。
エポック社の公式サイトで野球盤の歴史を見てみました。 落ちる球(消える魔球)が搭載されたのは1972年以降ですね。 写真の阪神バージョンは2004年モデルです。
奥様、お手柔らかに・・😅 まぁどの家庭でも嫌がられるでしょうけどw
やはり私のいたチームはレベルが低すぎですね。 この野球盤画像のレフトのような構えをしていると、ベンチから「レフト!ボーとすんな!構えんかーい!」と言われましたね(笑) 反応とかプレーを考える指導者などいない、とりあえず構えてたらオッケーみたいなw 例えんでもいいけど例えると、シャツは必ずズボンにインや!ジーンズでも何でもベルトせんかい!てな感じですかね。(よう分からん) 監督コーチというか皆友達の父親でしたし。 それと「低く構える」のもないです。 膝頭にかかる両腕は伸びきってますから。 つまり膝頭に手があれば○です(笑)
市さーん! もしこの投稿を読んだらレスつけてもらえます?
おっと そういや市さん、何かあったの??
そういえば前に市さん書き込めないと言ってましたね。 もしくは書き込んでも人からは見えずに独り言だったとか? ログインに成功して解決済みかと思ってましたけど。
今も読めてはいるんでしょう。
では市さんも読んでる前提で続けながら 再復帰を心待ちにしましょうー。
自分がプロ野球選手になってる設定の夢を、過去に何度も何度も見たことがあり、 最近もファン感謝デーのロングティー対決に出て、スタンドインさせたわけだが・・。
5年くらい前に見た夢には非常に困惑させられた。 自分はまだ大学生という設定。 そしてなんと、阪神からドラフト1位で指名されてしまった! しかも「投手」としてww
以下、夢の中での心の揺れ。 ・いやいや、俺ピッチャーなんてやったことないよ。 ・いやいや、そもそも草野球しかやってないよ。 ・断るしかないよなぁ。 ・でも阪神からの指名だぞ?しかも1位指名!断るのはもったいないか? ・いやいや、入団したってすぐに素人だとバレるだろ! ・どの時点でバレる?新人合同自主トレか? ・仮にそこを乗り切ったとしてもキャンプインしたらすぐにバレるな。 ・ブルペン入りしなけりゃバレないか? ・「ドラ1ルーキー晩御飯、今日も余裕のノースロー調整」とかデイリーの見出しになるんかな? ・いやいや、いつまでもブルペン回避できんだろ。 ・試合で投手はやったことないが、遊びで投球練習はよくやってたからストライクは投げれるぞ。 ・ただプロの球威ではないと1球でバレるよな。 ・チェンジアップを投げて軟投派だと思わせればなんとかなるかな? ・いやいや、なんともならねーよ!w ・いや待てよ?最初のうちはダメダメでも、やってるうちにそれなりの投手に成長するかもよ? ・もしかして、それを見越しての指名だったのか? ・いやいや、そんなわけあるかーい!w ・断るべきか、ダメ元で入団してみるか。 ・ん~、どうしよ。困った!迷う!!
ていう、アホすぎる夢w
翌朝。 「俺、昨晩な、阪神からドラフト1位で指名される夢を見たんよ」と嫁に報告するも、 鼻で笑われ、一瞬で会話が終了したのは言うまでもない。
夢シリーズ再開ですねー。 トレードに出された話も待ってます。
野球にまつわる妄想癖は、「自分はプロ野球選手」という設定の夢を見る形で表れるとは限らない。
いつものように、バーのマスターとキャッチボールをしていた。 久々にピッチング練習をしたくなったので、マスターに座ってもらった。
何球か真っ直ぐを投げ込んだあと、ちょっとイタズラしてやろうと思い立ち、挟んで投げてみた。 するとビックリ! ボールは見事にストーーンと落ちた。
一球だけたまたまかと思い、同じような抜き加減で繰り返し投げてみたが、 いや~、気持ちいいくらい落ちる落ちる! ずっとスライダーしか投げられなかった僕が、突如としてフォークボールをマスターしてしまったのだ。
・・という夢を去年の夏に見た。
ちなみに、実際はスライダーも投げられません。
まさかの二段オチ。 ツボりました。
突然フォークが投げられた。 スライダーしか投げられなかったのに。 でも夢だった。
あれ? おかしいな。 少し前に投げられる変化球はチェンジアップだけと書いてたような?
フォークが夢だったことより スライダーを投げられるという設定からして妄想だったなんて😆
酔ってます🎓
🎓 ←この絵文字が判らんですw さては、酔うてますね?
かく言う僕も泥酔状態で深夜1時半に帰還。 改めてオチの説明をされるのはハズいっスw
坂本捕手、犠飛と救援投手のリード、ゾーンに入ってましたね。 小幡もよう打った! 寝ますzz・・野球の夢が見れますように・・zz
1996年オフに、僕は阪神から巨人へとトレードで出された。
確かに出されても仕方ない。 僕は中途半端なプロ野球選手だった。 一軍に定着はしているものの、試合には出たり出なかったり・・。 二遊間型の内野手として入団して以来、一度も規定打席に到達したことはなかった。
当時の阪神のショートは久慈で固定されていた。 僕は二塁手として、平尾や星野修とレギュラー争いをする立場だった。 しかし、’96年オフのドラフトで、阪神は今岡を獲得した。 おそらくそれが決定打となり、僕は出されたんだと思う。
(つづく)
>> 266 1997年の開幕を読売巨人軍の一員として迎えることになった当時28歳の僕。 しかし、僕の置かれた立場は相変わらず微妙なものだった。
前年新人王を獲得した仁志は、二塁手としてデビューしたものの、 シーズン途中からはチーム事情でサードを守っていた。 しかし’97年からは再びセカンドに戻されることが決まっていた。
また仁志と同い年の若手には、まだ有望株として期待されていた元木もいた。 さらには、このとき既にベテランの域に差し掛かってはいたものの、名手・川相もまだまだ健在だった。
「川相さんを蹴落とし、元木に勝たない限り、俺のレギュラーはない」 「しかもその場合、セカンドは仁志で確定だろうから、俺は本職のセカンドではなくショートで勝たないとならない」
阪神時代よりもさらに厳しい状況下に置かれることとなった。
「まぁ、このままなら、あと1~2年で戦力外だろうな。そうなったら俺なんて拾う球団はない。引退だな」
半ば諦めのような気持ちもあったが、とりあえずプロ野球選手でいれる限りはしがみつこうと思った。 しかし、どうせ1~2年後に引退するならば、やっぱり阪神の選手としてユニホームを脱ぎたかった。 トレードに出されたのは、やはりショックだった。
>> 267 僕は当時交際していた彼女と、上野駅のホームにいた。 北関東の静かな温泉旅館にでも泊まり、ゆっくりと過ごしたかったのだ。
そろそろ予定の特急列車が出発する。 僕は慌ててキオスクで買い物を済ませると、彼女に乗車するよう促した。
・・が、そのとき、ふと思った。 「あれ?俺、今夜試合じゃね?」
呑気に温泉など行ってる場合ではなかった。 どういう訳か、試合があることをすっかり忘れていたのだ。
僕は彼女に言った。 「ゴメン、温泉はひとりで楽しんできて。俺、今夜東京ドームで試合だったわw」
彼女「えー!私ひとりで行くの??」 僕「ゴメン、ゴメン。ていうか急がないと時間ないわ。ユニホームもバットも全部家に置きっ放しだし」
僕は彼女を強引に列車に押し込むと、大急ぎで地下鉄に飛び乗って、道具一式を取りにいったん家へと向かった。
「試合前の練習に間に合うかな・・。家からドームまで30分として、ギリだな」
僕は地下鉄の車中で何度も何度も腕時計に目をやっていた。 すると、ものすごく多くの視線を感じたので、顔を上げて車内を見渡してみた。 乗客のほぼ全員が、僕を見ていた。
>> 268 地下鉄の乗客が一斉に僕を見てる。 いったい何事だ??と思った。
すると、どこからともなくヒソヒソ声が聞こえてきた。 「あれ、今年巨人に移籍してきた晩御飯じゃね?」 「ホントだ、すげぇ、晩御飯だ!」 「プロ野球選手も普通に地下鉄なんか乗るんだな」 「ていうか今日ドームで試合じゃね?こんな所にいて間に合うんか?」
おー、マジか! 関西で言うところの「顔をさす」ってやつね。 俺ごときの選手が?
当時の阪神は暗黒期で人気は今ひとつ。 僕レベルの選手だと知名度も低く、関西の街をウロついていても、これほど注目されることはなかったのだ。
3~4人の子供たちが駆け寄ってきて囲まれた。 「巨人の晩御飯選手?」 僕がそうだと答えると、 「すげぇ!サインください!」「俺にもください」「俺も!」と大人気にw
僕は思った。 「やっぱり巨人の選手にもなると、全然違うんだな・・」 「阪神を出されたのはショックだったけど、出された先が巨人だったというのは、実はオイシかったのかもw」 「ファンとしてはアンチ巨人だったけど、選手としてなら・・、巨人も悪くないなww」
・・ていう夢を、1997年の春先に見た。 数々の「自分はプロ野球選手」という設定の夢を見てきた中で、 この夢が最も印象的で、26年経った今でも鮮明に覚えているw
以上、これにて「夢シリーズ」はおしまい。
色々とリアルですね😄 そんな面白い夢を見たら私も忘れないと思います。
これで夢シリーズも終了ですか。 阪神ファンになったいきさつシリーズがまだ途中でしたね。 続きまってます。
人に書かせてばかりでごめんなさい😅 もともとほぼロム専だったので。 本当は実況スレにももっと参加したいんですけど 書くのが異常に遅いので全然流れについていけないんです😂
途中だったの、忘れかけてましたw 確か1974年、巨人の10連覇を中日が阻止したあたりで止まってましたね。 明日以降、ヒマ見つけて徒然なるままに続けまーす。
さっき巨人ファンの知人と会う機会があったので、 昨日ここに書いた「夢の中とはいえ、うっかり猛虎魂をジャイアンツに売ってしまったw」という話をしたところ・・。
知人「その二遊間型の選手として阪神から巨人に移籍したというのは、1997年と言った?」 僕「そうそう」 知人「それって、当時リアルタイムで見た夢?」 僕「そうそう」 知人「で、長くても1~2年でクビだろうと夢の中で思ってたと・・」 僕「そうそう」 知人「なるほどねー。だとすると、いい勘してるよ。確かに2年でクビだっただろうね」 僕「何で?」 知人「2年後の1999年には、二岡が入団してくるから」 僕「なるほど!それはクビ確定だw」
奥さんや彼女とは別の女性と 夢の中で浮気したら それは浮気と呼べるのかな なんてどーでもいい事をしばらく真面目に考えてしまいました😅
あれほどショックだったトレード(温泉は傷心旅行?) なのに夢の最後には「巨人オイシイ♪」と、浮気どころか本気になりかけてましたわw
ちなみに温泉に連れて行こうとしてた女性は、当時の僕の彼女であり、 まだ今の嫁さんとは知り合う以前なので、浮気には該当しませんw
>> 141 阪神ファンになった経緯(4)
1974年、セ・リーグを制したのは中日ドラゴンズ。 これはまだ幼稚園の年長さんだった僕にとって衝撃的な出来事だった。 「えっ、巨人が勝つと決まってるわけじゃなかったのか!」
10年ぶりに巨人以外の球団が優勝。 坂東英二が歌う「燃えよドラゴンズ」が全国的に大流行。 そして長嶋茂雄の引退。 ひとつの時代が終わった感があった。
当時の僕の心の中はこんな感じ。 「実はガチで戦っていたのか・・」 「そうだったのか~!俺は何も分かってなかった」 「本当であればどこが勝つか分からない・・そういうものなんだな?」 「要はプロ野球って仮面ライダーとは違い、必ず主役が勝つわけじゃないんだな」 「いや、待てよ・・。そもそも巨人が主役と誰が決めたんだ?」 「王と長嶋を中心とした巨人が主役のドラマだと思い込まされてきたが、それは何故だ?」 「そもそも、なぜ巨人戦だけ毎日テレビで中継してるんだ?」 「『巨人の星』とか『侍ジャイアンツ』とか、あれって何なんだ??」 「12球団もあるのに、巨人ばかりが特別扱いを受けているではないか!」 「巨人、ズルくない?ていうか勝手に脇役扱いされてきた他の球団、可哀想じゃない?」
ここで初めて、僕の中で「アンチ巨人」の心が芽生えた。
「よし、決めた!俺は来シーズンから巨人以外を応援するぞ!」 「どこを応援する?」 「ズルい巨人を倒して欲しいわけだから、やっぱりセ・リーグのどこかだよな」 「巨人の10連覇を阻止してくれた中日か?谷沢とかカッコいいし」 「いや、それだと今のブームに乗るというか、勝ち馬に乗るみたいで逆にダサいな」 「中日以外だと・・、やっぱり阪神だろ!巨人のライバルといえば阪神だ!」 「よく考えてみたら、星飛雄馬なんかより花形満のほうが断然カッコイイではないかw」 「何より、チームカラーが黄色ってのがいいよな!」 「よし決めた!来年から俺は阪神タイガースを応援するぞ!」
とまぁ、そんなこんなで僕は、1975年シーズン(小学1年)から阪神ファンになりましたw
ちなみに「チームカラーの黄色がいい」というのは、 単に子供の頃、色の中で「黄色」が一番好きだったからw しかしコレって意外と重要なファクターだったと今にして思う。 もし僕が「青が好き」な子供であったならば、 流れ的にはそのままあっさりと中日ファンになっていた可能性もあったように思うのだ。
(つづく・・かも知れない)
中日の優勝が引き金となって いろいろと目覚めちゃったんですねー。 私その頃まだオムツしてました😅 記憶にあるのは80年代からです。
「勝ち馬に乗るのはダサい」 「青より黄色のほうが好き」
この2つの感性が当時の僕になかったら、 今ごろ僕は中日ファンやったと思いますw
続・阪神ファンになった経緯(1975年・ファン1年目・小学1年)
阪神を応援するようになった「きっかけ」については書き終えました。 しかし、まだその時点では「完成形」とは言えなかった。 もう少しだけ「どーでもいい思い出話」を続けますw
ファン1年目、1975年シーズンは3位に終わった。 優勝したのは広島。 たぶん球団創設以来、初めての優勝だったんじゃないかな? よく覚えてるのが「赤ヘル」というワード。 この年から帽子やヘルメットを今のように赤に変えたため「赤ヘル軍団」といった言葉が流行った。
だが個人的には「10年ぶりに巨人以外が優勝した」前年の中日優勝ほどのインパクトは感じなかった。 実際に世の中的にはどうだったんだろう・・。 「燃えドラブーム」と「赤ヘルブーム」。 前者のほうが大盛り上がりだった気もするが、これは個人的な印象なのかもしれない。
’75年の阪神の看板選手は4番キャッチャー田淵。次いで3番ショート藤田平。 高卒2年目の掛布は佐野と併用されてる準レギュラーで、まだ下位を打つ目立たない存在だった。 僕的に一番のお気に入り選手は藤田平だったが、この年の終盤は田淵を積極的に応援した。 というのも、ホームラン王のタイトルがかかっていたからだ。
前年まで王が13年連続でホームラン王。 しかも前年まで2年連続で三冠王。 まさにプロ野球界の王様だった王さんに「待った」をかけたのが田淵。 巨人への対抗心から阪神を応援し始めた僕的には、これほど応援し甲斐のある構図はなかった。
結果、見事に田淵が王を抑えてホームラン王に。 僕は歓喜した。 チームが優勝できなかったことなど、何とも思わなかった。 田淵が王に勝った! 溜飲を下げるには、十分すぎるほどのインパクトだった。 前年に中日が巨人の10連覇を阻止したのと同様の革命的な出来事と感じた。
なお、溜飲を下げると言えば、この年から長嶋監督となった巨人は最下位に沈んだ。 「ざまぁ~みろ!」 めちゃめちゃ喜んだのを覚えているw
ところで、この年に気づいたのだが、父親は明らかに広島を応援していた。 兄は巨人を応援してるのに、父は応援していない・・。 いや、それどころか、僕同様に巨人の最下位を喜んでる。 父は広島びいきのアンチ巨人。 そうだったのか・・。
しかも、よくよく聞いてみると、母親はどういう訳か阪急びいき(ただしアンチ巨人ではない)。 兄を中心に、てっきり家族は一枚岩で、僕だけが造反した立場なのかと思っていたが、 実は最初からバラバラだったということに気づいた1975年シーズンだった。
広島カープは最初から赤ヘルがトレードマークだったわけじゃないんですね。 初めて知りました。
王さん 13年連続本塁打王って😅 改めて偉大さを思いしらされます。 それを止めた田淵さん。 それも当時は大きな出来事だったんでしょうねー。
ところで確か東京の下町ご一家だったかと。 でも広島 阪急 読売 阪神と それぞれご贔屓のチームが違うってユニークですね。 ご両親のルーツに関係してるとか?
それがですね、父方、母方ともに、 明治時代までさかのぼっても、ずっと東京の下町エリアなんです。 今や絶滅危惧種となりつつある、チャキチャキの江戸っ子一族?
あ、江戸っ子と言っても、実際に江戸時代のご先祖様がどうだったかは分かりません。 立派な家系図があるような名家ではないのでw
成人してから両親に聞いたことがあります。 「なぜ広島?」「なぜ阪急(オリックス)?」と。
きっかけはささいな事だったようです。 それぞれ一行に要約すると、 父「弱いところを応援したかった」 母「上田監督が好きだった」
とのことでしたw
お母様 上田監督きっかけとは なかなかマニアックですね。
調べたらかなり長い期間 阪急は上田監督だったんですね。 私は晩年の日ハム監督のイメージのほうが強いです。
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独居であまり外にでん老人(とは思ってないけど)に何がいるねん。
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それ、別にいらんがなあ~と後で思うもんが、なんぼあったか。
例えば日頃滅多に外に出ん上に、出る日もあまりかぶらん帽子、5個もいらんぞ?
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けど、このキャンペーン、還元とは別にええ事がある。
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今月、来月は歩数も、太陽浴びる事も増えるやろ。
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あかん、連投過ぎや。
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"ちと""どえらい"?何やこの言葉。
イリーガルさん
たいして強くもなかった高校野球部の控え外野手だった私が
サードの守備について語るのも恐縮ですけど
正対するよう指導されていた気がします。
でも個々のクセで少しだけどちらかの足を引くこともあったような。
それより内野手の構えの指導で思い出されるのは低く低く
ですかね。
市さん
小学6年生のソフトボールでの実績
それは自慢して良いんじゃないでしょうか。
すごいと思いました。
私は書くのが極端に苦手で
恥ずかしいくらい時間がかかるんです。
でも読むのは大好きなので誰が興味あんねん話
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晩御飯さん
なるほどご結婚と移住を機に野球との距離が。
でも甥っ子さんの相手したり今でもリハビリでキャッチボール。
やっぱり野球がお好きなんですね。
それと本職競技も草野球と平行して指導者になるまで続けてらしたんですね。
てっきり飽きた…のままやめてしまったのかと。
今日もオールスター見ながら飲んでます。
万波くんすごいですね。
放置民さん、いつもありがとうございます。
昔は基本正対でしたよね〜w
でもその約半世紀前wとは野球そのもの、そして指導方も変化してますね。
私が小学生の時は守りで「構えろ」と言われたらグラブは開いて膝頭に被せ、利き手は反対の膝頭に被せてました(笑)
全力疾走後に息を整えてる姿勢みたいに、、、
反応のしやすさなどお構い無しで内外野7人が同じスタイルで構えてました。
よく考えると単にウチのチームがヘボだっただけかも?ですが。
>> 239
「セイバーメトリクスと私」ですかw
シリーズ化するほどのエピソードはないですねぇ。
あの類いは僕の中で「別腹」とでも申しましょうか、言わば「もうひとつの野球の楽しみ方」なんだと思います。
日ごろ野球好きの仲間たちとの会話で、僕がセイバー指標を持ち出して話すなんてことはほぼ皆無です。
ただ逆に活字だけでやり取りする掲示板だと、選手情報を前提共有する上で便利さは感じます。
「打率」や「防御率」だけだと、選手を知る手がかりとしては、どうしても側面的になりがちですから。
セイバーとの出会い(結局語るんかいw)
2004年のある日、仕事仲間が「お前が好きそうな本を見つけたから、買ってきてやったよ」と手渡されまして、
それが当時、日本で翻訳出版されたばかりの「マネーボール」でした。
(2011年にブラピ主演で映画化もされましたね)
その本は当時、アメリカでも日本でも、そこそこ話題になったと記憶しています。
ですから多くの人がそうだったように、僕も「マネーボール」がセイバーを知るきっかけとなりました。
時が経ち2015年のシーズンが開幕すると、僕はその頃から「ペナトピ」への投稿を始めました。
その年は福留がメジャーから阪神に移籍してきて3年目でした。
1年目、打率.198 6本
2年目、打率.253 9本
3年目も開幕直後は打率が上がらず、掲示板上でも「もう福留はええやろ(過去の人)」という空気でした。
ところがセイバーの各種指標を閲覧すると、いい意味で異常値が出ていたんですよね。
僕はそれをペナトピで紹介し、「今年福留は復活するかもです」などと書き込んでいたんです。
結果的には(たまたまかも知れませんが)3年目の福留は打率.281 20本と復活し、
その後も数年に渡り、阪神では主軸を任されましたよね(中日時代ほどではありませんでしたけど)。
その福留の3年目きっかけで、いよいよ「数字で見る野球も面白いな」と思うようになり、
で、何やかんやと今日に至る・・といった感じでしょうかw
あくまで数字「も」面白いです。
数字ばかりで野球を見てるわけじゃありませんw
冒頭にも書きましたが、僕の中ではあくまで「別腹」といった位置づけですねー。
>> 241
くるっと一回転もそうですが
センターに抜けそうな当たりをセカンドがグラブトスして
それをショートが素手て捕って一塁送球。
アライバのようなことを普通に高校生がやり始めたときに
「高校野球も変わったなー」と驚きました。
あれ
けっこういい時間ですね。
酔ってますというどーでもいい報告して
お休みなさいませ。
あ
ゲッツーじゃないです。
二塁手が踏ん張って一塁送球しても間に合わないとの判断で
代わりに遊撃手に送球してもらうパターンの話です。
文章下手ですね。
自分でも嫌になります(笑)
いえいえ、よくわかります。
そういや漫画「ドカベン」にて、、、
二塁ベース付近の打球を殿馬が飛びついて捕球、空中に浮いたままグラブの網の部分を外から右手でトンと叩き(押し込み)ショートにトスってのを思い出しました。
さすがにこれは見たことがない(漫画や!あるかーい)
>> 240
「そうかぁ。。近い時代でも、地域や環境、指導者が違えば、スタイルも違うよなー」
「俺たちは、内外野7人が同じ格好で守ってはいなかったなぁ。。」
「イリーガルさんの言う、膝頭に手を当てて低く構えるのは内野だけだったなぁ。。」
「外野はもう少しゆったりと、大きく構えていたなぁ。。」
「ん?ホンマに?なんか体長3cmくらいのプラスチックが思い浮かぶのは何故??」
古い古い記憶を掘り起こしていくと、僕の原風景が甦ってきました・・。
不朽の名作? 1970年発売、エポック社のデラックス野球盤!
僕の脳内イメージに残っていたのは、コレでしたわww
調べてみると、初代・野球盤は1958年発売だそうです。
1958年といえば、六大学野球のスター長嶋茂雄がジャイアンツに入団し、
いよいよプロ野球人気が国民的な地位を確立した年かな?
今に続くせ・パ6球団ずつというスタイルに落ち着いたのもこの年だったはず。
(大相撲の年6場所制が確立したのも1958年だったような)
画像にあるのは、僕が遊び倒した1970年モデルです。
バッテリー間のグラウンド(ボール紙)の下には磁石が仕込んであって、
左右に変化球を投げることも出来ました。
しかし、後に人気を博すことになる、落ちる球(消える魔球?)はまだ搭載されていませんでしたね。
ホンマ究極にどーでもええ話ww
野球盤。
年代が同じだと私もその1970年モデルで遊んでたのかな。
変化球ありました、ただ落ちる球もあったので二代目かも?
バットを左打ちに差し込めました。
スタンドにある得点表、チーム名・数字は紙を挟み込むやつでヨレヨレになった。
晩酌中に思いつく〜
そやそや、息子が野球好きになるように20年ほど前に買ったのが押入れにあったはず!
阪神タイガースとコラボしたバージョン。
捜索開始するも中々見当たらず、ようやく外箱が目に入った。
シャワーしたばっかりやのにこの段階でもう汗だく。飲みかけのビールはヌルなってるやろ。
このまま押し進み、一気に引っ張り出そうか思案してると嫁が、、、
「何ゴソゴソしとん、もう止めてや、全部崩れてきたらどうするん?私知らんで、元通りしてや、そもそもそんなもん出してきて何するん?意味分からんし」との温かいお言葉。
ということで断念し記念に写真を撮る。
エポック社の公式サイトで野球盤の歴史を見てみました。
落ちる球(消える魔球)が搭載されたのは1972年以降ですね。
写真の阪神バージョンは2004年モデルです。
奥様、お手柔らかに・・😅
まぁどの家庭でも嫌がられるでしょうけどw
やはり私のいたチームはレベルが低すぎですね。
この野球盤画像のレフトのような構えをしていると、ベンチから「レフト!ボーとすんな!構えんかーい!」と言われましたね(笑)
反応とかプレーを考える指導者などいない、とりあえず構えてたらオッケーみたいなw
例えんでもいいけど例えると、シャツは必ずズボンにインや!ジーンズでも何でもベルトせんかい!てな感じですかね。(よう分からん)
監督コーチというか皆友達の父親でしたし。
それと「低く構える」のもないです。
膝頭にかかる両腕は伸びきってますから。
つまり膝頭に手があれば○です(笑)
市さーん!
もしこの投稿を読んだらレスつけてもらえます?
おっと
そういや市さん、何かあったの??
そういえば前に市さん書き込めないと言ってましたね。
もしくは書き込んでも人からは見えずに独り言だったとか?
ログインに成功して解決済みかと思ってましたけど。
今も読めてはいるんでしょう。
では市さんも読んでる前提で続けながら
再復帰を心待ちにしましょうー。
自分がプロ野球選手になってる設定の夢を、過去に何度も何度も見たことがあり、
最近もファン感謝デーのロングティー対決に出て、スタンドインさせたわけだが・・。
5年くらい前に見た夢には非常に困惑させられた。
自分はまだ大学生という設定。
そしてなんと、阪神からドラフト1位で指名されてしまった!
しかも「投手」としてww
以下、夢の中での心の揺れ。
・いやいや、俺ピッチャーなんてやったことないよ。
・いやいや、そもそも草野球しかやってないよ。
・断るしかないよなぁ。
・でも阪神からの指名だぞ?しかも1位指名!断るのはもったいないか?
・いやいや、入団したってすぐに素人だとバレるだろ!
・どの時点でバレる?新人合同自主トレか?
・仮にそこを乗り切ったとしてもキャンプインしたらすぐにバレるな。
・ブルペン入りしなけりゃバレないか?
・「ドラ1ルーキー晩御飯、今日も余裕のノースロー調整」とかデイリーの見出しになるんかな?
・いやいや、いつまでもブルペン回避できんだろ。
・試合で投手はやったことないが、遊びで投球練習はよくやってたからストライクは投げれるぞ。
・ただプロの球威ではないと1球でバレるよな。
・チェンジアップを投げて軟投派だと思わせればなんとかなるかな?
・いやいや、なんともならねーよ!w
・いや待てよ?最初のうちはダメダメでも、やってるうちにそれなりの投手に成長するかもよ?
・もしかして、それを見越しての指名だったのか?
・いやいや、そんなわけあるかーい!w
・断るべきか、ダメ元で入団してみるか。
・ん~、どうしよ。困った!迷う!!
ていう、アホすぎる夢w
翌朝。
「俺、昨晩な、阪神からドラフト1位で指名される夢を見たんよ」と嫁に報告するも、
鼻で笑われ、一瞬で会話が終了したのは言うまでもない。
夢シリーズ再開ですねー。
トレードに出された話も待ってます。
野球にまつわる妄想癖は、「自分はプロ野球選手」という設定の夢を見る形で表れるとは限らない。
いつものように、バーのマスターとキャッチボールをしていた。
久々にピッチング練習をしたくなったので、マスターに座ってもらった。
何球か真っ直ぐを投げ込んだあと、ちょっとイタズラしてやろうと思い立ち、挟んで投げてみた。
するとビックリ!
ボールは見事にストーーンと落ちた。
一球だけたまたまかと思い、同じような抜き加減で繰り返し投げてみたが、
いや~、気持ちいいくらい落ちる落ちる!
ずっとスライダーしか投げられなかった僕が、突如としてフォークボールをマスターしてしまったのだ。
・・という夢を去年の夏に見た。
ちなみに、実際はスライダーも投げられません。
まさかの二段オチ。
ツボりました。
突然フォークが投げられた。
スライダーしか投げられなかったのに。
でも夢だった。
あれ?
おかしいな。
少し前に投げられる変化球はチェンジアップだけと書いてたような?
フォークが夢だったことより
スライダーを投げられるという設定からして妄想だったなんて😆
酔ってます🎓
🎓 ←この絵文字が判らんですw
さては、酔うてますね?
かく言う僕も泥酔状態で深夜1時半に帰還。
改めてオチの説明をされるのはハズいっスw
坂本捕手、犠飛と救援投手のリード、ゾーンに入ってましたね。
小幡もよう打った!
寝ますzz・・野球の夢が見れますように・・zz
1996年オフに、僕は阪神から巨人へとトレードで出された。
確かに出されても仕方ない。
僕は中途半端なプロ野球選手だった。
一軍に定着はしているものの、試合には出たり出なかったり・・。
二遊間型の内野手として入団して以来、一度も規定打席に到達したことはなかった。
当時の阪神のショートは久慈で固定されていた。
僕は二塁手として、平尾や星野修とレギュラー争いをする立場だった。
しかし、’96年オフのドラフトで、阪神は今岡を獲得した。
おそらくそれが決定打となり、僕は出されたんだと思う。
(つづく)
>> 266
1997年の開幕を読売巨人軍の一員として迎えることになった当時28歳の僕。
しかし、僕の置かれた立場は相変わらず微妙なものだった。
前年新人王を獲得した仁志は、二塁手としてデビューしたものの、
シーズン途中からはチーム事情でサードを守っていた。
しかし’97年からは再びセカンドに戻されることが決まっていた。
また仁志と同い年の若手には、まだ有望株として期待されていた元木もいた。
さらには、このとき既にベテランの域に差し掛かってはいたものの、名手・川相もまだまだ健在だった。
「川相さんを蹴落とし、元木に勝たない限り、俺のレギュラーはない」
「しかもその場合、セカンドは仁志で確定だろうから、俺は本職のセカンドではなくショートで勝たないとならない」
阪神時代よりもさらに厳しい状況下に置かれることとなった。
「まぁ、このままなら、あと1~2年で戦力外だろうな。そうなったら俺なんて拾う球団はない。引退だな」
半ば諦めのような気持ちもあったが、とりあえずプロ野球選手でいれる限りはしがみつこうと思った。
しかし、どうせ1~2年後に引退するならば、やっぱり阪神の選手としてユニホームを脱ぎたかった。
トレードに出されたのは、やはりショックだった。
(つづく)
>> 267
僕は当時交際していた彼女と、上野駅のホームにいた。
北関東の静かな温泉旅館にでも泊まり、ゆっくりと過ごしたかったのだ。
そろそろ予定の特急列車が出発する。
僕は慌ててキオスクで買い物を済ませると、彼女に乗車するよう促した。
・・が、そのとき、ふと思った。
「あれ?俺、今夜試合じゃね?」
呑気に温泉など行ってる場合ではなかった。
どういう訳か、試合があることをすっかり忘れていたのだ。
僕は彼女に言った。
「ゴメン、温泉はひとりで楽しんできて。俺、今夜東京ドームで試合だったわw」
彼女「えー!私ひとりで行くの??」
僕「ゴメン、ゴメン。ていうか急がないと時間ないわ。ユニホームもバットも全部家に置きっ放しだし」
僕は彼女を強引に列車に押し込むと、大急ぎで地下鉄に飛び乗って、道具一式を取りにいったん家へと向かった。
「試合前の練習に間に合うかな・・。家からドームまで30分として、ギリだな」
僕は地下鉄の車中で何度も何度も腕時計に目をやっていた。
すると、ものすごく多くの視線を感じたので、顔を上げて車内を見渡してみた。
乗客のほぼ全員が、僕を見ていた。
(つづく)
>> 268
地下鉄の乗客が一斉に僕を見てる。
いったい何事だ??と思った。
すると、どこからともなくヒソヒソ声が聞こえてきた。
「あれ、今年巨人に移籍してきた晩御飯じゃね?」
「ホントだ、すげぇ、晩御飯だ!」
「プロ野球選手も普通に地下鉄なんか乗るんだな」
「ていうか今日ドームで試合じゃね?こんな所にいて間に合うんか?」
おー、マジか!
関西で言うところの「顔をさす」ってやつね。
俺ごときの選手が?
当時の阪神は暗黒期で人気は今ひとつ。
僕レベルの選手だと知名度も低く、関西の街をウロついていても、これほど注目されることはなかったのだ。
3~4人の子供たちが駆け寄ってきて囲まれた。
「巨人の晩御飯選手?」
僕がそうだと答えると、
「すげぇ!サインください!」「俺にもください」「俺も!」と大人気にw
僕は思った。
「やっぱり巨人の選手にもなると、全然違うんだな・・」
「阪神を出されたのはショックだったけど、出された先が巨人だったというのは、実はオイシかったのかもw」
「ファンとしてはアンチ巨人だったけど、選手としてなら・・、巨人も悪くないなww」
・・ていう夢を、1997年の春先に見た。
数々の「自分はプロ野球選手」という設定の夢を見てきた中で、
この夢が最も印象的で、26年経った今でも鮮明に覚えているw
以上、これにて「夢シリーズ」はおしまい。
色々とリアルですね😄
そんな面白い夢を見たら私も忘れないと思います。
これで夢シリーズも終了ですか。
阪神ファンになったいきさつシリーズがまだ途中でしたね。
続きまってます。
人に書かせてばかりでごめんなさい😅
もともとほぼロム専だったので。
本当は実況スレにももっと参加したいんですけど
書くのが異常に遅いので全然流れについていけないんです😂
途中だったの、忘れかけてましたw
確か1974年、巨人の10連覇を中日が阻止したあたりで止まってましたね。
明日以降、ヒマ見つけて徒然なるままに続けまーす。
さっき巨人ファンの知人と会う機会があったので、
昨日ここに書いた「夢の中とはいえ、うっかり猛虎魂をジャイアンツに売ってしまったw」という話をしたところ・・。
知人「その二遊間型の選手として阪神から巨人に移籍したというのは、1997年と言った?」
僕「そうそう」
知人「それって、当時リアルタイムで見た夢?」
僕「そうそう」
知人「で、長くても1~2年でクビだろうと夢の中で思ってたと・・」
僕「そうそう」
知人「なるほどねー。だとすると、いい勘してるよ。確かに2年でクビだっただろうね」
僕「何で?」
知人「2年後の1999年には、二岡が入団してくるから」
僕「なるほど!それはクビ確定だw」
奥さんや彼女とは別の女性と
夢の中で浮気したら
それは浮気と呼べるのかな
なんてどーでもいい事をしばらく真面目に考えてしまいました😅
あれほどショックだったトレード(温泉は傷心旅行?)
なのに夢の最後には「巨人オイシイ♪」と、浮気どころか本気になりかけてましたわw
ちなみに温泉に連れて行こうとしてた女性は、当時の僕の彼女であり、
まだ今の嫁さんとは知り合う以前なので、浮気には該当しませんw
>> 141
阪神ファンになった経緯(4)
1974年、セ・リーグを制したのは中日ドラゴンズ。
これはまだ幼稚園の年長さんだった僕にとって衝撃的な出来事だった。
「えっ、巨人が勝つと決まってるわけじゃなかったのか!」
10年ぶりに巨人以外の球団が優勝。
坂東英二が歌う「燃えよドラゴンズ」が全国的に大流行。
そして長嶋茂雄の引退。
ひとつの時代が終わった感があった。
当時の僕の心の中はこんな感じ。
「実はガチで戦っていたのか・・」
「そうだったのか~!俺は何も分かってなかった」
「本当であればどこが勝つか分からない・・そういうものなんだな?」
「要はプロ野球って仮面ライダーとは違い、必ず主役が勝つわけじゃないんだな」
「いや、待てよ・・。そもそも巨人が主役と誰が決めたんだ?」
「王と長嶋を中心とした巨人が主役のドラマだと思い込まされてきたが、それは何故だ?」
「そもそも、なぜ巨人戦だけ毎日テレビで中継してるんだ?」
「『巨人の星』とか『侍ジャイアンツ』とか、あれって何なんだ??」
「12球団もあるのに、巨人ばかりが特別扱いを受けているではないか!」
「巨人、ズルくない?ていうか勝手に脇役扱いされてきた他の球団、可哀想じゃない?」
ここで初めて、僕の中で「アンチ巨人」の心が芽生えた。
「よし、決めた!俺は来シーズンから巨人以外を応援するぞ!」
「どこを応援する?」
「ズルい巨人を倒して欲しいわけだから、やっぱりセ・リーグのどこかだよな」
「巨人の10連覇を阻止してくれた中日か?谷沢とかカッコいいし」
「いや、それだと今のブームに乗るというか、勝ち馬に乗るみたいで逆にダサいな」
「中日以外だと・・、やっぱり阪神だろ!巨人のライバルといえば阪神だ!」
「よく考えてみたら、星飛雄馬なんかより花形満のほうが断然カッコイイではないかw」
「何より、チームカラーが黄色ってのがいいよな!」
「よし決めた!来年から俺は阪神タイガースを応援するぞ!」
とまぁ、そんなこんなで僕は、1975年シーズン(小学1年)から阪神ファンになりましたw
ちなみに「チームカラーの黄色がいい」というのは、
単に子供の頃、色の中で「黄色」が一番好きだったからw
しかしコレって意外と重要なファクターだったと今にして思う。
もし僕が「青が好き」な子供であったならば、
流れ的にはそのままあっさりと中日ファンになっていた可能性もあったように思うのだ。
(つづく・・かも知れない)
中日の優勝が引き金となって
いろいろと目覚めちゃったんですねー。
私その頃まだオムツしてました😅
記憶にあるのは80年代からです。
「勝ち馬に乗るのはダサい」
「青より黄色のほうが好き」
この2つの感性が当時の僕になかったら、
今ごろ僕は中日ファンやったと思いますw
続・阪神ファンになった経緯(1975年・ファン1年目・小学1年)
阪神を応援するようになった「きっかけ」については書き終えました。
しかし、まだその時点では「完成形」とは言えなかった。
もう少しだけ「どーでもいい思い出話」を続けますw
ファン1年目、1975年シーズンは3位に終わった。
優勝したのは広島。
たぶん球団創設以来、初めての優勝だったんじゃないかな?
よく覚えてるのが「赤ヘル」というワード。
この年から帽子やヘルメットを今のように赤に変えたため「赤ヘル軍団」といった言葉が流行った。
だが個人的には「10年ぶりに巨人以外が優勝した」前年の中日優勝ほどのインパクトは感じなかった。
実際に世の中的にはどうだったんだろう・・。
「燃えドラブーム」と「赤ヘルブーム」。
前者のほうが大盛り上がりだった気もするが、これは個人的な印象なのかもしれない。
’75年の阪神の看板選手は4番キャッチャー田淵。次いで3番ショート藤田平。
高卒2年目の掛布は佐野と併用されてる準レギュラーで、まだ下位を打つ目立たない存在だった。
僕的に一番のお気に入り選手は藤田平だったが、この年の終盤は田淵を積極的に応援した。
というのも、ホームラン王のタイトルがかかっていたからだ。
前年まで王が13年連続でホームラン王。
しかも前年まで2年連続で三冠王。
まさにプロ野球界の王様だった王さんに「待った」をかけたのが田淵。
巨人への対抗心から阪神を応援し始めた僕的には、これほど応援し甲斐のある構図はなかった。
結果、見事に田淵が王を抑えてホームラン王に。
僕は歓喜した。
チームが優勝できなかったことなど、何とも思わなかった。
田淵が王に勝った!
溜飲を下げるには、十分すぎるほどのインパクトだった。
前年に中日が巨人の10連覇を阻止したのと同様の革命的な出来事と感じた。
なお、溜飲を下げると言えば、この年から長嶋監督となった巨人は最下位に沈んだ。
「ざまぁ~みろ!」
めちゃめちゃ喜んだのを覚えているw
ところで、この年に気づいたのだが、父親は明らかに広島を応援していた。
兄は巨人を応援してるのに、父は応援していない・・。
いや、それどころか、僕同様に巨人の最下位を喜んでる。
父は広島びいきのアンチ巨人。
そうだったのか・・。
しかも、よくよく聞いてみると、母親はどういう訳か阪急びいき(ただしアンチ巨人ではない)。
兄を中心に、てっきり家族は一枚岩で、僕だけが造反した立場なのかと思っていたが、
実は最初からバラバラだったということに気づいた1975年シーズンだった。
広島カープは最初から赤ヘルがトレードマークだったわけじゃないんですね。
初めて知りました。
王さん
13年連続本塁打王って😅
改めて偉大さを思いしらされます。
それを止めた田淵さん。
それも当時は大きな出来事だったんでしょうねー。
ところで確か東京の下町ご一家だったかと。
でも広島 阪急 読売 阪神と
それぞれご贔屓のチームが違うってユニークですね。
ご両親のルーツに関係してるとか?
それがですね、父方、母方ともに、
明治時代までさかのぼっても、ずっと東京の下町エリアなんです。
今や絶滅危惧種となりつつある、チャキチャキの江戸っ子一族?
あ、江戸っ子と言っても、実際に江戸時代のご先祖様がどうだったかは分かりません。
立派な家系図があるような名家ではないのでw
成人してから両親に聞いたことがあります。
「なぜ広島?」「なぜ阪急(オリックス)?」と。
きっかけはささいな事だったようです。
それぞれ一行に要約すると、
父「弱いところを応援したかった」
母「上田監督が好きだった」
とのことでしたw
お母様
上田監督きっかけとは
なかなかマニアックですね。
調べたらかなり長い期間
阪急は上田監督だったんですね。
私は晩年の日ハム監督のイメージのほうが強いです。