ペナトピ・Deracine版

雑記帳 / 309

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晩御飯 2023/08/09 (水) 10:41:44 修正

>> 295
チームの柱が田淵から掛布になった。
田淵は僕が物心つく以前から阪神の中心選手だったが、
掛布は僕が阪神を応援し始めてからブレイクした。
当時この違いは大きく感じた。

田淵率いる阪神に対しては、ファンとして「ついて行く」感覚だったが、
掛布率いる阪神に対しては、「支える」「寄り添う」感覚に変わった。
その感覚が芽生えたのは田淵が去った’79年シーズンからであり、それは今にも通じている。

そしてもうひとつ、今に通じる感覚。
「100%阪神を応援」「巨人だけには負けたくない」
この意識がより強固になったのも、’79年シーズンから。
そう、あの「空白の一日事件」と、巨人のエース小林繁の加入があったから。
あの一件があったことで、僕は阪神ファンとしての完成形(?)に至ったのだと今にして思う。

実を言うと、’78年シーズンまでは、ほんの少しだけ中日のことも応援していた。
’74年の中日優勝をきっかけとして気づきを得て、阪神ファンになった経緯があったため、
まだどこかに巨人の10連覇を阻止した中日に対するリスペクト感が残っていたからだ。
よって’75~’78年の4年間は、9割阪神、1割中日くらいの感じで応援していた。

しかし、’79年シーズンからは、100%阪神ファンになった。
田淵という大きな柱を失った阪神、若き掛布を中心とした阪神、
そして悲劇の男・小林繁が加入した阪神にガッツリ寄り添い、支えるためにw

さらに、アンチ巨人という意識への罪悪感も’79年から無くなった。
それ以前は、「何かと巨人ばかり特別扱いされててズルい」とは思っていたものの、
それはそういう扱いをする側の問題であり、巨人そのものに罪はないのかも・・という躊躇が多少なりともあった。
しかし江川事件によって、アンチ巨人であることへの後ろめたさが完全に消えたww

そんなこんなで、小学5年となった’79年から「100%阪神ファン」&「堂々とアンチ巨人」となり、
翌’80年(小6)には岡田が入団、’83年(中3)でバース加入、’85年(高2)で念願の日本一となり、
20代は暗黒期を過ごし、30代に’03年、’05年の2度のリーグ優勝。
そして現在に至る・・という、ホンマどーでもいい、あまりに個人的すぎる振り返りw

(おしまい)

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  • 310
    晩御飯 2023/08/09 (水) 13:47:08 >> 309

    ただし、実のところ言うほどアンチ巨人でもないw
    あくまで「そういう立ち位置でプロ野球を楽しんでる」だけ。

    どの球団、どの選手でも、プロ野球選手はみんな憧れ。
    どこが勝っても、どこが負けても、野球という競技そのものが楽しい。
    そんな中、特別に贔屓してる阪神タイガースが勝てば、なお楽しい。