続・阪神ファンになった経緯(1979年・ファン5年目・小学5年)
前年オフからこの年の開幕まで、大きな出来事が2つあった。
1)クラウンライターから西武になったライオンズと大型トレード。
2)江川事件(空白の一日)に端を発し巨人のエースが阪神に加入。
1)田淵、古沢 ←→ 竹之内、真弓、若菜、竹田
この頃になると、おそらく人気面では掛布に抜かれていただろうが、それでもまだ主砲でありチームの顔だった田淵。
まさかその田淵が阪神の選手じゃなくなるなんて、当時としては信じられない出来事に感じた。
個人的には、引退するまで西武のユニホーム姿に違和感をぬぐえなかった(似合ってねぇ)
古沢も、僕が阪神の試合を初めて生観戦したときの先発投手だったし、「えっマジか」と驚いた。
ただ、まだこの頃の僕は野手目線に偏った野球の見方をしていたので、田淵放出ほどのショックは感じなかった。
クラウンの選手は、正直よく知らなかった。
かろうじて竹之内を知っていたくらいか。
今になって調べると、若菜はクラウン時代には既に「ほぼ正捕手」と言っていいくらいの選手になっていたし、
真弓も前年にオールスター初出場し、ショートでベストナインに選ばれるなどブレイク直後の選手だった。
とはいっても、そこはマイナー球団クラウンの選手。
まだ10歳当時の僕にとっては「どこの馬の骨とも分からない」面々でしかなかった。
「田淵がいなくなる?阪神はどうなってしまうのだろう・・」
今の感覚でいうと、大山と近本と梅野がいっぺんに居なくなってしまうくらいの大きな喪失感があった。
そのくらい子供から見ても、田淵はチームに欠かせない大黒柱として映っていたのだと思う。
(つづく)
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移籍してきたときの真弓さん
まだ阪神ファンに期待されてなかったんですか?
いや、単に僕が無知だっただけだと思います。
当時は球団ごとに注目度が全然違いましたからね。
「クラウンの若手」となると、多少の活躍くらいでは全国的な知名度は上がらなかったのかもしれません。
実際に当時、周囲の「野球ツウ」の大人たちから僕はよく言われましたよ。
「おい、お前が贔屓にしてる阪神、真弓獲ったな」
「あれはいいぞ~」「阪神でも活躍するぞ~」
「マユミ」なんて女の子みたいな名前なのに、ルックスは超男前。
そのギャップ萌えも手伝って、移籍一年目からすぐに人気急上昇した記憶です。
僕自身、小学生時代はあんなに掛布に夢中だったのに、
中学時代はすっかり真弓がイチオシ選手になってましたからねw
大人たちの予言どおり、まさに「いいの獲った」でした。