F22108
2024/11/22 (金) 12:52:47
2caa4@8f240
一般に人はこう行動するはずだというあたかも正義のような思考は人間関係を築く術をもち、世間で言われている常識が当たり前とされる社会で生きることに抵抗がない人にのみ適用される。しかし、どんなに近しい人であっても人は人を完全に理解することは出来ないと考える。一般的とされる人間観に反する人がいることは事実であるため、大多数と例外に割り切るべきである。例外の人をこれは大前提として、言説の目的を問うことが大切であると考えられる。例外をあげることにどのような意図があり、その一部の人々による影響がどれほど重要かを明確にしておくべきであると思う。
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「一般に人はこう行動するはずだ」というのが「あたかも正義」であるという表現は、今回の供述分析の評価としては理解しかねますね。その前提は経験則的で、例外の存在は当然あるわけなので、注意して用いるべき原則であるという主張ならわかりますが、別に「正義」を主張しているわけではないと思います。「人は人を完全に理解することは出来ない」なんて当たり前なので、この一文はなくていいと思います。むしろなくした方が、論理展開としては整然としませんか。「人のことを理解できるか」が問題なのではなく、経験則には例外があるということを言いたいのだと思いますので。そのあとの流れがよくわからない。どういうことが主張したかったのでしょうか。
3点差し上げます。