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みんみ教徒の集い / 3271

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流浪のみんみ教徒 2022/04/02 (土) 00:03:03 457e0@2c67d

本日は国際子どもの本の日であります。
ミュンヘン国際児童図書館の創設者で国際アンデルセン賞の第1回受賞者である
イエラ・レップマン氏が、1966年に子どもの本に関する
一般社会の関心を喚起するために催事などを行う日を設けようと提案され、
国際児童図書評議会(IBBY)がこれを受け入れる形で
1967年から正式に祝われ始めた国際デーであります。日付はデンマークの童話作家
ハンス・クリスチャン・アンデルセン氏の誕生日である4月2日が選ばれております。
1969年からは毎年、IBBYの加盟国のうちの1国がこの国際デーに
世界共通のポスターとメッセージの作成を担当する事となっております。
これは国際デーに関心はあるものの、何をすればよいのか分からないという
IBBY加盟各国のために設けられた制度であります。
日本における国際子どもの本の日は、IBBYの日本支部である
日本児童図書評議会(JBBY)が世界共通ポスターとメッセージの日本語版を作成して
同会のウェブサイトでの公開や各地の公共図書館への配布を行っております。
1996年より毎年実施されており、初年度はポスターを絵本作家の小野かおる氏が、
メッセージを児童文学者の渡辺茂男氏が作成されました。
また、2000年には国際子どもの本の日と
国際子ども図書館の開館を記念して特殊切手が発行されました。
また、4月2日を前に「子どもの本の日フェスティバル」というイベントが開催され、
2001年から毎年、東京・大崎のゲートシティ大崎のホールで開催しており、
絵本作家や画家も出席して各種行事や読み聞かせなどが開かれ、
来場者は無料で参加する事ができます。2017年は3月4日と3月5日に開催され、
布絵本の制作体験などのワークショップを実施すると同時に
「世界の子どもの本展」を開催され、200冊に及ぶ世界の児童書が展示されました。
 ハンス・クリスチャン・アンデルセン氏は、
 デンマークの代表的な童話作家/詩人でいらっしゃいます。
 1805年4月2日、デンマーク中央部に位置するフュン島の都市オーデンセにて、
 靴職人の父親と洗濯婦の母親の間にお生まれになりました。
 経済的に苦しい家庭ではありましたが、父親はノルウェーの作家の
 ルズヴィ・ホルベア氏の喜劇やアラビアン・ナイトを大声で読まれ、
 また、アンデルセン氏のために人形劇の舞台を作られ、
 アンデルセン氏もストーリーや人形の洋服を作られては楽しまれました。
 これが後に作家となられるきっかけであったとも考えられております。
 1812年、父親が徴集命令のきた近所の青年の代わりに2年間従軍されましたが、
 デンマークは1813年に財政破綻し、軍から支払われるはずの給金も得られず、
 父親は精神を病んでしまわれた後に1816年に亡くなられてしまいました。
 1818年には母親が再婚され、アンデルセン氏は自身の進路を決められるために
 学校を中退されました。織工の見習いとして働かれた後、
 1819年にオペラ歌手を目指されてコペンハーゲンへと向かわれました。
 最初の3年間は困窮を極め、劇作や歌などにおいて挫折を繰り返されました。
 デンマーク王立バレエ団のバレエ学校にも在籍されましたが、
 声変わりされた事でオペラ歌手の夢が断たれる事となってしまいました。
 しかし、その期間に出逢われた作曲家のクリストフ・ウェイゼ氏、
 コペンハーゲン王立劇場のイタリア人歌手ジュゼッペ・シボーニ氏、
 詩人のフレデリック・ヘーフ・グルベルグ氏らに目をかけられました。
 後に王立劇場の踊り子見習いとなられた時期に、同劇場の支配人で
 デンマーク王の侍従のヨナス・コリン氏に目をかけられ、アンデルセン氏は
 コリン氏の口利きで王から学費援助を受けられて大学に通われました。
 1822年には処女詩「パルナトケの墓の幽霊」を含む"Ungdoms Forsog"を
 上梓されましたが、文学的才能について学長が否定的であった事もあり、
 コリン氏はアンデルセン氏に個人授業を受けさせ、
 そこでアンデルセン氏は文献学と哲学を学ばれました。1829年には
 「ホルメン運河からアマゲル島東端までの徒歩旅行──1828と1829における」を
 自費で出版され、1833年4月から翌年8月にかけてヨーロッパを旅行されました。
 パリに滞在された後に、スイスの山村にて「アグネーテと人魚」を書き上げられ、
 秋からはイタリアに移られて各地を訪問されながら執筆を続けられました。
 デンマークに戻られた1835年に出版された最初の小説「即興詩人」は発表当時
 かなりの反響を呼び、ヨーロッパ各国で翻訳出版される出世作となりました。
 1843年1月からパリを訪問されました。この頃には名が知られていたため、
 多くの著名な方々と交友を重ねられました。1850年以降は、友人の子供や
 孫たちのために自作の切り絵などを貼られた絵本を多数作られて贈呈され、
 その後も多くの童話を発表されました。アンデルセン氏の作品は創作童話が多く、
 初期の作品では主人公が亡くなられる結末を迎える物も少なくなく、
 これは貧困層への嘆きと、それに対して無関心を装い続ける社会への嘆きを
 童話という媒体を通して訴え続けられていた事が推察されております。
 しかし、この傾向は晩年になって変化を遂げ、死という形以外にも
 幸せになる術がある事が作中に表されるようになっていきました。
 その後、1875年8月4日に肝臓癌のため70年の生涯を閉じられました。
・国際児童図書評議会(International Board on Books for Young People)
 は1953年にスイスのチューリッヒで設立された国際組織であります。
 略称はIBBYで、現在は本部をスイスのバーゼルに構えております。
 児童文学の研究や調査、発展途上国の子どもへの本の普及や、
 本を介して世界中の子供達との国際交流の促進を主に活動しております。
 約70ヵ国の加盟国に向け機関誌「Bookbird」を発行しており、
 2010年3月15日には世界初の多言語版「ブックバード日本版」として
 「アラブの児童文学を考える」を特集し、創刊しております。
 また、2年ごとにIBBY世界大会が開催されており、
 日本では1986年に第20回大会が東京にて開催されております。
ジャパリパーク内には図書館が設けられており、
そこには様々なジャンルの書籍が収められているものと思われます。
ジャパリパークに来園されるお客様の中には
お子様を含めた家族連れの方々もいらっしゃる事も多いと思われるので、
図書館の蔵書の中には童話を含めた子供向けの作品も
多数取り揃えられているものと想像できます。
子供の頃から書籍に触れられるのは非常に大切な事であります。
それは教育的観点のみならず、人生において重要な要素の一つでもある
想像力や心の豊かさを養う意味においても大切な事であり、
その経験が大人になってからの期間に大きな意味を持つ事となります。
この日を機に、童話のみならず様々な書籍に、
その中でもできれば紙の書籍に注目されてみてはいかがでしょうか?
本日もお祈りいたします、みんみー。

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