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みんみ教徒の集い / 2812

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流浪のみんみ教徒 2021/05/10 (月) 00:03:03 修正 457e0@b4aa9

本日は五十音図・あいうえおの日であります。
石川県加賀市にある薬王院温泉寺の中興の祖・明覚上人が、
平安時代後期に山代温泉にて「反音作法」を著され、
言葉の音による五十音の研究について記述されたものが
現代の五十音図に近いものとされる事から、
「ご(5)じゅう(10)おん」の語呂合わせに因んで
同県の山城温泉観光協会によって制定されました。
・山代温泉は石川県加賀市にある温泉で、加賀市の町名でもあります。
 和倉/山中/片山津と共に「加賀温泉郷」の一角を担う、
 県下有数そして北陸三県で最大級の温泉街の一つであります。
 1300年の歴史を持つ北陸随一の古湯で、行基による開湯伝説があります。
 平安時代末期には、現在では温泉地内に薬師如来が祀られている
 薬王院温泉寺の基礎を築いたと言われる明覚上人により七堂伽藍が建立され、
 町は大いに賑わったとされております。寺の境内には「めかくしさん」
 と呼ばれる明覚上人供養の石造五輪塔があり、現在は祠が建てられております。
 戦国時代には明智光秀氏が訪れたともいわれる。
 山代温泉は共同浴場(惣湯)の四周に温泉旅館があり、
 更にその南側に農家や商家が取り囲む空間構造を持っておりました。
 旅館数は18世紀には18軒程となり、この街構成は第二次大戦後まで続きました。
 明治時代には多くの文化人に愛され、芸術家の北大路魯山人氏や
 詩人の与謝野晶子氏がよく知られております。
 「山代の湯女」は明治時代中期には既に在籍しておりましたが、
 大正中期に日本初の旅行温泉ライターの松崎天明氏が記された「温泉巡礼記」で
 紹介された事によって「山代の湯女」が世に知られる事となりました。
 第二次大戦後後は北陸本線の電化や北陸自動車道の開通に伴い、
 関西や中京の奥座敷として発展する事となりました。
 1970年に最寄りの作見駅が加賀温泉駅と改称し特急が停まるようになって
 集客数が増えた結果、最盛期には年間250万名以上のお客様が訪れ、
 日本有数の歓楽街に発展を遂げる事となりました。
 しかし、1980年代に入った事から客足は次第に鈍り、
 また、バブル景気の崩壊に伴う宿泊客の減少から、
 最盛期には50軒を数えた宿泊施設は半減し、県内トップだった宿泊客数も
 同じく能登にある和倉温泉にその座を奪われる事となりましたが、
 依然として北陸三県で最大級の温泉街の一つであり続けております。
けものフレンズにおいて「五十音・あいうえお」で思い浮かぶものといえば、
アニメ一期で登場するクイズの森での一場面かもしれません。
かばん様がクイズの文章を読まれている場面で、
みんみ様がかばん様の発言に疑問を持たれていた場面が印象的であります。
ここで初めて、みんみ様は文字という存在を知られたのであります。
一方で、アフリカオオコノハズク様とワシミミズク様は
文字の存在と共に「ヒトは文字を読む事ができる」事を既に認識されており、
これがカレーライスのエピソードに繋がる事となります。
「五十音・あいうえお」は日本語の基本中の基本であると共に、
日本語ならではの多彩な表現を構成する重要な要素であります。
日本語の学習は義務教育だけで済ませられるものではなく、
生涯にわたって続けられるものである事を覚えておきたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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  • 2813
    名無しのフレンズ 2021/05/10 (月) 09:33:01 49980@d0075 >> 2812

    昔は「は」→「ぱ」だったという話は聞いたことありましたが、もっと複雑だった… (-_-;)
    50音の並び順にも意味があったとは・・・ Σ(・□・;)

    2815
    流浪のみんみ教徒 2021/05/11 (火) 00:09:21 457e0@ea4ef >> 2813

    五十音順を採用した最古の事例は、室町時代後期の
    1484年に成立した国語辞典「温故知新書」とされております。
    500年を超える歴史を持っていたとは恐れ入ります。

    2816
    名無しのフレンズ 2021/05/11 (火) 21:22:11 df5cd@cb22a >> 2813

    そうなんですね!?
    その頃はまだ「いろは」で50音になったのは明治になってからだと思ってました…
    日本語もまだまだ奥深いなぁ・・・