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みんみ教徒の集い / 2789

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流浪のみんみ教徒 2021/04/29 (木) 00:03:03 修正 457e0@f7492

本日は国際ダンスデーであります。
フランスの舞踏家ジャン=ジョルジュ・ノヴェール氏の誕生日に因んで、
国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の下部組織
「International Dance Council」によって制定された国際デーであります。
1982年に創設されて以来、毎年1名のダンサーもしくは
コリオグラファーが選出され、代表メッセージを表明されております。
更にメインのイベントとしてダンスの披露/ワークショップ/
人道プロジェクト/スピーチ等が実施されております。
この日を通じて、世界中の政府や政治家の方々に対して
ダンスの重要性や価値を表明する事が目的とされております。
・ジャン=ジョルジュ・ノヴェール氏はフランスの舞踊家でいらっしゃいます。
 1743年にフォンテーヌブローにて初めて踊りを披露され、
 1745年にフリードリヒ大王の宮廷バレエ団に招聘された後、
 2年間にわたって大王の庇護を受けられました。
 1747年にオペラ・コミックのために初のバレエ作品を手掛けられ、
 コリオグラファーとして最初の成功を収められました。
 1748年、プロシアのヘンリ王子によりベルリンに招かれましたが、
 後にストラスブールへ赴かれ、1750年まで滞在されました。
 1757年から1760年にかけてリヨンにて幾つかのバレエ作品を手掛けられ、
 「舞踊とバレエについての手紙」を刊行された事を境に、
 ノヴェール氏が着手されたバレエ芸術の改革が始まったと言われております。
 その後、ヴュルテンブルクのカール=オイゲン公爵による庇護のもと、
 シュトゥットガルトに滞在され、1760年から1766年の間、
 宮廷のメートル・ド・バレエを務められました。その後ウィーンにて
 オーストリアのマリア・テレジア大公と1774年まで契約され、
 またその間、皇女の方々の舞踊教師なども務められております。
 1775年、フランスのマリー・アントワネット王妃の要請で
 パリ・オペラ座のメートル・ド・バレエに就任されました。
 1776年の春、バレエを上演するためにウィーンに赴かれましたが、
 同年6月に再びパリに戻られ、フランス革命によって貧困に陥られるまで
 そのままオペラ座の地位に留まられました。1781年にオペラ座を退かれた後、
 イギリスに亡命されましたが長い放浪生活の末にフランスに戻られ、
 1810年11月19日、サン=ジェルマン=アン=レーにて
 83年の生涯を閉じられました。
 ノヴェール氏のバレエ作品のうち最も輝かしい事績を残しているのは、
 「ウェヌスの化粧室」「後宮の嫉妬」「頑固な海賊」
 「ライバルのない嫉妬」等が挙げられます。
けものフレンズにおいてダンスといえばPPPの皆様が思い浮かびますが、
インドゾウ様/インドオオカミ様/オオフウチョウ様といった方々も
ダンスを得意としていらっしゃいます。
近年は日本の義務教育においてもダンスが必修科目となる等、
昔よりもダンスはより身近な存在となっております。
現在は屋外での活動が制限される等の厳しい状況でありますが、
いずれ思い切り身体を動かせる世の中となる事を期待しております。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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    流浪のみんみ教徒 2021/04/29 (木) 18:24:00 457e0@f7492 >> 2789

    いつもの時間の書き込みのつもりが、随分と遅れてしまいました。
    書き込みの中に「禁止されているキーワード」なるものがあったようで、
    それを見つけ出すのに時間かかかってしまいました。
    結局、出勤の時間までに終わらず、帰宅後に再びチェックを行って、
    先ほどようやく終える事ができました。キーワードそのものというより、
    キーワードを含んだ部分を削除してどうにか解決したので、
    具体的にどの単語が禁止なのかまでは判然としておりませんが、
    およそ三年間の書き込みの中で、このような事は初めてでありました。