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みんみ教徒の集い / 2760

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流浪のみんみ教徒 2021/04/12 (月) 00:03:03 修正 457e0@0a017

本日はパンの記念日であります。
天保13年4月12日(新暦・1842年5月21日)に
伊豆韮山代官の江川英龍氏が軍用携帯食糧として作った乾パンが、
日本で初めて焼かれたパンである事に因んで、
パン食普及協議会によって1983年3月に制定されました。
また、毎月12日を「パンの日」と制定しております。
・江川英龍(江川太郎左衛門)氏は享和元年5月13日(1801年6月23日)に、
 大和源氏の系統で鎌倉時代以来の歴史を誇る江川家にお生まれになりました。
 文政7年(1824年)に代官見習いの申し渡しを受けられ、
 天保6年(1835年)に父親の英毅の逝去に伴い36代目の当主となられました。
 代々の当主は太郎左衛門を名乗り、江戸時代には伊豆韮山代官として
 天領の民政に従事されたため、英龍氏も韮山代官に就任されております。
 英龍氏はご自身やご自身の役所/支配地の村々まで積極的な倹約を実施され、
 一方で殖産のための貸付や飢饉の際の支援を積極的に行われました。
 また、嘉永年間に種痘の技術が伝わると領民の方々への接種を推進され、
 こうした領民に寄り添った姿勢に領民の方々は
 英龍氏を「世直し江川大明神」と呼んで敬愛されました。
 一方、代官に就任されて早い時期から蘭学者の幡崎鼎氏の教えを受けられ、
 海防に関する建議を行っておられ、また、後には長崎に赴かれ
 近代砲術を学ばれると共に幕府に高島流砲術を取り入れられました。
 以後は高島流砲術をさらに改良した西洋砲術の普及のための「江川塾」を
 江戸に開かれ、全国の藩士の方々への教育を実施されました。
 更には、造船技術の向上にも力を注がれ、更に当時日本に来航されていた
 ロシア使節プチャーチン氏の一行への対処の差配に加え、爆裂砲弾の研究や
 開発を始めとする近代的装備による農兵軍の組織までも企図しておられましたが、
 あまりの激務に体調を崩され、安政2年(1855年)1月16日に
 55年の生涯を閉じられております。終始領民思いであった英龍氏および江川家は、
 現在でも地元・韮山において慕われる存在となっております。
 パンについては、これは国防上の観点から取り入れられたものであります。
 パンの効用に日本で初めて着目され、天保13年4月12日に「兵糧パン」を
 韮山の自宅の庭にて焼かれました。これは現在の堅パンに近いものであります。
 これにより日本のパン業界では「パンの元祖」と呼ばれております。
・パン食普及協議会は、東京都中央区日本橋の「一般社団法人 日本パン工業会」内に
 1966年に事務局を設立した団体であります。
 会員には日本パン工業会の他に、全日本パン協同組合連合会/製粉協会/
 一般財団法人製粉振興会/日本イースト工業会/日本マーガリン工業会/
 日清製粉株式会社/株式会社ニップン/昭和産業株式会社/
 日東富士製粉株式会社が名を連ねております。
 主な事業は、パン食の普及宣伝活動/パン食普及に伴う市場調査/
 パンの品質向上を図るための技術改善/パン食に関連する商品の広報宣伝
 などの非営利事業となっております。
けものフレンズにおいてはアニメ二期において、
「ジャパリパン」が「パンのロバヤ」にて販売されておりました。
また、「けものフレンズ3」でもアイテムの一つとして登場しております。
パンは日本の食生活に欠かせない主食となって久しく、
スーパーマーケット等で販売されているロールパン等が
家計の強い味方となっている方々も多いかと思われます。
しかし、パンに偏ってばかりではバランスが良くありませんので、
米飯と共にバランスを考えた食事を心掛けたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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