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みんみ教徒の集い / 2477

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流浪のみんみ教徒 2020/10/09 (金) 00:03:03 457e0@5457a

本日は散歩の日であります。
散歩は「て(10)く(9)てく歩く」という語呂合わせに因んで、
東京商工会議所のシブヤ散歩会議によって制定されました。
散歩を通じて広域の渋谷圏の魅力を発信するのが目的としている他、
渋谷には明治期に小説家や詩人として活躍された国木田独歩氏の住居があり、
小説「武蔵野」をはじめとした「散歩」をテーマとした作品を
数多く執筆されている事にも由来しております。
・シブヤ散歩会議とは、東京商工会議所渋谷支部情報分科会が中心となり、
 渋谷に集積するIT産業の力を駆使して渋谷での散歩の魅力を発信し、
 区内外のより多くの方に渋谷での散歩を楽しんでいただく事で、
 渋谷をさらに盛り上げるべく活動している団体であります。
 誰もが関わることのできる「散歩」というフィルターを通して、
 広域渋谷圏の魅力を再発見する事が企画の原点となっております。
 散歩に適した場所の多い渋谷の特徴を活かして、
 ITなどの情報ナビゲーション技術等を組み込んだ形で「散歩@渋谷」を打ち出し、
 結果として渋谷を「散歩のメッカ」に押し上げる事で圏外からの誘客に繋げ、
 「散歩」をテーマにした各種施策を通じて、渋谷から全国に向けて
 「散歩×まちづくり」のアクションを呼び掛けております。
・国木田独歩氏は宮谷県海上郡銚子(現在の千葉県銚子市)出身の
 小説家/詩人/ジャーナリスト/編集者であります。
 父親が司法省の役人となられ中国地方各地を転任されたため、
 5歳から16歳までを山口/萩/広島/岩国などで過ごされ、
 山口中学校(現在の山口県立山口高等学校)に入学されましたが、
 1887年に学制改革のために退学され、翌年に東京専門学校(現在の早稲田大学)
 英語普通科に入学されました。徳富蘇峰氏と知り合われ大いに影響を受け、
 その後一転して文学の道を志され、この年に処女作「アンビシヨン(野望論)」を
 「女学雑誌」に発表された他、「青年思海」などの雑誌に寄稿されております。
 1891年に退学されると麻郷村(現在の山口県熊毛郡田布施町)に移住、
 その年の8月に田布施町麻里府村に仮住まいされ、
 「酒中日記」や「帰去来」など田布施を舞台にした作品を多数発表しております。
 1894年、「青年文学」に参加、民友社の「国民新聞」の記者となられ、
 この年に起きた日清戦争に海軍従軍記者として参加されております。
 1896年、東京府豊多摩郡渋谷村(現在の東京都渋谷区)に居を構えられ、
 作家活動を再開。1897年に「独歩吟」を雑誌「国民之友」に発表しております。
 翌年、「今の武蔵野」(後に「武蔵野」に改題)、1900年に「初恋」などを発表され、
 浪漫派として作家活動を開始され、1901年に初の作品集「武蔵野」を刊行。
 後に「牛肉と馬鈴薯」「鎌倉夫人」「酒中日記」を発表され、
 1903年発表の「運命論者」「正直者」で自然主義の先駆となられております。
 一方、1899年には再び新聞記者として報知新聞に入社され、
 翌年には政治家・星亨氏の機関紙「民声新報」に編集長として入社されております。
 その後、1903年に月刊のグラフ雑誌「東洋画報」の編集長として抜擢され、
 1905年から1906年初頭にかけて新しい雑誌を次々と企画・創刊。
 その中には現在も刊行されている女性向け雑誌「婦人画報」がございます。
ジャパリパークには散歩に適した場所が幾つもございますが、
その中でも特に適していると思われるのが「こはん」であります。
温暖かつ安定した気候であり、豊かな自然に囲まれた環境は
清々しい空気に満ちているので、散歩やハイキングはもちろん、
ドライブやサイクリングにも絶好の場所である事は間違いありません。
様々な場所をただ散策されるのも悪くはありませんが、
気になるものを探されたり、あえていつもと違う場所を通られたりと、
少しでも何か目的を持たれるだけで散歩の楽しみは大きく広がります。
たまには時間を忘れてゆっくりと散歩を楽しみたいものであります。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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