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みんみ教徒の集い / 2190

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流浪のみんみ教徒 2020/03/28 (土) 00:03:03 修正 457e0@fbae9

本日は三ツ矢の日/三ツ矢サイダーの日であります。
「み(3)つ(2)や(8)」の語呂合わせに因んで、
三ツ矢サイダーの製造販売を行っているアサヒ飲料によって制定されました。
三ツ矢サイダーの歴史の始まりは、兵庫県川辺郡多田村字平野
(現在の川西市平野・多田銀山の一部)で平野鉱泉が発見された事であります。
この地では摂津三湯に数えられた名湯「平野の湯」と呼ばれる
炭酸泉の湯治場がありましたが、既に江戸時代末期には廃れておりました。
明治時代に入り、外国人接待用の炭酸水を調達するために宮内省の命を受けて
全国の水源を調査されていたイギリス人理学者ウィリアム・ゴーランド氏によって
平野鉱泉が再発見され、炭酸水の御料品工場が建設されました。
1884年に三菱財閥が宮内庁から多田銀山の払い下げを受け、
三菱商会が「平野水」として炭酸水を販売。1885年には明治屋が採取権を得て、
源満仲氏にまつわる当地の言い伝えから「一本矢礦泉」に改名して販売され、
1889年には「三ツ矢平野水(みつやひらのすい)」の名称で販売されました。
・「三ツ矢」の名称は、平安時代中期、摂津源氏の祖・源満仲氏が住吉大社の
 神託に従い三つ矢羽根の矢を放ち、矢の落ちた多田(現在の兵庫県川西市多田)に
 居城(新田城、多田城)を建てたという伝説に由来しております。
 源満仲氏はこの矢を探すのに功労が大きかった孫八郎という男性に、
 領地と「三ツ矢」の姓と三本の矢羽の紋を与えております。
1905年からは三ツ矢平野礦泉から販売され、1907年に帝国礦泉株式会社
(旧・三ツ矢平野礦泉合資会社)が設立され、従来の平野水を元に、
砂糖を煮詰めた茶褐色のカラメルやイギリスから輸入した
サイダーフレーバーを加えた「三ツ矢印 平野シャンペンサイダー」を発売し、
1921年に「三ツ矢シャンペンサイダー」に改称されて販売されました。
第二次世界大戦時、サイダーは軍需品として製造が続けられ、
戦災等による中断時期を経て、1946年7月から製造が再開されました。
その後、使用する原料の変更や改称を経て、
現在の「三ツ矢サイダー」となったのは1968年の事であります。
けものフレンズにおいてはアニメ二期の第一話にて、
ロバ様が店主を務められる「パンのロバヤ」の商品の中に、
「ジャパリソーダ」という飲み物が登場しました。
蓋付きのカップにストローが差してあるので中身は判然としませんが、
おそらくは甘味を伴った炭酸飲料なのではないかと思われます。
古くから親しまれている商品には、紆余曲折を含めた歴史がございます。
三ツ矢サイダーのみならず、皆様の生活を彩る数々の商品が、
これからもその歴史を築き上げていく事を願っております。
本日もお祈りいたします、みんみー。

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