「安倍総理」を「覚醒」させるという発想は一見とてもシンプルに見えるアイデアだが、知能や人格が往々に成熟した中高生、或いは成人である私達には到底「安倍総理」を「覚醒」させるという稚拙、それでいて柔軟な発想には到底至らない。現にインターネットを介して日本中、いや世界中のインターネットサイトを隈無く探したところ、なんと「覚醒安倍総理」を最初に発案したのはゴリラナーメナメ=まんもす氏であることが確認された。
つまり、まんもす氏が「覚醒安倍総理」を産み出すことが出来たのにはそれまでの彼の生い立ちや環境、それによって形成された人格面や知識がルーツであり、彼以外の何者にも「覚醒安倍総理」を産み出すことができなかったと考えるのは必然であろう。
さて、突然だがこの文章を読んでいる貴君らに「覚醒」した「安倍総理」の姿を思い浮かべてほしい、イメージできただろうか?
安倍晋三が力一杯に拳を握り、国民的漫画「ドラゴンボール」の「サイヤ人」の如く彼の体中からオーラが満ち溢れ全身を纏うその姿を瞬時に思い浮かべたことだろう。
そう、「覚醒安倍総理」という奇奇怪怪な文字列を見た者の脳内にすぐに共通したイメージが湧き上がる。
実にシンプルな発想が故、もたらされた「共通のイメージ」だ。
これも「覚醒安倍総理」を面白いとたらしめる要因の1つだ。
また、「安倍総理」を「覚醒」させるに至った要因の一つとして当時の首相であった安倍晋三の低迷した政治的手腕が我が国の抱える経済的停滞や外交問題、エネルギー資源の枯渇そして東日本大震災で大きな被害を受けた被災地の復興等といったあらゆる問題を停滞させていたのは確かだ。
混迷を続ける我が国の現状を憂いたまんもす少年は彼に「覚醒」して貰いたい、ただひたすらにそう願った筈だ。
そう、「覚醒安倍総理」は単なる幼稚な"一発ギャグ"であると同時に、当時は幼く無知だった彼なりの「イデオロギー」の表明だったのだ。
「安倍総理を覚醒させるなんてしょうもないことだ。」などと吐き棄てるには不相応で高潔な「メッセージ」が込められていたという訳だ。
「覚醒安倍総理」に込められていた彼なりの純粋な正義感がより一層、「覚醒安倍総理」という文言に深みを出している。
一方の「竹中直人鋳造所」はどうだろう、竹中直人は1991年に開かれたヴェネツィア国際映画祭にて自身が監督と主役を同時に務めた映画『無能の人』で国際批評家連盟賞を受賞、その後彼の名は瞬く間に日本中に知られることとなり、現在は映画やドラマには勿論、果てはバラエティ番組からコマーシャルにまで出演する引く手数多の大人気俳優である。
さて、貴君らにはまず竹中直人の顔を思い浮かべていただきたい、坊主頭で程良く整った髭を生やすダンディな日本男児と評しても過言では無い「竹中直人」の姿が脳内に浮かんできたことだろう。
はっきり言ってこの時点で既に「竹中直人」は面白い。やはり彼が日頃テレビ番組で見せる強面な顔とは裏腹に素っ頓狂でコミカルな姿をついつい連想してしまうからだ。
更にもう1つ「面白い」と思わせる根拠を付け加えるとするならまず「竹中」と「直人」という言葉の響きが面白い。
テレビでおちゃらける彼の姿と語感の面白い名前が組み合わさっているのだからこの時点で「面白さ」として完成しているといっても決して大袈裟ではない。
例えるならば、単品でも十分に美味しい国民食の「カレーライス」にジューシーで食べ応えのある「トンカツ」を組み合わせた「カツカレー」の様に過剰とも言える禁断の組み合わせだ。
そして「竹中直人」に続く「鋳造所」について再確認しよう。
「鋳造所」とは一般的に鋳物の製造を行っている作業場であり、造幣の他に工業用途の鋳鉄、鋳鋼などを行う工場なども鋳造所に該当する。そこに「行くぞっ」と言うのであれば文脈から察するに発言者は鋳造所に目的のある人物、もしくはその「鋳造所」で労働に励む人物なのだろうか。
これを踏まえた上で先程脳内でイメージした「竹中直人」の姿に「鋳造所」と「行くぞっ」を付け加えて再度イメージしていただきたい。
おや?どうしたことだろう。先程は「面白さ」のあった「竹中直人」のイメージに「鋳造所」と「行くぞっ」のイメージが加わり「竹中直人鋳造所行くぞっ」がようやく完成したというのにこれっぽっちも「面白さ」が感じられない、これではまるで出来たての炒飯にわざわざ食塩をひとつまみ加えて味わうような、そんな無常感を感じてしまう。一体これはどうしたことなのだろうか。
貴君らは「竹中直人鋳造所行くぞっ」をどのような形でイメージしただろうか、竹中直人が鋳造所で汗水を流し労働をする姿を思い浮かべる者もいれば、竹中直人から「鋳造所行くぞっ」と呼び掛けられぼちぼち鋳造所へ向かう自分を思い浮かべたことと思う。
そう、「竹中直人鋳造所行くぞっ」はどのように「竹中直人」「鋳造所」「行くぞっ」、それら3つの要素をいくら組み替えたところで大して面白くないからだ。
つまり、「竹中直人鋳造所行くぞっ」の持つ「面白さ」とは「竹中直人」の持つ「面白さ」ありきのワンマンチームだったのだ。
私は「竹中直人鋳造所行くぞっ」のその真相と陳腐さに気づいた時、とても酷く失望した。
「竹中直人」「鋳造所」「行くぞっ」これらの言葉には何の関連性も見当たら無く、例えるならチンパンジーがキーボードーを適当にタイピングして出来上がったアルファベットの羅列となんら変わらない無意味な文字列だったのだ。
「竹中直人鋳造所行くぞっ」の発案者である迫真学園氏は私がその意味を本人に追求したところ、彼は「日頃のルーティーンの様な呟きであって特に意味はない」とはぐらかしていた。
そんなに鋳造所に行きたければ竹中直人と共に鋳造所に赴き日頃鋳造所で過酷な労働を課される彼ら従業員の苦しみを少しでも知る必要があるのではないのだろうかと個人的に私は考える。
対する「覚醒安倍総理」の産みの親であるゴリラナーメナメ=マンモス氏は「ゴリラなめなめ」「ゴリラはぁはぁ」「うんこなめなめ」「114514代将軍」といった聡明なミバちゃん民であれば呆れ果てて思わず目を背けたくなる程の駄作を産み出してきた低脳なガキンチョであることは存じていることだろう。
そんな彼が青天の霹靂の如く世に放ったハンドルネームは見る者を「あっ」と言わせミバちゃんねる内に於いて逸脱した彼のハンドルネームユーモアセンスとそのインパクトは見る者を虜にし、ある人は「まんもすって基本つまんねーけど覚醒安倍総理だけは面白いよね」またある人は「覚醒安倍総理だけはガチ」と言わしめる程の傑作であった。この事から「覚醒安倍総理」が「面白い」という事は紛れも無い事実であることが今日をもって証明されたのだ!
余談だが数年前高橋ユウキ氏がGoogleストリートビューの国会議事堂のスクリーンショットを添付し「このダンジョンレベル高すぎるだろ…」と現在のインターネット上ではあり触れた発想の大喜利ツイートを投稿した際、彼のリプライ欄にそれに便乗した数件の大喜利リプライが投稿された。
その中でもスターチス・モクトーナウ氏のリプライ、「このダンジョンのラスボスの覚醒安倍総理マジで強すぎるだろ…」という正に大喜利の中の王道を征くシンプルなリプライは当時のミバちゃんねる界隈を笑いの渦に巻き込んだのはもう随分前の話になる。
存在しないコンテンツ有志による「竹中直人鋳造所行くぞっ」についての考察も今回参考にさせていただき致しました。
竹中直人鋳造所行くぞが迫真学園が何回もツイートしてるネタなのに対して覚醒安倍総理はまんもすの一発ハンドルネームネタだったからまだマシに思えるんだと思う
だから正直言ってどっちが面白い、というよりは竹中直人鋳造所が「しつこくてつまらない」という評価を受けたっていうふうに考えてる
意味分かんなくてキレそう
鋳造所で働いてる人の気持ち考えたことある?
たしかに単純に竹中直人鋳造所は連発しすぎてくどいよね
テレビで延々と流行りの芸人の一発ギャグを何回も見せられる感覚になる
敗因はバリエーションの無さか
お前が鋳造所行ってその身で鋳造所の過酷さを知れよ😠
竹中直人
竹中直人のチョイスは面白いけど鋳造所が関連性1ミリとないから面白くないんだと思う
竹中直人的にはどっちでもいいですね
このアイコンで喋ってるだけでちょっと面白いのズルいだろ
関係ないワード同士を繋げたところで必ずしも面白くなるとは限らないということの好例
HAHAHA〜、竹中直人鋳造所行くぞっが竹中直人が鋳造所「行くぞっ」って言ったとしても鋳造所に向かう第三者が「鋳造所に行くぞっ」と呼び掛けたとしても結局覚醒安倍総理の言葉のインパクトには敵わないのさ〜
やっぱり覚醒安倍総理は最高だぜ〜!