>> 48
説明していただきありがとうございます。
僕の主張は、事実判断はそれを事実たらしめる準拠枠を採用する過程でどうしても価値判断を伴うため、主観的であると言える(客観的とは言えない)自己矛盾を孕んでいるというものですが、この考えに基づけば「ヒュームの法則」は前提から崩壊します。
おそらくボルボラさんもここまで思考を深めることができていなかったか、先人が通過した「ゲーデルの不完全性定理」を「知らなかった」のではないでしょうか。
論理という準拠枠を採用することは、人それぞれの価値観によって決定されていますよね。
あとボルボラさんの記事を読んで思ったのは、カントの言う「当為」と「価値判断」を同一視しまてしまっている点が間違ってますね。
というか区別できてないんだと思います。
実際に事実であるかどうかにかかわらず、価値判断を含めた事実判断通りになすべきこと(当為)が道徳的であるというのがカントの「定言命法」だったと記憶しています。
つまり、価値判断は、ヒュームの法則のようにどんなに厳密な推論に基づいたとしても、「仮言命法」でしかなく、「当為」ではないということですよ。
おそらくボルボラさんはかなり誤解されていると思いますので、よかったらお伝えください。
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