『¥マネーの虎』(マネーのとら)は、2001年(平成13年)10月から2004年(平成16年)3月まで日本テレビで放送されたリアリティ番組。 一般人でもある起業家が事業計画をプレゼンテーションし、投資家たる審査員らが出資の可否を決定するという内容だった。後に『Dragon's Den』などの名前で同じ形式の番組が世界各国で制作された。
大当たりだな。
多様性という名前で、適切な形に収束していく中で、昔の文化・表現そのものが時代遅れだとして見捨てられていくのは哀しいことだと思いませんか?
まったく思わない。 そんな時代もあったなぁ、で終わり。
ローカル便器でしか容認されないクソの投げ合いという思い出作りは十分すぎるほどやったと思うよ。 ちゃんとウンコを鷲掴みにして豪速球で投げられることの証明を行ったうえでこの話をすることに意味があるんだよ。 草野球すらやったことのない奴がバットの振り方について語ってたら滑稽でしかないし、どの口が何を言うかが肝心だろ。
原点回帰させてもらうと、喧嘩はあくまで自由。 どの文化も最初は手取り足取りから始まって、次第に様式化されていく。 自然なことだよ。
このやり方が一番だと思っても、またそれを上回るやり方が出てくる。 ずっとそんなことを繰り返していくうちに文章や表現の定石が出来上がっていく。
格闘技でも構え方はみんな大体同じ。 格闘家がそれまでに積み上げてきた歴史があの形を生み出した。
自由を有効活用することは自由で在り続けることではなく、自由によってより良い価値を規定すること。
法律も数多くの先人が意見を出し合うことで体系化され、時にはその内容を変えたりしてきたわけだけど、喧嘩もそれと同じ。
そろそろ古臭い喧嘩観を更新してもいいのでは。
なごむはこの数年でありえないほど化けてるけど、それはセンパイ方の影響を受けてるからだよね。 今のお前はあのセンパイにそっくりだし、そのスタイルを模倣するということ自体収束に向かってるようなもんじゃない? なんたって彼の一番の作品は、彼のやってきたことを「すごい」と思っている人たちの価値観を全否定したことでしょう。
俺たちはとっくの昔に置いてけぼりを食らって見捨てられている。 レベル高すぎて反応できねえ奴ばっかだとそりゃつまらんわな。 それ以上の価値ってのを喧嘩界には見出せなくなる。 必然的に優秀な奴らは消えていく。
だから俺はこの環境では優秀なユーザーを最優先に考える。 当然、話についてこられない奴らが今度は排除されていくだろうが、シーンはどんどん小さくなればいいと思ってるし、そうじゃなきゃ界隈の水準は上がらない。 そして今、喧嘩師でありながら喧嘩に喧嘩を売るといういつかのセンパイがやって見せたことを、今度は俺が逃げずに決着をつけてやろうって話だ。
「ーー」じゃなくて「──」。 こんなことは、一般には関係のないことかもしれない。 でも、物書きにとっては、大きな違いだと思う。
霧雨がコロナとエボラにかかりますように、あとエイズ
賑わった頃合いに「喧嘩大会復活!」っつースレを立てると予想
喧嘩界隈で俺のことを知らないそこのお前、それは俺の知名度不足じゃなくてお前の勉強不足だから。
俺が本気で喧嘩やったらあまりの文字情報に世界中のデータ容量が絶滅するから。
俺が文字を打つのは文字を打ちたい時だけだから。
世の中には一種類の喧嘩師がいる。俺だから。
俺が喧嘩師というより、喧嘩が俺師。
喧嘩界の歴史を変えるつもりはない。喧嘩界の歴史を絶賛作ってるんだから。
勝って騒がれるのは二流。負けて騒がれるのは一流。負けないのが超一流。
勝ち負けじゃなくて楽しむのが大切だ。楽しみながらいつの間にか勝ってるのが俺だけど。
どうせ勝つならクールに、エレガントに。それを無意識にできるのが俺だから。
https://zawazawa.jp/kenkawiki/
何これ クオリティ低すぎて笑えたんだが?
>> 190 うるさい それ以上喋ったらお前の心臓と腎臓の位置を逆にする手術するぞ
山田涼介は廃刊します、短い間でしたがご愛読ありがとうございました
なんで佐藤勝利とコネあんだよ
参加希望
バングラデシュの国旗の模写かと思ったらリンゴの模写だと聞かされた時の衝撃が如何なるものかを想像できるであろうか?(兄が描いた絵を見た時の俺の率直な感想です。嘘だと思うかもしれないが実話です)
まあ、神を超越せし皆々様にはもはや想像にかたくないことなどは想像にかたくないわけだが、
まさに事実なのだ。事実から生まれる笑い、自然から生まれる感動。つまりこういうことだ。
生きているということ。今、生きているということ。それは、ちんこをまんこにいれるということ。
つまり、ごっこ感がキモイのではない。ロープレ感がキモイのではない。ごっこやロープレそのものがキモイのだ。
俺のような無の境地・自然体・漠然の構えから生まれる嘘偽りのない率直な賛辞の数々。それをごっこでありごっこ感とこき下ろす様は、まさに猿も木から落ちるの体現である。もちろん分かった上で猿も木から落ちるを見せてくれたのだろう?素晴らしい猿も木から落ちるだった。あっぱれだ。 俺もこれくらい綺麗に猿も木から落ちるをキメられるよう精進したいと思う。
もうね、そんな塾はやめてしまえよ
皆さんは、お祭りを催したり、卒業旅行をしたり、自習のために土日の朝っぱらから教室を開放したりする塾をどう思いますか?
>> 25
言葉の生かし合いを本当の意味でするならーー
ーー言葉の殺し合いだって、活かす環境を作っていくのが喧嘩界(ここ)でしょう?
わたしが相対した時のセンパイはスーツ姿です
でも、わたしたちが、ほんとうに憧れたのは書物のなかの、鎧をつけたセンパイなんです
…おいてけぼりなんて、悲しいじゃないですか
こんなことは、一般には関係のないことです
でも、喧嘩師にとっては、大きな価値だと思うのです
ひょっとしてひょっとして!コテハンあると何も言えないの??捨て半のほーが好き勝手言えちゃう?自分が区別されちゃうと負けた場合に恥をかいちゃう?捨て半で挑戦してきてもいいんだよ?みんな同じ捨て半なら怖くない!かもよ?
相手がどうでもよくなった頃合いを見計らってしょぼい返信して更にどうでもよくさせる作戦ならもういらんわ。
水を差すようで悪いけどな。 お前はひとつとんでもない誤解をしている。
一般人が一目見た時にはくそどうでもいいと口を揃えて言うであろう内容に対し、疑義を設けるのである。待ったをかけるのである。 一般人がどうでもよかろうと当事者にはどうでも良くないのである。
「どうでもいい」と思えるってことは、「どうでもいい」と思われるところまで設計されてるんだよ。 たとえば「日本語」。 俺たちは日本語そのものについては基本的に語ったりはしない(意味が通じる限りはどうでもいい)と思ってるけど、それだけ違和感なく完成されてるってことだぞ。
そして今テーマにしてるのはまさしく「喧嘩の在り方」で、これは一般的に「どうでもいい」とは看過されにくい要素であふれてる。 言うなればこれはどこまで妥協しつつ喧嘩の特色を損なわずに実現可能かって話で、俺らはこんな話をしつつもすでにこのやりとりの過程で実施してるんだけど。
ジャッキーのNG集にしても、「演技失敗しててけしからんな」とならないのは、「演技失敗しててもどうでもいい。そこは問題じゃない」と思わせることに成功しとるからやぞ。 iPhoneのフリックに違和感を抱かず「どうでもいい」と思わせてるのだって人間工学的にきちんと人間の感覚とマッチするように設計されてるからだろ? どうでもいいと意図的に思わせることのすごさは、創作物やデザイン、機能的なもの全般に言えることだからね。
つまり、「喧嘩」であることはどうでもいいと思わせるような喧嘩が普通にできたら、たぶんどこの言論界隈でも通用するし、今までになかった自由を規定できるって話よ。
モノトーンを基調としたwebデザインがあったとしようや。 なんの違和感もない配色。 パッと見でそれが普通と感じる。 何が言いたいかって、すごいと思わせないのがすごいってことよ。 でもその見せ方にはweb業界の奴ならわかると思うけど、そう見えるように考えられて余白が設けられてたりするわけ。
これを文章表現としてできる奴が少なすぎっつー話だぞ。
ここに現れしものはなぜ間違えぬのか。なぜ正しいのか。言うまでもなく生まれつきである。
生まれた時から、圧倒的解法を最短経路で導き出すDNAを持ち、決して誤謬を犯さず、いついかなる時も真なる発言を連ね続けている。
それはもはや人類の境地を超えており、進化の可能性をも考慮すべき段階にまで至っていると言えよう。
褒められるべき正解を常に持った人達は、キモいかキモくないか、有益か有益でないか、クオリティが高いか低いか、文章がすごいかすごくないかなど、一般人が一目見た時にはくそどうでもいいと口を揃えて言うであろう内容に対し、疑義を設けるのである。待ったをかけるのである。 一般人がどうでもよかろうと当事者にはどうでも良くないのである。 キモいと思うことを作り出し、キモいと思うように見い出し、キモいと思うカテゴリを一定に保つことこそ誇りであり高貴である。もはや人類と暖簾分けを果たした新種の生物であると言っても過言ではなく、希少価値の高い「人間サンプル」であると褒めることも辞さない領域に達している。
今後も尋常ではない脳の作りのその先をドラマチックに披露し、コンゴ民主共和国の国旗よりも青々と生い茂ることを大いに期待したい。
無視してたわけじゃないんだけど、なごむの話は言うなればフェーズ5だったので>> 24までの工程を踏ませてもらいました。
まずそのアングラな雰囲気から片付けさせてもらうと、具体的にはサイトの配色だったり、そこで行われるごっこ全開の言葉の組み合わせ方のことだよね。 なぜ10年より前の時代でそれが流行ったか。 今ではまったくと言っていいほど見られなくなったよね。 これはインターネットの歴史と密接に関わっていて、当時、電子上に文字を表示させるということ自体極めて革新的なことだったわけだ。 ある意味制限された環境だからこそ、アスキーアートが生まれ、独自のネットスラングが生まれた、という背景がある。 喧嘩界もその影響を多分に受けていた、というだけの話であって、それがあたりまえになると今度は適切な形に収束していくのが世の常だよね。 ガラケーでいろんなキャリアが競ってたと思いきや、今じゃ携帯はほとんどスマホ、とりわけiPhoneで統一されている。 それと同じことで、文字への価値も最適化されていったわけだよ。 ごく一部の古参はそういう文化に未だ何らかの可能性を見出そうとしてるのかもしれないけど、俺個人としてはマジで時代遅れっていうかもうそんなのどうでもいい次元まできてるって認識だ。
白うさぎについては、そもそも初期設定がうさぎのアイコンだったというのもあるけど、正直黒うさぎへのアンチテーゼとしての意味は最初から持たせてある。 一生気付かれないと思ったけどまさかそんなところまで拾ってくれるとは感動したぞ…。
喧嘩界の歴史上、すげえと思われている喧嘩師のレベルはとっくに超えている。 はっきり言って今の喧嘩界の水準は、全盛期より上なはず。 ここができてからネット喧嘩もそれなりに最適化されたってことだよ。 じゃなきゃお前らはこの一見意味不明なトピックに取り合えない。
最初は元のレベルにまで戻そうって感じだったけど、気がついたらくるとこまできちゃってるし、開設当初はこんな話ができるなんて思いもしなかった。 喧嘩界を利用してくれている人たちには感謝している。
江戸時代の侍が、その後刀を必要としなくなったように、侍という文化が消えていったように、喧嘩師と呼ばれる人たちも何か別のものに変わっていくのかな、と思う。 その中でなごむが絶えず刀を使うのもありでしょうよ。 ただそれはお前個人の問題であって、変わりゆく時代に強制させるものではないよね。
現に俺とお前の対話はこうして成り立っているし、そこには共通の享楽が存在していると言っていいだろう。 それをなんと呼ぶか、それを行う人たちをなんと名付けるか、なんて大した問題じゃないと思うよ。
今からtwitterで同じことをしてみたらわかります おそらくブロックされて終わりでしょう
一般的な認識で言うなら、ただただウザい人でしかないだろうね。 でも、絡み方やある程度相手を選べば、十分ここで行われている喧嘩のようなやりとりも外部の人たちと行うことはできるよ。 というか俺は何度もそれをやってる。 相手が喧嘩と認識してなくても俺にとっては喧嘩ってことは過去に多々あったよ。 今はこうしてここに集ってくれてる人たちがいるから、別に外へ出向こうとは思わないけどね。
>> 16は本当に優秀としか言いようがないよ。 立派な文学作品ってのはまさにその通りで、要は「何らかの価値のあるテキスト」ってことだよね。 もちろん俺たちは物書きと言えどもそれをここで生業としているわけではない。 金銭が発生するなんてことはないし、どこまでいっても「趣味」や「遊び」、「暇つぶし」の枠ではあるけど、少なからずそれらを満たすことができる程度の価値は与えたいという一心で俺は書いてる。 それで十分じゃないかな?
他人になにを言われても、自分がそれを気にしないなら、それは我を通していることにはなりませんか?
それはただの自己中としか思わんけどね。 極めて主観的な視野しか持とうとしない奴にはお前がそれでいいんならいいんじゃないとしか言えんわ。 我にこだわることと、我を通すことはまた微妙に違うと思うけど。
多様性が認められていくなかで、ある表現が死んでいく昨今、なにかジレンマを抱えている気がしてなりません
ある表現が死ぬことによる問題ってある?
はたして、それはほんとうに多様性なのでしょうか ただ、多様性というひとつの正論を否定できてないだけではないでしょうか…
喧嘩界における多様性について正論か否か語ることになんの意味があるのかわからない。 重要なのは自分たちがしたい喧嘩ができるかどうかで、その目的にあたって適者生存できるかどうかじゃない?
どっちが勝ってもいいようなくだらない弱肉強食の成れの果てを知らないわけじゃないよね。
皆さんご存知のとおり、全国一律で学校が休みになるわけですが
もちろん塾は休みにならないところもあります 釘をさしておくけど、仕事があるというのは本当にありがたいことなんだ
では、お言葉に甘えて、フェーズ4に移行させていただきますけれども、結局台本なくてもこれくらいの言葉の売り買いできる奴が少なすぎるから実施してます。 以前、こういう話を説明してもまるでわからない、辛うじてわかったとしても実践できない奴らが多すぎたため企画倒れに終わりました。
なので今回は説明せずにやれとだけ要求してるわけであります。 もうできてる奴はいいとして、できない奴は残念ながらいつまで経っても不毛な言い争いで傍迷惑なだけの痛い奴止まりでしょう。
喧嘩師でもない人に不躾な態度でだる絡みしたり、有名人に噛み付いてみたり自己投影してみたり、SNSのメディア欄がマウントを取りたいがためのスクショまみれだったり、認めてくれる人だけ周りに置いて賢ぶってみたり、存在否定してる相手に粘着して時間を無駄に浪費したり、他所で「Selcia」のワードを出して知ったふうに語ってみたり、議論畑の人間ですら何かしらの信仰対象に依存してそれを否定されれば本質的な議論を放棄するような奴ら、つまり、自分は正解、優勢であることを強調したいがために雑な編集を加える下心が見え透いてるからごっこ『感』増し増しでキモいわけだ。 昔の喧嘩サイトにそんな香ばしい奴がいたら間違いなく袋叩きでしょう。 なんならそんな過程はとうに飛び越えてもはやメタ認知合戦だったはず。
それが一転して今ここ以外の喧嘩界隈、たとえばTwitterなんかでは叩くどころか無条件に同調しちゃってる場面をよく見る。 匿名の書き込みにいちいち過剰に反応してその中でしか通じないプライドのために尽力してる奴もいる。 滑稽にも程があるだろ。
それが普通に「キモいな」と思う視点を持つユーザー(批評家)の不在ってのがインターネットにおける喧嘩のシーンにキモい奴を増殖させてしまったんだと思うんだよね。 今Twitterで行われてる喧嘩なんて言うなればまさしく喧嘩ごっこだよ。 単に嫌がらせを目的としたピンポンダッシュみてーなもんだ。 それこそ140字とからぶりつとかいう仕組みによる弊害じゃね?とすら思うぞ。 彼らは自分がキモいって自覚がない。 あまりにその界隈に甘んじているがゆえに、このような指摘を受けると拒絶反応を起こす。 そして結局そこでしか通用しない風潮に守られてクソを垂れ流すことを正当化し続けているわけだけれども、これって端的に言い換えるなら一般に通用しないマイノリティーな弱者同士が力を合わせてウンチできる環境を作りましょう!みんなでウンチすれば怖くない!ってことだろ? うすら寒いしキモすぎんか。 こんな奴ら昔いなかっただろ?叩かれるに決まってるし。そういう行為はさすがにキモいし恥ずかしいと感じてやろうとすら思わなかったはず。 だからたまに一歩間違えて外に出ちゃうとたちまち一般論の波、数の暴力に飲み込まれて死ぬパターンが多い。
お前はおそらく、幼児化したネット喧嘩の文化に触れる気はさらさらないだろうし、今となっては興味もなければ勝手にしてればって感じだと思う。 これはあくまでごっこ『感』の一例にすぎんけど、どの観点から見てもある程度編集されている言葉や態度を示せる奴があまりに少ないのが現状だよね。 この極端なトピックの立て方はそれが理由。
で、ここからが本題。 「ごっこ感をなるべく抱かせない」ってことだけど、褒める名目とはいえ、俺の褒め方には違和感ないと思ってるよ。 反論があるなら受け付けるが。 本心かどうかはともかく、客観的に見て素直にそう思えるようなことしか書いてないつもりだ。 俺の文字数の多さでもそれくらいのことはできんじゃねって感じ。
誰とは言わないけど、歯ぎしり奏でてる奴はナレーションとして考えればエンタメとしてはまだいける。かもしれない。
出ました、「消臭」。 まさかこんなに早くこの話にたどり着くとは思ってなかったよ。
かつてこのテーマの話をしたときは、途中で大した結論も出ず終わってたから俺の中ではずっと消化不良だった。 いわゆる、メタ的な立場で見たときにエンタメとして昇華しづらい「キモい」「イタい」「クサい」という三拍子揃った文章、または表現への感覚の話だ。
たとえば「今夜の月は綺麗だね。でもキミのほうがもっと綺麗だよ」なんて昔の映画にあったのかなかったのかわからん言葉を「クサい台詞だな」と感じるのも、過度な比喩表現に違和感が生じてるからだろ。 「オレ、将来は起業しようと思ってるんすよ」と言いつつもそのための行動を何一つしておらず、根拠のない自信で夢だけ大きく語り、体裁ばかり取り繕った中身がないような発言もイタいと感じるのはそこに現実との乖離があるからだろ。 「会いたくて震える」なんて、歌ってるときはいいにしろ文章単体で見たら内面になんの手も加えずぶちまけてる状態が赤裸々でキモいわけだろ。 やっぱりこういうのを消臭しようと思ったら、そこには多少なりとも人様に見せても恥ずかしくないレベルの編集を施す必要があるわな。
特にどの角度から突っ込まれるかわからん喧嘩だからこそ極力誰にも(界隈外であったとしても)文句を言われないように書くってのが大事なポイントで、これが自然にできる奴なんてほぼほぼ限られるよね。 ジャッキーNG集のように、より多くの人に受け入れられるように編集しなきゃいつまで経ってもガキの喧嘩、単にイキッてるだけみたいなイメージ払拭できないと思うわけ。
すごく極端な話するけど、議論的なコミュニケーションに馴染みのある人がここにやってきたときに一目見て「なんのために喧嘩なんてバカらしいことやってんだろ?しょうもない人たちの集まりだね〜」と思う側の認識力に問題があったとしても、結果としてそういう見解になってしまったのならば俺は書き手の責任だと思ってる。
俺にエンタメ性が足りなかった、あるいは喧嘩に馴染みはないがネットで頭を使って読み書きするコミュニケーションが好きだって接点がありながら彼らの目線に合わせた表現ができなかった俺の落ち度だと思ってるのね。 勘違いしてほしくないのは、何も喧嘩界じゃない場所にいる論客を呼び込みたいわけじゃなくて、喧嘩界じゃない場所にいる論客にも客観的に見て十分通用するレベルの言葉遊び(喧嘩)がしたいってことよ。
今いるメンバーが全員その水準だったらごっこ『感』 が増すだけの喧嘩界ランキングなんて邪魔でしかない不純物なんだよね。 俺はこう見えてもちゃんと順序立てて運営してきたつもりだけど、ここから先の喧嘩掲示板を見たことがないんだよ。 高級キャバクラの接客なんて基本の所作の礼儀正しさのみならず時事ネタにも哲学にも対応してるわけじゃない? だったら高級喧嘩サイトがひとつくらいあってもいいよな?
LETのときは喧嘩師ではない論客を呼び込みまくったことでそういう環境を人為的に作り出すことができたけど、喧嘩師にはそういうのできんのか?とか思っちゃうわけ。 いやもう「喧嘩師」という呼び方すら適切なのかどうかわからないし、このやりとりが「喧嘩」なのかどうかすら怪しいところではある。
ありとあらゆる文章に耐性を持つユーザーだからこそ生まれるコミュニケーションや話の内容もあったりすると思うんだよね。 人生は死ぬまでの暇つぶしとはよく言ったものだけど、どうせ喧嘩で暇つぶすならおもしろいほうがいいに決まってんだろって感じなんすけどみなさんどうすか。
きっちりしたい
とりあえず参加した順に試合でもやらせて8人揃ったらトーナメントにしちゃったら
冷やかしの集まり
人生は死ぬまでの暇つぶし・・・なんて言われたりもするくらいだし 物事の見方によっては世の中の全てが「ごっこ」と言えなくもないわけだが 俺がキモいと思うのは、ごっこ『感』だ。
俺が大好きな映画にしても、ごっこ『感』が見て取れたらキショイし冷めるぞ。 もちろんメタ的な観点からコメディとして楽しめるようしっかり編集されてるなら別だけどな。 例えばジャッキー映画のエンドロール中に流れるNG集とかがそうだ。 あのコンテンツって内容自体は「ごっこそのもの」だけど、それをエンターテイメントに仕上げようという意思はしっかり感じ取れるからキショくないし冷めもしない。
そんなもんクオリティの問題とちゃうんか?
だよな、パスが精密でやりやすいぞ。 それにはスーパー超ウルトラ同意。 そのうえで、じゃあクオリティどうやったら高くなるのか?というと結局のところ「ごっこ感をなるべく抱かせない」ってのが重要になってこないか?
ぶっちゃけ、本心である必要はない。一切ない。キャバクラと同じ。 喧嘩ごっこを趣旨とする喧嘩界も同じで、本心から敵対心を抱いたりする必要なんて一切ない。 もちろん本気で相手のことを憎悪して喧嘩するのもぜんぜん有りだけども。
いずれにせよ「今回は相手を褒めてみましょう」というトピックの主旨を名目にして、ごっこ感をぜんぜん隠せていない(隠そうという意志さえ感じられない)となれば、やっぱキショイでしょうよ。 誰とは言わないけど、このトピックにも「ロープレをすればいいんですよね?」って感じのヤツいるしな。
「ロープレをすればいいんですよね?」って姿勢においては>> 3も同じなんだけど 彼の場合はジャッキーのNG集と同じで、ごっこ感をしっかり消臭できてるんだよな。
・・・てな感じで、ここまでの一連の流れを見越したうえで飛んできたパスなんだろうな~と勝手に判断させてもらったうえでKANAME曰くのフェーズ3に触れるようなレスをしてみたわけだが ロープレもままならない奴らへの道標としてロープレのロープレをする場所までセッティングするあたり、何だかんだ言って面倒見いいんだな。
p.s. いちど高級なキャバクラにも行ってみましょう。 「おだてるコンセプトの店&おだてるためのキャスト」って領域は軽く超越してるぞ。
>> 184
「1の名言を見たとき錯覚するやつは知性のないやつだ」って言ったのはお前だし、お前が想定できてない錯覚とか知らねーよw
ふぅ~ん・・・ 何だかんだ言ってるけど最終的には「断言したな!?そうでない可能性もあるだろ!」って感じのアゲアシスタイルを選んでしまったってことか
なら分かりやすい言い方でもう一度言わせてもらうけど 想定済みだし対処済みなんだが?
この一連のコンテクストをしっかり踏まえろよな。 こちとら「2だけ昇華できた」の部分を錯覚として扱った覚えはねーよ。 そもそも「偏差値40のおそるべきバカこそが読み手のスタンダード」ってのはお前が持ち出した名言においても言われてる事だろ?
というわけで 俺は「犬ってマジ頭悪いよな」なんて端から言ってねーんだわ。
心がけるポイントに列挙したことと、俺のやっていることが全く違うということをいとも簡単に見抜くとは…。 正確にはハードルの下を潜っているのではなく、ヘリコプターに乗ってハードルを見下ろしている形になるわけだが、
やはり宇宙レベルから俯瞰している人間からしたら、ヘリでハードルを見下ろすのもハードルの下を潜るのも同じようなものだから、そこは誤差とみていい。まあそうなると正規の形でハードルを飛んでいくのだって誤差だろって思う人もいるだろうけど、本気になればそれくらい見分けられるのだろうから問題ない。
だが俺は、こんなに早い段階で種明かしなどという野暮なことはしない。それが利用者へのささやかなリスペクトなのだ。
時間の話、こんな使い古されたような話であっても納得していただけるとは、やはり管理人は心の余裕がそんじょそこらの喧嘩師とは桁違いだな。 もちろんわかっていたことだが、改めて目前にするとやはり面食らってしまうな。
バカは無益な喧嘩の果てに自分に言い訳をするのだ。 明るくなってしまった空を見て「これは必要なことだった」と。「終わりよければすべてよし。内容は俺が勝ってた」と。自分に言い訳をするだけならまだいい。十中八九キモイだけだと思われることが分かってて、なぜか周りに見栄や虚勢を張る。
「お前だって見てる時点で暇人だけどなwww」 「俺の負け?負けてる部分を示せよwww」 「お前の価値観とかどうでもいいからwww」
実にくだらないことだ。自分で自分の評価を下げる道をことごとく選んでしまう。それはひとえに冷静じゃなく、熱くなって喧嘩してからに精神が疲弊しきっているに過ぎない。
そんな喧嘩をするくらいなら「ガーデンスケイプ」とかいう広告とゲーム内容が全く別物の詐欺ゲーにツッコミを入れながらもそこそこ楽しんでだ方がまだマシである。
素晴らしい。 これが喧嘩界を盛り上げるための最善の一手だということか…。 褒め喧嘩など見たことがない。なんという先見の明。
そこに集い、てんやわんやの大騒ぎをする。それら全てが喧嘩界の盛り上がりへと直結する。 これで盛り上げることなど考えていない方が不思議だが、それを自然とやってのけるのが一般人とアドミニストレーターの差というわけだな。
もはや刮目せざるを得ない。一時の休憩、一時のまばたきすら惜しい。
お互いを高め合うその姿勢。まさに褒めちぎりコロシアム。甘いおやつの食いだおれ!
その先にこそ、破壊的なパトスが滝のように押し寄せる。そして精根尽き果てた頃には、死体のように転がりスッキリした顔の奴らが雑魚寝してる。
やはり只者ではないな…
マジでお前こそ俺の文章を読めよ…。 言い返せなくなったら別件として扱うのかよw 「1の名言を見たとき錯覚するやつは知性のないやつだ」って言ったのはお前だし、お前が想定できてない錯覚とか知らねーよw
「犬ってマジ頭悪いよな」って言説があったとして、「いやでも警察官のシェパードとかめっちゃ賢くね?」って言ったら「いやそれは俺の言う犬じゃないんだよ」って無理ありすぎw
どの場面でどういう理由を記載してたとかやたら強調してくるけど、理由があるからって言いすぎなことに変わらないし、言いすぎであることを否定するのに例外の話で十分だろ?
ちょっと表現ミスったわの一言くらい言えんのかよw そんなんやからお前砂漠に勝てへんねんw
ぴよぴよ
このトピックがいかに「キモい」かということについて、ここまで明瞭に言語化できるのは詠み人知らずくらいだと思う。 さらに>> 9の伏線を回収しつつあくまでトピックの趣旨に則る姿勢…まさしく「褒め喧嘩」の手本としか言いようがないw ただそれも含めて「ごっこ感」が滲み出てることは棚上げか? 霧雨と同じく凄まじくハードル上げて衝突しとるやないか…。 俺がなぜ「無理難題」とか言ったのかわかっとらんのか?w
フェーズ2に移行すると、このように結局「お前はうまく褒められていない」や「こいつの褒め方は一番適切だろ。お前の判断に問題があるよ」という足の引っ張り合いになって、消去法として「一番褒めるのがうまい奴」が勝ち残る図式になっていく。 ここまでは想定の範囲内。
しっかりとりおしのルアーが食い込んでくれたみたいなので、このまま釣り上げさせてもらうけど、「めちゃくちゃ文章書くのがうまい詠み人知らず」は、ことディスるという点において、なぜそんなにもわかりやすい例を出してまでその能力を遺憾なく発揮するのでしょうか。
万が一にもないとは思うけど、「ここが喧嘩サイトだから」とかいうしょうもない回答はやめてくれよな? 喧嘩界と銘打っておきながらもここはディスらなければならないなんてことはないのはわかってるだろ。
そして、なぜ褒めるときだけそんなにも控えめな表現でしか書かないのでしょうか。 「匙加減」とか言ってるけど、それなら別にディスるのだってそんなにわかりやすく誰もを納得させるような書き方しなくていいだろw
つくづく期待を裏切らない男、読み人知らずがいかに俺の要求に応えてくれたか、みんなにもわかるように、例のこのトピックの要点を書き換えて説明しよう。
「気色悪いと感じさせる貶し方」 絶妙なライン(客観的に見て気色悪いとは思わない領域)で貶す必要がある
これを念頭に置いて、彼の文章をもう一度読んでみよう。
あのさぁ、他の喧嘩師を褒めるってこと自体は別にいんだけど 企画としてこんなトピック立ててまでこういうことやり始めると「ごっこ感」が加速して相当キモいぞ? キモいのに加えて、今回はそういう趣旨だから褒めてるだけ~本心で評価してるわけじゃない~って普通に見え見えだろ。
はじめは自然にディスってるように見えたこの文章も、どこか歪に見えてこない? 賢い人ならもう気付いてると思うが、喧嘩界ビギナーのためにも説明を続けると…
「企画としてこんなトピック立てること」が「ごっこ感」出るからキモいって今回はそういう趣旨だから貶してるだけ~本心で評価してるわけじゃない~って普通に見え見えだろw
「本心」じゃなかったら「ごっこ感」が出る? 「ごっこ感」は「キモい」?
「ごっこ感」で貶すのはよくて? 「ごっこ感」で褒めるのはダメ?
ン〜?w
少なくとも俺は「本心」で褒めてるが? 喧嘩慣れしてる読み人知らずの貶し方は「とりあえずこんな感じで上手にディスっとくか感」満載なんだがw
お前らさぁ、取引先の人や客なんかを接待するときに 「本日は接待ですので、あなたのこと褒めまくります!」なんて言うわけか? あるいはお前らが接待される側のとき、そのセリフの後に並べられる様々な褒め言葉を聞いて心躍るわけか? 「あなたは客なので今からおだてます」ってキャバ嬢やホストと楽しい酒飲めるわけか?
思わず「確かに!そんなことをすればキモい!興醒めだ!」と何人もの人があまりに想像しやすいこの例え話に首を縦に振ってしまったのでは? そんなお前はすでに読み人マジックにかかってるよ。 そしてこれが彼の持ち味。 頭にスッと入ってくる表現技法で白であるものをあたかも真っ黒くろすけに見せてしまうのだから驚きだ。 今まで数多くの喧嘩師が彼のこの卑怯な書き方によってそのからくりを知ることなく喧嘩師生命を絶たれてきた。 しかし俺にはもう一切通用せんということを教えてやる必要があるだろう。
そもそもな? 接客前にロープレって普通にするだろ? ライブ前にリハーサルって普通にするだろ?
言わばこのトピックって、喧嘩の可能性を広げるために今までそんなにやってなかったこと、もしくはみんながやってるようなこととは真逆のことを試験的にやってみようぜ!っていうリハ的なトピックなわけじゃん。
それの何がキモいねん?
お前、ごっこ感ごっこ感うるさいけど、そんなもんクオリティの問題とちゃうんか? 宝塚歌劇団キモいんか?時代劇キモいんか?お前の大好きな映画もリアルではないという点で「ごっこ」やけどそれもキモいとでも言うんか? そういう話になってくんで?
それはごっこちゃうてか?ほんなら喧嘩においてもごっことちゃうレベルでやってみんかい言うとんねんアホンダラ。 「読み人知らず」って名前から「ごっこ感出るから何者にもなりたくないでちゅ〜」って潔癖な深層心理溢れ出とんねん。ダダ漏れやぞ。
キャバ嬢の仕事は客をおだてることやろ? え?なんなん。おだてられに行ってんやからおだててくれよ?って感じちゃうん? え?なんなん。おだてるコンセプトの店(キャバクラ)でおだてて何が問題あるん?そういうもんやん?
カランカランッ
店員「いらっしゃいませ。一名様ですね。こちらの席へお座りください」
なごむ「どうも〜なごむって言います。よろしくね!何飲みます?」
〜30分後〜
なごむ「詠み人知らずさんってほんとに博識なんですね!知的な人ってわたし結構タイプかも。やっぱ自分にない考え持ってると魅力感じちゃいません?」
詠み人知らず「おい。心にも思ってないこと言うなよ…。大体、客をおだてるのが前提のキャバクラ自体キモいんだよッ!!(グラスを床に投げつける)」
パリンッ!!
なごむ「ああ、お客さま!だいじょうぶですか?お怪我はしてないですか?(なんだコイツ…)」
詠み人知らず「うるせえ近寄ってくんじゃねえ!ごっこ感出してくんじゃねえ!!ウラァアア!」
屈強な黒服に二人がかりで連れて行かれる詠み人知らず
詠み人知らず「離…離ッせ!!!ンオオオ!!」
なごむ「店長、あの人出禁でお願いします」
霧雨「あいよ〜」
死後の世界で善悪を裁かれ悪事を働いた者から順番に天国に行けるんだったとしたら?
こういう全くもって救いの無い物語の視点に立った事はないか?俺はこの手の話になるといつもそう思うよ
いいことしてたら死んだ後に天国行けるなんてのは真っ赤な嘘で実は欲望のまま殺戮やレイプを繰り返してる奴らが天国に行ける死後の世界だったら
おまえが言った死後のルールは生きてる人間をとりあえず行儀良くさせるための方便かもしれない
死んだら皆、冷たい土の中と割り切った方が楽だよ
>> 50 もしゲーデルの不完全性定理に基づくならその前提から崩壊しますよね。 事実判断が事実判断ではないということになってしまいますから。 主観的な判断は事実判断の定義から逸れますし、その暫定的な「事実判断」から「価値判断」が導き出せないとしても、存在論的な必然性がないのは両者とも同じなのでそこに焦点を当てることこそ度外視してもいいのではないでしょうか。
パンチ弱すぎて攻撃されてることに気付きませんでした。 レベル差ありすぎて草w
どのようにまかり通るっていうか、普通はまかり通らねえから。
だからそれを当然とまで言っているのはあなただけなんですって。 まかり通るとか僕言ってませんし、まかり通らないのあなただけでしょw
相手が自分のことを非と思うかどうかは関係ありません。自分が非と思えばその時点で筋の通った謝罪になります。
なりません。 非であると思い違いをしていただけでしょうw 弱すぎて草w
>> 18 面白すぎワロタ このトピック最高だわ
見てくれてたんか。 あざす。 同一人物なん?w てっきり白鳥がmeeのイズムを受け継いでるのかと…。 アイギスは一時期俺のサイトにもいたから。 おもれー奴だと思って2chで声かけたらめっちゃ叩かれたけどなんとか召喚に成功した感じ。
またやります。
ランバラルは部落 白鳥とmeeはやっぱ同じだったか、俺を恨んでるわけだ アイギスも知ってたか〜 アイツとは2ch板対抗麻雀大会で同じチームでやったわw 懐かしい
カナメ面白い配信だったまたやってくれ
中途半端なところで終わったけど用事があるので今回はこれにて終了です。 ご来場あざした。 またテーマとかあったらください。
20時くらいから配信します!
『¥マネーの虎』(マネーのとら)は、2001年(平成13年)10月から2004年(平成16年)3月まで日本テレビで放送されたリアリティ番組。 一般人でもある起業家が事業計画をプレゼンテーションし、投資家たる審査員らが出資の可否を決定するという内容だった。後に『Dragon's Den』などの名前で同じ形式の番組が世界各国で制作された。
大当たりだな。
まったく思わない。
そんな時代もあったなぁ、で終わり。
ローカル便器でしか容認されないクソの投げ合いという思い出作りは十分すぎるほどやったと思うよ。
ちゃんとウンコを鷲掴みにして豪速球で投げられることの証明を行ったうえでこの話をすることに意味があるんだよ。
草野球すらやったことのない奴がバットの振り方について語ってたら滑稽でしかないし、どの口が何を言うかが肝心だろ。
原点回帰させてもらうと、喧嘩はあくまで自由。
どの文化も最初は手取り足取りから始まって、次第に様式化されていく。
自然なことだよ。
このやり方が一番だと思っても、またそれを上回るやり方が出てくる。
ずっとそんなことを繰り返していくうちに文章や表現の定石が出来上がっていく。
格闘技でも構え方はみんな大体同じ。
格闘家がそれまでに積み上げてきた歴史があの形を生み出した。
自由を有効活用することは自由で在り続けることではなく、自由によってより良い価値を規定すること。
法律も数多くの先人が意見を出し合うことで体系化され、時にはその内容を変えたりしてきたわけだけど、喧嘩もそれと同じ。
そろそろ古臭い喧嘩観を更新してもいいのでは。
なごむはこの数年でありえないほど化けてるけど、それはセンパイ方の影響を受けてるからだよね。
今のお前はあのセンパイにそっくりだし、そのスタイルを模倣するということ自体収束に向かってるようなもんじゃない?
なんたって彼の一番の作品は、彼のやってきたことを「すごい」と思っている人たちの価値観を全否定したことでしょう。
俺たちはとっくの昔に置いてけぼりを食らって見捨てられている。
レベル高すぎて反応できねえ奴ばっかだとそりゃつまらんわな。
それ以上の価値ってのを喧嘩界には見出せなくなる。
必然的に優秀な奴らは消えていく。
だから俺はこの環境では優秀なユーザーを最優先に考える。
当然、話についてこられない奴らが今度は排除されていくだろうが、シーンはどんどん小さくなればいいと思ってるし、そうじゃなきゃ界隈の水準は上がらない。
そして今、喧嘩師でありながら喧嘩に喧嘩を売るといういつかのセンパイがやって見せたことを、今度は俺が逃げずに決着をつけてやろうって話だ。
「ーー」じゃなくて「──」。
こんなことは、一般には関係のないことかもしれない。
でも、物書きにとっては、大きな違いだと思う。
霧雨がコロナとエボラにかかりますように、あとエイズ
賑わった頃合いに「喧嘩大会復活!」っつースレを立てると予想
喧嘩界隈で俺のことを知らないそこのお前、それは俺の知名度不足じゃなくてお前の勉強不足だから。
俺が本気で喧嘩やったらあまりの文字情報に世界中のデータ容量が絶滅するから。
俺が文字を打つのは文字を打ちたい時だけだから。
世の中には一種類の喧嘩師がいる。俺だから。
俺が喧嘩師というより、喧嘩が俺師。
喧嘩界の歴史を変えるつもりはない。喧嘩界の歴史を絶賛作ってるんだから。
勝って騒がれるのは二流。負けて騒がれるのは一流。負けないのが超一流。
勝ち負けじゃなくて楽しむのが大切だ。楽しみながらいつの間にか勝ってるのが俺だけど。
どうせ勝つならクールに、エレガントに。それを無意識にできるのが俺だから。
https://zawazawa.jp/kenkawiki/
何これ
クオリティ低すぎて笑えたんだが?
>> 190
うるさい
それ以上喋ったらお前の心臓と腎臓の位置を逆にする手術するぞ
山田涼介は廃刊します、短い間でしたがご愛読ありがとうございました
なんで佐藤勝利とコネあんだよ
参加希望
バングラデシュの国旗の模写かと思ったらリンゴの模写だと聞かされた時の衝撃が如何なるものかを想像できるであろうか?(兄が描いた絵を見た時の俺の率直な感想です。嘘だと思うかもしれないが実話です)
まあ、神を超越せし皆々様にはもはや想像にかたくないことなどは想像にかたくないわけだが、
まさに事実なのだ。事実から生まれる笑い、自然から生まれる感動。つまりこういうことだ。
生きているということ。今、生きているということ。それは、ちんこをまんこにいれるということ。
つまり、ごっこ感がキモイのではない。ロープレ感がキモイのではない。ごっこやロープレそのものがキモイのだ。
俺のような無の境地・自然体・漠然の構えから生まれる嘘偽りのない率直な賛辞の数々。それをごっこでありごっこ感とこき下ろす様は、まさに猿も木から落ちるの体現である。もちろん分かった上で猿も木から落ちるを見せてくれたのだろう?素晴らしい猿も木から落ちるだった。あっぱれだ。
俺もこれくらい綺麗に猿も木から落ちるをキメられるよう精進したいと思う。
もうね、そんな塾はやめてしまえよ
皆さんは、お祭りを催したり、卒業旅行をしたり、自習のために土日の朝っぱらから教室を開放したりする塾をどう思いますか?
>> 25
言葉の生かし合いを本当の意味でするならーー
多様性という名前で、適切な形に収束していく中で、昔の文化・表現そのものが時代遅れだとして見捨てられていくのは哀しいことだと思いませんか?
ーー言葉の殺し合いだって、活かす環境を作っていくのが
わたしが相対した時のセンパイはスーツ姿です
でも、わたしたちが、ほんとうに憧れたのは書物のなかの、鎧をつけたセンパイなんです
…おいてけぼりなんて、悲しいじゃないですか
こんなことは、一般には関係のないことです
でも、喧嘩師にとっては、大きな価値だと思うのです
ひょっとしてひょっとして!コテハンあると何も言えないの??捨て半のほーが好き勝手言えちゃう?自分が区別されちゃうと負けた場合に恥をかいちゃう?捨て半で挑戦してきてもいいんだよ?みんな同じ捨て半なら怖くない!かもよ?
相手がどうでもよくなった頃合いを見計らってしょぼい返信して更にどうでもよくさせる作戦ならもういらんわ。
水を差すようで悪いけどな。
お前はひとつとんでもない誤解をしている。
「どうでもいい」と思えるってことは、「どうでもいい」と思われるところまで設計されてるんだよ。
たとえば「日本語」。
俺たちは日本語そのものについては基本的に語ったりはしない(意味が通じる限りはどうでもいい)と思ってるけど、それだけ違和感なく完成されてるってことだぞ。
そして今テーマにしてるのはまさしく「喧嘩の在り方」で、これは一般的に「どうでもいい」とは看過されにくい要素であふれてる。
言うなればこれはどこまで妥協しつつ喧嘩の特色を損なわずに実現可能かって話で、俺らはこんな話をしつつもすでにこのやりとりの過程で実施してるんだけど。
ジャッキーのNG集にしても、「演技失敗しててけしからんな」とならないのは、「演技失敗しててもどうでもいい。そこは問題じゃない」と思わせることに成功しとるからやぞ。
iPhoneのフリックに違和感を抱かず「どうでもいい」と思わせてるのだって人間工学的にきちんと人間の感覚とマッチするように設計されてるからだろ?
どうでもいいと意図的に思わせることのすごさは、創作物やデザイン、機能的なもの全般に言えることだからね。
つまり、「喧嘩」であることはどうでもいいと思わせるような喧嘩が普通にできたら、たぶんどこの言論界隈でも通用するし、今までになかった自由を規定できるって話よ。
モノトーンを基調としたwebデザインがあったとしようや。
なんの違和感もない配色。
パッと見でそれが普通と感じる。
何が言いたいかって、すごいと思わせないのがすごいってことよ。
でもその見せ方にはweb業界の奴ならわかると思うけど、そう見えるように考えられて余白が設けられてたりするわけ。
これを文章表現としてできる奴が少なすぎっつー話だぞ。
ここに現れしものはなぜ間違えぬのか。なぜ正しいのか。言うまでもなく生まれつきである。
生まれた時から、圧倒的解法を最短経路で導き出すDNAを持ち、決して誤謬を犯さず、いついかなる時も真なる発言を連ね続けている。
それはもはや人類の境地を超えており、進化の可能性をも考慮すべき段階にまで至っていると言えよう。
褒められるべき正解を常に持った人達は、キモいかキモくないか、有益か有益でないか、クオリティが高いか低いか、文章がすごいかすごくないかなど、一般人が一目見た時にはくそどうでもいいと口を揃えて言うであろう内容に対し、疑義を設けるのである。待ったをかけるのである。
一般人がどうでもよかろうと当事者にはどうでも良くないのである。
キモいと思うことを作り出し、キモいと思うように見い出し、キモいと思うカテゴリを一定に保つことこそ誇りであり高貴である。もはや人類と暖簾分けを果たした新種の生物であると言っても過言ではなく、希少価値の高い「人間サンプル」であると褒めることも辞さない領域に達している。
今後も尋常ではない脳の作りのその先をドラマチックに披露し、コンゴ民主共和国の国旗よりも青々と生い茂ることを大いに期待したい。
無視してたわけじゃないんだけど、なごむの話は言うなればフェーズ5だったので>> 24までの工程を踏ませてもらいました。
まずそのアングラな雰囲気から片付けさせてもらうと、具体的にはサイトの配色だったり、そこで行われるごっこ全開の言葉の組み合わせ方のことだよね。
なぜ10年より前の時代でそれが流行ったか。
今ではまったくと言っていいほど見られなくなったよね。
これはインターネットの歴史と密接に関わっていて、当時、電子上に文字を表示させるということ自体極めて革新的なことだったわけだ。
ある意味制限された環境だからこそ、アスキーアートが生まれ、独自のネットスラングが生まれた、という背景がある。
喧嘩界もその影響を多分に受けていた、というだけの話であって、それがあたりまえになると今度は適切な形に収束していくのが世の常だよね。
ガラケーでいろんなキャリアが競ってたと思いきや、今じゃ携帯はほとんどスマホ、とりわけiPhoneで統一されている。
それと同じことで、文字への価値も最適化されていったわけだよ。
ごく一部の古参はそういう文化に未だ何らかの可能性を見出そうとしてるのかもしれないけど、俺個人としてはマジで時代遅れっていうかもうそんなのどうでもいい次元まできてるって認識だ。
白うさぎについては、そもそも初期設定がうさぎのアイコンだったというのもあるけど、正直黒うさぎへのアンチテーゼとしての意味は最初から持たせてある。
一生気付かれないと思ったけどまさかそんなところまで拾ってくれるとは感動したぞ…。
喧嘩界の歴史上、すげえと思われている喧嘩師のレベルはとっくに超えている。
はっきり言って今の喧嘩界の水準は、全盛期より上なはず。
ここができてからネット喧嘩もそれなりに最適化されたってことだよ。
じゃなきゃお前らはこの一見意味不明なトピックに取り合えない。
最初は元のレベルにまで戻そうって感じだったけど、気がついたらくるとこまできちゃってるし、開設当初はこんな話ができるなんて思いもしなかった。
喧嘩界を利用してくれている人たちには感謝している。
江戸時代の侍が、その後刀を必要としなくなったように、侍という文化が消えていったように、喧嘩師と呼ばれる人たちも何か別のものに変わっていくのかな、と思う。
その中でなごむが絶えず刀を使うのもありでしょうよ。
ただそれはお前個人の問題であって、変わりゆく時代に強制させるものではないよね。
現に俺とお前の対話はこうして成り立っているし、そこには共通の享楽が存在していると言っていいだろう。
それをなんと呼ぶか、それを行う人たちをなんと名付けるか、なんて大した問題じゃないと思うよ。
一般的な認識で言うなら、ただただウザい人でしかないだろうね。
でも、絡み方やある程度相手を選べば、十分ここで行われている喧嘩のようなやりとりも外部の人たちと行うことはできるよ。
というか俺は何度もそれをやってる。
相手が喧嘩と認識してなくても俺にとっては喧嘩ってことは過去に多々あったよ。
今はこうしてここに集ってくれてる人たちがいるから、別に外へ出向こうとは思わないけどね。
>> 16は本当に優秀としか言いようがないよ。
立派な文学作品ってのはまさにその通りで、要は「何らかの価値のあるテキスト」ってことだよね。
もちろん俺たちは物書きと言えどもそれをここで生業としているわけではない。
金銭が発生するなんてことはないし、どこまでいっても「趣味」や「遊び」、「暇つぶし」の枠ではあるけど、少なからずそれらを満たすことができる程度の価値は与えたいという一心で俺は書いてる。
それで十分じゃないかな?
それはただの自己中としか思わんけどね。
極めて主観的な視野しか持とうとしない奴にはお前がそれでいいんならいいんじゃないとしか言えんわ。
我にこだわることと、我を通すことはまた微妙に違うと思うけど。
ある表現が死ぬことによる問題ってある?
喧嘩界における多様性について正論か否か語ることになんの意味があるのかわからない。
重要なのは自分たちがしたい喧嘩ができるかどうかで、その目的にあたって適者生存できるかどうかじゃない?
どっちが勝ってもいいようなくだらない弱肉強食の成れの果てを知らないわけじゃないよね。
皆さんご存知のとおり、全国一律で学校が休みになるわけですが
もちろん塾は休みにならないところもあります
釘をさしておくけど、仕事があるというのは本当にありがたいことなんだ
では、お言葉に甘えて、フェーズ4に移行させていただきますけれども、結局台本なくてもこれくらいの言葉の売り買いできる奴が少なすぎるから実施してます。
以前、こういう話を説明してもまるでわからない、辛うじてわかったとしても実践できない奴らが多すぎたため企画倒れに終わりました。
なので今回は説明せずにやれとだけ要求してるわけであります。
もうできてる奴はいいとして、できない奴は残念ながらいつまで経っても不毛な言い争いで傍迷惑なだけの痛い奴止まりでしょう。
喧嘩師でもない人に不躾な態度でだる絡みしたり、有名人に噛み付いてみたり自己投影してみたり、SNSのメディア欄がマウントを取りたいがためのスクショまみれだったり、認めてくれる人だけ周りに置いて賢ぶってみたり、存在否定してる相手に粘着して時間を無駄に浪費したり、他所で「Selcia」のワードを出して知ったふうに語ってみたり、議論畑の人間ですら何かしらの信仰対象に依存してそれを否定されれば本質的な議論を放棄するような奴ら、つまり、自分は正解、優勢であることを強調したいがために雑な編集を加える下心が見え透いてるからごっこ『感』増し増しでキモいわけだ。
昔の喧嘩サイトにそんな香ばしい奴がいたら間違いなく袋叩きでしょう。
なんならそんな過程はとうに飛び越えてもはやメタ認知合戦だったはず。
それが一転して今ここ以外の喧嘩界隈、たとえばTwitterなんかでは叩くどころか無条件に同調しちゃってる場面をよく見る。
匿名の書き込みにいちいち過剰に反応してその中でしか通じないプライドのために尽力してる奴もいる。
滑稽にも程があるだろ。
それが普通に「キモいな」と思う視点を持つユーザー(批評家)の不在ってのがインターネットにおける喧嘩のシーンにキモい奴を増殖させてしまったんだと思うんだよね。
今Twitterで行われてる喧嘩なんて言うなればまさしく喧嘩ごっこだよ。
単に嫌がらせを目的としたピンポンダッシュみてーなもんだ。
それこそ140字とからぶりつとかいう仕組みによる弊害じゃね?とすら思うぞ。
彼らは自分がキモいって自覚がない。
あまりにその界隈に甘んじているがゆえに、このような指摘を受けると拒絶反応を起こす。
そして結局そこでしか通用しない風潮に守られてクソを垂れ流すことを正当化し続けているわけだけれども、これって端的に言い換えるなら一般に通用しないマイノリティーな弱者同士が力を合わせてウンチできる環境を作りましょう!みんなでウンチすれば怖くない!ってことだろ?
うすら寒いしキモすぎんか。
こんな奴ら昔いなかっただろ?叩かれるに決まってるし。そういう行為はさすがにキモいし恥ずかしいと感じてやろうとすら思わなかったはず。
だからたまに一歩間違えて外に出ちゃうとたちまち一般論の波、数の暴力に飲み込まれて死ぬパターンが多い。
お前はおそらく、幼児化したネット喧嘩の文化に触れる気はさらさらないだろうし、今となっては興味もなければ勝手にしてればって感じだと思う。
これはあくまでごっこ『感』の一例にすぎんけど、どの観点から見てもある程度編集されている言葉や態度を示せる奴があまりに少ないのが現状だよね。
この極端なトピックの立て方はそれが理由。
で、ここからが本題。
「ごっこ感をなるべく抱かせない」ってことだけど、褒める名目とはいえ、俺の褒め方には違和感ないと思ってるよ。
反論があるなら受け付けるが。
本心かどうかはともかく、客観的に見て素直にそう思えるようなことしか書いてないつもりだ。
俺の文字数の多さでもそれくらいのことはできんじゃねって感じ。
誰とは言わないけど、歯ぎしり奏でてる奴はナレーションとして考えればエンタメとしてはまだいける。かもしれない。
出ました、「消臭」。
まさかこんなに早くこの話にたどり着くとは思ってなかったよ。
かつてこのテーマの話をしたときは、途中で大した結論も出ず終わってたから俺の中ではずっと消化不良だった。
いわゆる、メタ的な立場で見たときにエンタメとして昇華しづらい「キモい」「イタい」「クサい」という三拍子揃った文章、または表現への感覚の話だ。
たとえば「今夜の月は綺麗だね。でもキミのほうがもっと綺麗だよ」なんて昔の映画にあったのかなかったのかわからん言葉を「クサい台詞だな」と感じるのも、過度な比喩表現に違和感が生じてるからだろ。
「オレ、将来は起業しようと思ってるんすよ」と言いつつもそのための行動を何一つしておらず、根拠のない自信で夢だけ大きく語り、体裁ばかり取り繕った中身がないような発言もイタいと感じるのはそこに現実との乖離があるからだろ。
「会いたくて震える」なんて、歌ってるときはいいにしろ文章単体で見たら内面になんの手も加えずぶちまけてる状態が赤裸々でキモいわけだろ。
やっぱりこういうのを消臭しようと思ったら、そこには多少なりとも人様に見せても恥ずかしくないレベルの編集を施す必要があるわな。
特にどの角度から突っ込まれるかわからん喧嘩だからこそ極力誰にも(界隈外であったとしても)文句を言われないように書くってのが大事なポイントで、これが自然にできる奴なんてほぼほぼ限られるよね。
ジャッキーNG集のように、より多くの人に受け入れられるように編集しなきゃいつまで経ってもガキの喧嘩、単にイキッてるだけみたいなイメージ払拭できないと思うわけ。
すごく極端な話するけど、議論的なコミュニケーションに馴染みのある人がここにやってきたときに一目見て「なんのために喧嘩なんてバカらしいことやってんだろ?しょうもない人たちの集まりだね〜」と思う側の認識力に問題があったとしても、結果としてそういう見解になってしまったのならば俺は書き手の責任だと思ってる。
俺にエンタメ性が足りなかった、あるいは喧嘩に馴染みはないがネットで頭を使って読み書きするコミュニケーションが好きだって接点がありながら彼らの目線に合わせた表現ができなかった俺の落ち度だと思ってるのね。
勘違いしてほしくないのは、何も喧嘩界じゃない場所にいる論客を呼び込みたいわけじゃなくて、喧嘩界じゃない場所にいる論客にも客観的に見て十分通用するレベルの言葉遊び(喧嘩)がしたいってことよ。
今いるメンバーが全員その水準だったらごっこ『感』 が増すだけの喧嘩界ランキングなんて邪魔でしかない不純物なんだよね。
俺はこう見えてもちゃんと順序立てて運営してきたつもりだけど、ここから先の喧嘩掲示板を見たことがないんだよ。
高級キャバクラの接客なんて基本の所作の礼儀正しさのみならず時事ネタにも哲学にも対応してるわけじゃない?
だったら高級喧嘩サイトがひとつくらいあってもいいよな?
LETのときは喧嘩師ではない論客を呼び込みまくったことでそういう環境を人為的に作り出すことができたけど、喧嘩師にはそういうのできんのか?とか思っちゃうわけ。
いやもう「喧嘩師」という呼び方すら適切なのかどうかわからないし、このやりとりが「喧嘩」なのかどうかすら怪しいところではある。
ありとあらゆる文章に耐性を持つユーザーだからこそ生まれるコミュニケーションや話の内容もあったりすると思うんだよね。
人生は死ぬまでの暇つぶしとはよく言ったものだけど、どうせ喧嘩で暇つぶすならおもしろいほうがいいに決まってんだろって感じなんすけどみなさんどうすか。
きっちりしたい
とりあえず参加した順に試合でもやらせて8人揃ったらトーナメントにしちゃったら
冷やかしの集まり
人生は死ぬまでの暇つぶし・・・なんて言われたりもするくらいだし
物事の見方によっては世の中の全てが「ごっこ」と言えなくもないわけだが
俺がキモいと思うのは、ごっこ『感』だ。
俺が大好きな映画にしても、ごっこ『感』が見て取れたらキショイし冷めるぞ。
もちろんメタ的な観点からコメディとして楽しめるようしっかり編集されてるなら別だけどな。
例えばジャッキー映画のエンドロール中に流れるNG集とかがそうだ。
あのコンテンツって内容自体は「ごっこそのもの」だけど、それをエンターテイメントに仕上げようという意思はしっかり感じ取れるからキショくないし冷めもしない。
だよな、パスが精密でやりやすいぞ。
それにはスーパー超ウルトラ同意。
そのうえで、じゃあクオリティどうやったら高くなるのか?というと結局のところ「ごっこ感をなるべく抱かせない」ってのが重要になってこないか?
ぶっちゃけ、本心である必要はない。一切ない。キャバクラと同じ。
喧嘩ごっこを趣旨とする喧嘩界も同じで、本心から敵対心を抱いたりする必要なんて一切ない。
もちろん本気で相手のことを憎悪して喧嘩するのもぜんぜん有りだけども。
いずれにせよ「今回は相手を褒めてみましょう」というトピックの主旨を名目にして、ごっこ感をぜんぜん隠せていない(隠そうという意志さえ感じられない)となれば、やっぱキショイでしょうよ。
誰とは言わないけど、このトピックにも「ロープレをすればいいんですよね?」って感じのヤツいるしな。
「ロープレをすればいいんですよね?」って姿勢においては>> 3も同じなんだけど
彼の場合はジャッキーのNG集と同じで、ごっこ感をしっかり消臭できてるんだよな。
・・・てな感じで、ここまでの一連の流れを見越したうえで飛んできたパスなんだろうな~と勝手に判断させてもらったうえでKANAME曰くのフェーズ3に触れるようなレスをしてみたわけだが
ロープレもままならない奴らへの道標としてロープレのロープレをする場所までセッティングするあたり、何だかんだ言って面倒見いいんだな。
p.s.
いちど高級なキャバクラにも行ってみましょう。
「おだてるコンセプトの店&おだてるためのキャスト」って領域は軽く超越してるぞ。
>> 184
ふぅ~ん・・・
何だかんだ言ってるけど最終的には「断言したな!?そうでない可能性もあるだろ!」って感じのアゲアシスタイルを選んでしまったってことか
なら分かりやすい言い方でもう一度言わせてもらうけど
想定済みだし対処済みなんだが?
相変わらず5までしか理解できてないのに6まで理解できたと錯覚したり
7まで理解できただけ(昇華できたのは2だけ)なのに8まで理解できたと錯覚したりする
・・・といった知性のない現象が起こる
この一連のコンテクストをしっかり踏まえろよな。
こちとら「2だけ昇華できた」の部分を錯覚として扱った覚えはねーよ。
そもそも「偏差値40のおそるべきバカこそが読み手のスタンダード」ってのはお前が持ち出した名言においても言われてる事だろ?
というわけで
俺は「犬ってマジ頭悪いよな」なんて端から言ってねーんだわ。
心がけるポイントに列挙したことと、俺のやっていることが全く違うということをいとも簡単に見抜くとは…。
正確にはハードルの下を潜っているのではなく、ヘリコプターに乗ってハードルを見下ろしている形になるわけだが、
やはり宇宙レベルから俯瞰している人間からしたら、ヘリでハードルを見下ろすのもハードルの下を潜るのも同じようなものだから、そこは誤差とみていい。まあそうなると正規の形でハードルを飛んでいくのだって誤差だろって思う人もいるだろうけど、本気になればそれくらい見分けられるのだろうから問題ない。
だが俺は、こんなに早い段階で種明かしなどという野暮なことはしない。それが利用者へのささやかなリスペクトなのだ。
時間の話、こんな使い古されたような話であっても納得していただけるとは、やはり管理人は心の余裕がそんじょそこらの喧嘩師とは桁違いだな。
もちろんわかっていたことだが、改めて目前にするとやはり面食らってしまうな。
バカは無益な喧嘩の果てに自分に言い訳をするのだ。
明るくなってしまった空を見て「これは必要なことだった」と。「終わりよければすべてよし。内容は俺が勝ってた」と。自分に言い訳をするだけならまだいい。十中八九キモイだけだと思われることが分かってて、なぜか周りに見栄や虚勢を張る。
「お前だって見てる時点で暇人だけどなwww」
「俺の負け?負けてる部分を示せよwww」
「お前の価値観とかどうでもいいからwww」
実にくだらないことだ。自分で自分の評価を下げる道をことごとく選んでしまう。それはひとえに冷静じゃなく、熱くなって喧嘩してからに精神が疲弊しきっているに過ぎない。
そんな喧嘩をするくらいなら「ガーデンスケイプ」とかいう広告とゲーム内容が全く別物の詐欺ゲーにツッコミを入れながらもそこそこ楽しんでだ方がまだマシである。
素晴らしい。
これが喧嘩界を盛り上げるための最善の一手だということか…。
褒め喧嘩など見たことがない。なんという先見の明。
そこに集い、てんやわんやの大騒ぎをする。それら全てが喧嘩界の盛り上がりへと直結する。
これで盛り上げることなど考えていない方が不思議だが、それを自然とやってのけるのが一般人とアドミニストレーターの差というわけだな。
もはや刮目せざるを得ない。一時の休憩、一時のまばたきすら惜しい。
お互いを高め合うその姿勢。まさに褒めちぎりコロシアム。甘いおやつの食いだおれ!
その先にこそ、破壊的なパトスが滝のように押し寄せる。そして精根尽き果てた頃には、死体のように転がりスッキリした顔の奴らが雑魚寝してる。
やはり只者ではないな…
マジでお前こそ俺の文章を読めよ…。
言い返せなくなったら別件として扱うのかよw
「1の名言を見たとき錯覚するやつは知性のないやつだ」って言ったのはお前だし、お前が想定できてない錯覚とか知らねーよw
「犬ってマジ頭悪いよな」って言説があったとして、「いやでも警察官のシェパードとかめっちゃ賢くね?」って言ったら「いやそれは俺の言う犬じゃないんだよ」って無理ありすぎw
どの場面でどういう理由を記載してたとかやたら強調してくるけど、理由があるからって言いすぎなことに変わらないし、言いすぎであることを否定するのに例外の話で十分だろ?
ちょっと表現ミスったわの一言くらい言えんのかよw
そんなんやからお前砂漠に勝てへんねんw
ぴよぴよ
このトピックがいかに「キモい」かということについて、ここまで明瞭に言語化できるのは詠み人知らずくらいだと思う。
さらに>> 9の伏線を回収しつつあくまでトピックの趣旨に則る姿勢…まさしく「褒め喧嘩」の手本としか言いようがないw
ただそれも含めて「ごっこ感」が滲み出てることは棚上げか?
霧雨と同じく凄まじくハードル上げて衝突しとるやないか…。
俺がなぜ「無理難題」とか言ったのかわかっとらんのか?w
フェーズ2に移行すると、このように結局「お前はうまく褒められていない」や「こいつの褒め方は一番適切だろ。お前の判断に問題があるよ」という足の引っ張り合いになって、消去法として「一番褒めるのがうまい奴」が勝ち残る図式になっていく。
ここまでは想定の範囲内。
しっかりとりおしのルアーが食い込んでくれたみたいなので、このまま釣り上げさせてもらうけど、「めちゃくちゃ文章書くのがうまい詠み人知らず」は、ことディスるという点において、なぜそんなにもわかりやすい例を出してまでその能力を遺憾なく発揮するのでしょうか。
万が一にもないとは思うけど、「ここが喧嘩サイトだから」とかいうしょうもない回答はやめてくれよな?
喧嘩界と銘打っておきながらもここはディスらなければならないなんてことはないのはわかってるだろ。
そして、なぜ褒めるときだけそんなにも控えめな表現でしか書かないのでしょうか。
「匙加減」とか言ってるけど、それなら別にディスるのだってそんなにわかりやすく誰もを納得させるような書き方しなくていいだろw
つくづく期待を裏切らない男、読み人知らずがいかに俺の要求に応えてくれたか、みんなにもわかるように、例のこのトピックの要点を書き換えて説明しよう。
これを念頭に置いて、彼の文章をもう一度読んでみよう。
はじめは自然にディスってるように見えたこの文章も、どこか歪に見えてこない?
賢い人ならもう気付いてると思うが、喧嘩界ビギナーのためにも説明を続けると…
「企画としてこんなトピック立てること」が「ごっこ感」出るからキモいって今回はそういう趣旨だから貶してるだけ~本心で評価してるわけじゃない~って普通に見え見えだろw
「本心」じゃなかったら「ごっこ感」が出る?
「ごっこ感」は「キモい」?
「ごっこ感」で貶すのはよくて?
「ごっこ感」で褒めるのはダメ?
ン〜?w
少なくとも俺は「本心」で褒めてるが?
喧嘩慣れしてる読み人知らずの貶し方は「とりあえずこんな感じで上手にディスっとくか感」満載なんだがw
思わず「確かに!そんなことをすればキモい!興醒めだ!」と何人もの人があまりに想像しやすいこの例え話に首を縦に振ってしまったのでは?
そんなお前はすでに読み人マジックにかかってるよ。
そしてこれが彼の持ち味。
頭にスッと入ってくる表現技法で白であるものをあたかも真っ黒くろすけに見せてしまうのだから驚きだ。
今まで数多くの喧嘩師が彼のこの卑怯な書き方によってそのからくりを知ることなく喧嘩師生命を絶たれてきた。
しかし俺にはもう一切通用せんということを教えてやる必要があるだろう。
そもそもな?
接客前にロープレって普通にするだろ?
ライブ前にリハーサルって普通にするだろ?
言わばこのトピックって、喧嘩の可能性を広げるために今までそんなにやってなかったこと、もしくはみんながやってるようなこととは真逆のことを試験的にやってみようぜ!っていうリハ的なトピックなわけじゃん。
それの何がキモいねん?
お前、ごっこ感ごっこ感うるさいけど、そんなもんクオリティの問題とちゃうんか?
宝塚歌劇団キモいんか?時代劇キモいんか?お前の大好きな映画もリアルではないという点で「ごっこ」やけどそれもキモいとでも言うんか?
そういう話になってくんで?
それはごっこちゃうてか?ほんなら喧嘩においてもごっことちゃうレベルでやってみんかい言うとんねんアホンダラ。
「読み人知らず」って名前から「ごっこ感出るから何者にもなりたくないでちゅ〜」って潔癖な深層心理溢れ出とんねん。ダダ漏れやぞ。
キャバ嬢の仕事は客をおだてることやろ?
え?なんなん。おだてられに行ってんやからおだててくれよ?って感じちゃうん?
え?なんなん。おだてるコンセプトの店(キャバクラ)でおだてて何が問題あるん?そういうもんやん?
カランカランッ
店員「いらっしゃいませ。一名様ですね。こちらの席へお座りください」
なごむ「どうも〜なごむって言います。よろしくね!何飲みます?」
〜30分後〜
なごむ「詠み人知らずさんってほんとに博識なんですね!知的な人ってわたし結構タイプかも。やっぱ自分にない考え持ってると魅力感じちゃいません?」
詠み人知らず「おい。心にも思ってないこと言うなよ…。大体、客をおだてるのが前提のキャバクラ自体キモいんだよッ!!(グラスを床に投げつける)」
パリンッ!!
なごむ「ああ、お客さま!だいじょうぶですか?お怪我はしてないですか?(なんだコイツ…)」
詠み人知らず「うるせえ近寄ってくんじゃねえ!ごっこ感出してくんじゃねえ!!ウラァアア!」
屈強な黒服に二人がかりで連れて行かれる詠み人知らず
詠み人知らず「離…離ッせ!!!ンオオオ!!」
なごむ「店長、あの人出禁でお願いします」
霧雨「あいよ〜」
死後の世界で善悪を裁かれ悪事を働いた者から順番に天国に行けるんだったとしたら?
こういう全くもって救いの無い物語の視点に立った事はないか?俺はこの手の話になるといつもそう思うよ
いいことしてたら死んだ後に天国行けるなんてのは真っ赤な嘘で実は欲望のまま殺戮やレイプを繰り返してる奴らが天国に行ける死後の世界だったら
おまえが言った死後のルールは生きてる人間をとりあえず行儀良くさせるための方便かもしれない
死んだら皆、冷たい土の中と割り切った方が楽だよ
>> 50
もしゲーデルの不完全性定理に基づくならその前提から崩壊しますよね。
事実判断が事実判断ではないということになってしまいますから。
主観的な判断は事実判断の定義から逸れますし、その暫定的な「事実判断」から「価値判断」が導き出せないとしても、存在論的な必然性がないのは両者とも同じなのでそこに焦点を当てることこそ度外視してもいいのではないでしょうか。
パンチ弱すぎて攻撃されてることに気付きませんでした。
レベル差ありすぎて草w
だからそれを当然とまで言っているのはあなただけなんですって。
まかり通るとか僕言ってませんし、まかり通らないのあなただけでしょw
なりません。
非であると思い違いをしていただけでしょうw
弱すぎて草w
>> 18
面白すぎワロタ
このトピック最高だわ
見てくれてたんか。
あざす。
同一人物なん?w
てっきり白鳥がmeeのイズムを受け継いでるのかと…。
アイギスは一時期俺のサイトにもいたから。
おもれー奴だと思って2chで声かけたらめっちゃ叩かれたけどなんとか召喚に成功した感じ。
またやります。
ランバラルは部落
白鳥とmeeはやっぱ同じだったか、俺を恨んでるわけだ
アイギスも知ってたか〜
アイツとは2ch板対抗麻雀大会で同じチームでやったわw
懐かしい
カナメ面白い配信だったまたやってくれ
中途半端なところで終わったけど用事があるので今回はこれにて終了です。
ご来場あざした。
またテーマとかあったらください。
20時くらいから配信します!