自宅に帰って、夕飯食べて、「借王」というVシネマをアマゾンプライムで見えました。
なかなか、面白い。
そういえば、アスコットさん、顔みませんが、コロナでぶっ倒れたのかな。
さっき書いたゲシュタルト分裂の件、私は、言葉のニュアンスまで読み拾うくせがあり、
「深読み」し過ぎるのかな?
ぱっと見て、パッと読むと、全然問題ないんです。
「市(し)」の文字を読んだ時に、市町村のニュアンスが頭に広がらないと満足できず、
「市(し)」のイメージが頭の中で広がるまで、ずっと見つづけてしまう。
ふつうは、「意味」を読んで終わり、と思いますが、「瞬時」にその漢字のイメージが
頭の中に「実感」として広がって来ないと満足ができないんです。
「千代田区」、「茨城県」と読むと、千代田区のイメージ、茨城県の地図の形が「瞬時」に
頭に「イメージ」として湧き出る、
これが、私のいう「言葉のニュアンス」です。
「愛知県」と読んだら。愛知県の「自動車や道路」のイメージや、愛知県の形が頭の中で「瞬間的」に広がって
来ないと読んだ気にならない。
もしかしたら。もう20代のころの、脳みその疲れや、電気信号の伝達の難航は消えていて、
「漢字を読んでもイメージがわかない」という、
「自意識過剰」なのかも。
例えば、「ジャン・フランソワ・ミレー」という文字を読んだら、
その用語のニュアンスを感じ取って当たり前なのが、感じ取れない。
それで、じっと、文字を長め、「分裂した」感じになる。
どこまでが「当たり前」で。「どこまでだと病気」「障害」なのかが、自分でもわからない。
ある意味、正常なのに、そう思えない自分がいて、「正常」だと思わなくしているのか。
または、前に比べて「脳の電気信号」の伝達に不具合が40年以上続いているためなのか?
今夜、駅の壁や案内板など、漢字があったら、「分裂」しないか、
次から次に見てます。
「注意」という文字がえきには沢山あることがわかりました。
「注意」=「ちゅうい」と瞬時に読めて意味も瞬時に頭に入りますが。
「意」が「音」と「心」に分裂してしまい、さらに見つめると「立」と「日」に分裂してしまう。
でもちゃんと最初に「ちゅうい」と「瞬間的に」読み取っている。
漢字を見つめれば、見つめるほど「音」と「心」に分かれて頭に入ってきてしまう。