https://www.youtube.com/watch?v=iMVpJbFV_u4
① 時に土曜日。学校は半ドン。セイバーひとりが待つ我が家への帰宅途中。 さて昼餉は何にするかと考えながら旧土夏のアーケード街へ差し掛かった頃であった。 「やあ典河。いい日和だねぇ。ご機嫌麗しゅう~」 「げ」 本人が言う通り、ピーカンの青空の下。どちらかといえば曇り空の似合いそうな女がにこにこと俺に笑顔を振りまいていた。 この女性もすっかり現代に馴染みきって、ニット生地ののタートルネックにフレアスカートの出で立ちでは最早ただの超美人である。 俺がアーケード街へ踏み込んだ途端するりと路地から現れたので待ち受けていたのは明白だった。 「………何だよキャスター。俺に何か用か?」 「げ、とは失礼だね~。そんなに邪険にしないでよ~。あんなことやこんなこともした私と君の仲でしょ~?」 「そんな覚えは!………いやちょっとあるけど!だいたいは無い!」 そそくさと俺の間近に擦り寄ってきて怪しげな笑みを浮かべながら俺の胸板に指で円を描くので慌てて1歩飛び退いた。 キャスターがとんでもなく美人なのは間違いないもんでつい顔が熱くなってしまう。 用事があろうがなかろうがキャスターは俺に対してこんな調子だった。絶対俺をからかって遊んでいるのだ。どして。 「ほ、本当に何の用だよ。何にもないんなら行くからね。帰って昼飯の用意もしなきゃいけないんだから」 「あー………うん。実を言うと、その話なんだよね」 「は?」 意味が分からない。キャスターと俺の作る昼飯に何の因果があるというんだ? 珍しく眉を寄せて困った顔を作ったキャスターが、まずはこれを見てくれ、と手提げ袋の中身を広げてみせた。 無視するのもなんなので促されるままに袋の中をおそるおそる覗き見る。 キャスターのことだから何かおどろおどろしいものが入っているのかと思いきや、それは予想外の物品だった。 「………獅子唐?」 「というらしいね。私は見たことも聞いたこともなかった野菜だから名前だけしか知らないけど」 そこには青々とした見事な獅子唐がビニール袋一杯に詰まっていた。 俺の中では疑問符が立て続けに並んでいく。キャスターと獅子唐。なにひとつ接点が結びつかない。 キャスターはかつては神域の機織り手というだけで身分としてはただの村娘だったというが、それでも畑を耕していたなんてことは聞いたことがなかった。 ついぽかんとして目の前のキャスターと見合わせてしまう。
② 「どういうこと?」 「うーん。話だけは単純なんだよ。たまたま知り合った老婆がいてね。 夜はまだ冷えて老骨に染みるっていうからさ。気まぐれに膝掛けを織ってやったのさ。 そしたらお礼にって畑で栽培している野菜を山程貰っちゃってさ。だいたいはマスターに押し付けたんだけど、さて残りをどうするかってね」 「………それで、なんで俺のところに来るんだ」 「君、大家族のお母さんでしょ?これあげるから何か適当に作って食べさせてよ、お母さ~ん」 「誰がお母さんだよっ!?」 言い返すがキャスターは悪びれもしない。いつもの怪しくて甘ったるい笑顔を浮かべながら俺の片腕に抱きついてくる。 このサーヴァントはこうすれば俺が断らないやつだと知っているのだ。そして俺は断れないのだ。いつも最後の一線で甘やかしてしまうのだ。 気質は違うがどことなくキャスターが流姉さんに似ているからかも知れない………。 おおげさに溜息つきながら俺はくすくすと俺の横で微笑むキャスターをじろりと睨んだ。 「でも、意外だな。あんたそういうことするんだね。無償でそんなふうに他人へ膝掛けをプレゼントするなんて」 「ふん。今でもあのばか女神より私のほうが機織りの腕については優れてるとは思ってるけど、私は元を正せばただの町娘だからね。 こんなの珍しいことでもない。織られた生地は誰かに愛でられることで価値が生まれるもの。渡す意義のある相手には相応に振る舞うよ」 「へえ………」 こと機織りに関する話になるとキャスターは独特の表情を浮かべる。 漂わせる怪しげな印象はそのままに、真剣で余人の意見を寄せ付けない強い意志をほんの微かに覗かさせる。 それはいわば職人の矜持というやつなのだろう。正直こういうキャスターは嫌いではない。 もしここに機織りの女神―――アテナがいるとしたら、俺はきっとキャスターの肩を持ってしまうはずだ。 「………分かったよ。この獅子唐を使ったありあわせのものでいいなら作るよ。 ただし、その代わりセイバーとは仲良くしてくれよ。俺の家の敷地内で乱闘なんて御免だからな」 「はいはい。家主の言葉には従っておくよ。セイバーとだってきちんと仲良くやるさ。 ま、向こうがその気なら別だけど………その時は典河がちゃんとセイバーを宥めておくれよ?」 「善処します………」 セイバー、キャスターのこと苦手っぽいからな………。 思わぬ珍客を引き連れて旧土夏のアーケード街を行く。 途中、美人を連れて歩く俺へ突き刺さる商店街の皆様の視線はあえてひたすら無視することとした。
③
「………」 「………」 最早想定通りだった玄関での睨み合いにいちいち付き合うのも面倒くさく、俺は土足からスリッパに履き替えて館内に上がる。 「セイバー。いいから通してやってくれ。キャスター。あんまりセイバーをからかわないでくれよ」 「典河にそうきっぱり言われちゃったら仕方ないかな。はいはい、分かったよ」 お洒落な装いのショートブーツを脱いでスリッパに履き替えるキャスターをじろりと一瞥したセイバーはすぐさま俺へと食いかかってきた。 気持ちは分からないでもない。甘んじてその受け答えに応じることとする。 「テンカ!!どういうことだ!!あの毒婦めをこの家に上げるなど!!」 「どういうこともなにも、キャスターは確かに困っていたんだ。それを見てみぬふりをするのも、なんだろ」 「………っ、た、確かに!テンカのそういった部分はひとつの美徳でもあるがっ!相手はキャスターだぞ!?」 「だぞって、まぁ分かるけどさ………」 基本的にセイバーはキャスターと折り合いが悪い。いろいろあった間柄なのはさておいても性格面からあまり噛み合わない。 キャスターの方からは嫌っているということもなさそうなのだが………。 玄関先でやり取りしていた俺たちへキャスターが面白い芸でも見るかのような目で見ていた。 「おーい。盛り上がってる所悪いけど、もう奥へ進んでいいかい?」 「あ、ああ。突き当たりまで行けばリビングだからそこで待っててくれ」 「テンカ!」 「大丈夫だってば。キャスターは食材を持ってきてくれただけだ。何か企んでいるとかそういうことはない………と思うよ」 保証はし切れない。キャスターは笑顔の裏であれこれ良からぬ画策をするのが好きなタイプなので。 とはいえさすがに大丈夫、だろう。我が物顔ですたすた廊下を歩いていくキャスターの背中を見ながらセイバーが溜め息をついた。 「………納得はしていないが………。やれやれ、テンカはキャスターへ妙に甘いところがあるからな………。 ふーん………ふーん………ふたりで食事の約束なんかして………仲が良くてなんとも結構なことだな………?」 「そんなことない。そんなことないぞ。本当だぞ。すぐお昼作るからセイバーも待っててくれ」 じっとりとした半目の視線をセイバーに向けられてはそそくさと退散する他ない。 キャスターから貰った紙袋片手に廊下を足早に通り抜ける。 うちのキッチンはリビングと一体になっているから自然と既にリビングで寛いでいたキャスターの姿も目に入った。 ソファに腰掛けて勝手にリモコンでテレビもつけちゃって、もう完全に我が家状態である。自由人な彼女らしかった。
④ 「キャスター、一応聞いておくけどにんにく使っても大丈夫?」 「ん、それって匂いのこと?気にしないから平気よ~」 振り返ることすらせずひらひらと後ろ手を振って答えるキャスターを確認してから俺は冷蔵庫を開いた。 「獅子唐といえばやっぱり相性いいのは油だよな………」 ざっと残り物を把握していく。ブロックで買っていたベーコン発見。昨日の夕飯で使わなかった舞茸発見。 保存容器に密封されたパスタの乾燥麺も発見した。この時点でレシピが脳内で確定する。 とりあえず鍋にたっぷり水を注いで火にかけると俺はキッチンにハンガーで吊ってあった常用しているエプロンを装着した。 いつの間にかソファ越しにこっちを見ていたキャスターがにやにやと笑っていた。 「前掛け姿がなんだか板についてるねぇ。なんなら私が織ってあげようか?いいお嫁さんになれるよ」 「え、遠慮しとく。キャスターの織ったエプロンなんて効き目あらたか過ぎてそのまんま料理人になっちゃいそうだ」 さすがにそういう人生設計は想定外。キャスターが操る糸のようなくすぐったい視線をなんとか無視して包丁とまな板を取り出した。 にんにくを包丁の腹で潰して皮を剥く。芽を取り除いたら微塵切りにしてフライパンの中へ。 赤唐辛子の蔕を取り除いて種を出したら身の方をこれもフライパンの中へ。 種も一緒に入れれば更に辛く出来るけど、今回はマイルドに行こう。きっとキャスターなら平気だろうけれど。 オリーブオイルをにんにくと赤唐辛子が浸るまで注いだら弱火で加熱を始める。オイルににんにくの香りを移す、イタリア料理では基本中の基本みたいな工程だ。 お湯の沸騰した鍋へ塩を溶かして乾燥麺を放り込んだら、にんにくがきつね色になるまでに取り揃えた食材の用意を始めた。 スライスしたベーコンは1cmほどの幅で短冊状に。舞茸は適当に食べやすい大きさにまで手で裂く。 それらをまな板の端へどかしながら、ようやく俺はキャスターが持ってきた紙袋を手にとった。 「さてと。今回の主役は………と」 紙袋からまな板の上へ広げた獅子唐を包丁で切っていく。1本をだいたい三等分くらい。 本当に畑からの採れたてなのがよく分かる、青々としたいい獅子唐だ。 育てたお婆さんというのは一体どんな人なのだろう?キャスターも俺の知らないところで意外な交友関係を作っているらしい。 キャスターのこの街での暮らしぶりに思いを馳せながら程よくにんにくの揚がったフライパンへベーコンを投入した。 途端にぱちぱちとベーコンの水分が弾けて陽気な音がキッチンへ響き出す。ここからの工程はスピード勝負だ、手早く行こう。
⑤ 「………本当に突然どうしたのです、キャスター」 横隣りのソファに腰掛けながら警戒心の抜けきらない顔でセイバーは尋ねた。 昼時のワイドショー番組を漫然と眺めながらキャスターは湯呑を傾ける。 いまいち距離感が掴めなかったセイバーが場をもたせるために淹れたお茶だった。 キャスターは崩した姿勢で背もたれに身を預け、思い切り十影宅のリビングを満喫していた。 「あちち。円卓の騎士様に淹れてもらったお茶と聞くとこのお茶もなんだか立派なものに思えてくるね」 「茶化さないでください!」 「だぁかぁらぁ、本当のことだってば。せっかく貰ったものを無駄にするのは気に入らないし。 そしたら栗野のお嬢ちゃんが『典河の飯は美味い』って言ってたの思い出してね。これ幸いと押し付けてみただけだよ。 食事を作らせてる相手に不義理なんてしやしないから、そんな怖い顔で私を見るのはやめなさいって」 そう言ってキャスターは口を窄めてお茶に息を吹きかけ、軽く冷まして口に含んだ。 「……………」 このようにきっぱりと言われるとセイバーとしてもそれ以上追求しづらい。 無理に問い詰め続けて狭量を笑われるのも癪である。むう、と唸ってからセイバーはソファに腰掛け直した。 「………分かりました。確かにテンカの作る食事はきめ細やかな気配りがあって美味なのは事実です。ひとまずそれで良しとしましょう」 「へえ。随分自分の主人に大事にされてるみたいじゃない。もしかしてもうそういう仲なのかな?」 「………!キャスター!」 「んふふ」 流し目を送ってキャスターが微笑む。キッチンではじゅうじゅうと油の喝采をあげて跳ねる音が鳴っていた。
⑥ 「………なに話してんだろ」 後ろで何やら姦しいやり取りが行われているのをひとまず聞かなかったことにする。 フライパンへ分量を調節しながら白ワインを振りかけた。途端にざあ、と激しい音を立てて芳香が立ち昇る。 直前に投入していた獅子唐と舞茸にそれを絡ませながらアルコールが飛ぶまでフライパンを軽く揺すって丁寧に炒めた。 あんまり熱を通しすぎても食感が失われてしまうので程々に留めておく。その気になれば生でも食べられるものだし。 だいたい具が調理し終わったと判断出来たタイミングでちょうどよくタイマーが鳴った。 鍋の火を止めて少量の茹で汁をフライパンへ注いだ。いわゆる乳化というやつである。 プロの料理人というわけではないのでなんとなくそれっぽい粘性を帯びれば良しとする。きっとこんなものだろう。 あとは少し硬めに茹で上がった麺を移して具材とソースを絡めれば………。 試しにソースを纏って艷やかな光沢を放つ麺を1本つまみ上げて口にしてみた。丁度いい茹で加減。なかなかうまくいったんじゃないだろうか。 「ま、こんなものかな」 塩と胡椒を軽く足しながら俺は小さく呟いた。満足してもらえればいいんだけれど。 「セイバー、キャスター。お昼出来たよ。席についてくれ」 振り向かずに呼びかけながら皿を3枚並べてフライパンの中身を盛り付けていく。 トングを使って捻じりながら盛る。なんでもパスタの盛り付けは立体感を出すのがコツなんだとか。 別に誰に習ったわけではなく以前インターネットで聞きかじった知識による見様見真似なのであまり大きな事は言えない。 目分量で三等分し、俺は3枚の皿を食卓へと運んでいった。 ………セイバーがさりげなく、しかし有無を言わさない動きで俺の隣に腰掛ける。何故だろうという疑問はさておいてふたりに説明した。 「………というわけで、今日の昼食はキャスターから貰った獅子唐を使ったペペロンチーノです。召し上がれ」 目の前に置かれたパスタの山を前にして、セイバーもキャスターも同じように「ほお」と軽く目を丸くしたのに内心くすりと笑ってしまった。 普段は牽制しあっているふたりだけれどこういうところでは息が合うみたいだ。 簡単な料理ではあるが自分でも悪くない出来だと思う。獅子唐の生き生きとした緑が見た目にも鮮やかだ。 いただきます、と手を合わせて早速フォークを突き刺したセイバーの目の前の席で、キャスターがしげしげと料理を眺めていた。
⑦ 「ペペロンチーノ、ってイタリアの料理だったっけ。てことはローマ料理だ」 「まあ、パスタの歴史って相当古くて古代ローマ時代から食べられてたらしいから一応そういうことになるのかな。 あれ、もしかして馴染みだったりする?キャスターの出身は、えーっと………ギリシャ?」 「うんにゃ。リュディア………今じゃトルコって国らしいね。そこのコロフォンって街の出身。 別にローマ料理だからどうというわけじゃないけどね。さて、それじゃ早速………」 フォークにくるくると麺を巻きつけてキャスターがぱくりと口にした。途端、ぱちぱちと瞬きしてあの紅い瞳が見え隠れした。 「おお!美味しい!確かにセイバーが言うだけあるね、典河!」 「そうでしょう。テンカの料理は美味しいのです。それに料理以外だって何でも出来るのです。テンカは凄いのです」 よく分からないが俺ではなくセイバーが自慢げな顔をしていた。はは、と苦笑してしまう。 ふたりに続いて俺もパスタを口へと運んで空腹を癒すことにする。うん、やはり我ながら上出来。 しゃきしゃきと口の中で存在感を主張する獅子唐と舞茸が楽しい一皿だ。 「手元にあった時はどうやって食べたもんだかと悩んだけど、こうして食べると他に例えようのない甘みや苦味が癖になるねぇ」 「獅子唐は熱を加えると味が引き立つからね。油とも相性がいいから天ぷらにしても抜群に美味しいよ」 「うん。それにこの茸の食感も小気味よく………今日の昼餉も素晴らしいよテンカ」 人間、えてして美味しいものを食べている間は喧嘩するのは難しいものである。 さっきまであんなに微妙な距離感だったセイバーとキャスターだったが、フォークに麺を巻きつけている間は少しだけ距離が近くなったように見えた。 獅子唐の独特の香り。舞茸の歯ごたえ。ベーコンの甘い塩味。アクセントとなる赤唐辛子と胡椒の刺激。それらを取りまとめるにんにくとオリーブオイルの風味。 キャスターが獅子唐を俺に押し付けてくるなんて珍事がなければ生まれることのなかった味と光景だ。 そう思うとなんとなくキャスターにお礼を言いたい気分になった。気まぐれで自分勝手な困った悪人だが、俺はそれでも彼女があまり嫌いではない。 昼食の時間はあっという間だった。みんな手を止めずにパスタを平らげてしまったからだ。 冷めるとせっかく乳化した水と油が分離してしまうので作り手としてはありがたい限りである。 「ごちそうさま。いや、本当に期待以上だったよ。店の料理にはない気取らなさと細やかさが最高だった。 こんなに美味しいのならまたご馳走してもらいに来ようかな。その時はよろしく頼むよ典河」 キャスターはそう言って俺へ向けて微笑んできた。 極稀にキャスターはこういう表情をする。策謀巡らす時の怪しげな笑みではない。蛮勇とも思えるような選択をする時の勝ち気な笑みではない。 本当に何処にでもあるような、ごくありふれた笑顔。ちょっとお転婆なただの町娘みたいな素朴な笑顔だ。 この顔をする時のキャスターはびっくりするくらいただの女の子に見えてついどぎまぎしてしまう。 だから『また来る』という言葉も断ることが出来なかったのだろう。
⑧ 「そ、そりゃどうも。そう言ってくれるなら俺も作った甲斐があったよ」 つい一瞬言葉がつっかえてしまった。横から痛いほど突き刺さる視線。ちらりと伺うとセイバーがまた半目で俺を睨んでいた。 「………テンカ?」 「な、なんでもない!素直に料理を褒められてちょっと嬉しかっただけだ!」 咳払いしてそそくさと俺は皿を片付け始めた。 と、皿3枚とフライパンの油汚れを落として食器の水切り棚に置いた頃、キャスターから「典河~」とお呼びがかかる。 「なんだよキャスター。まだ帰らないのか?」 「いいから来なって。はい、ここ座って」 呼ばれるままにリビングへ行くとテレビの前のソファの真ん中に座ることを促された。 分からないままに腰掛ける。すると。 「よしよし。じゃ私はここね。はい動かなーい。席を立たなーい」 「なっ!?」 断っておくが最後の素っ頓狂な声は俺ではない。顛末を見ていたセイバーのものだ。 おもむろにキャスターは俺の横に座り、しかもその肩と肩の距離はぴったりゼロ距離だった。 いつものチェシャ猫の微笑みで俺の肩にやや体重を預けながらキャスターはテレビのリモコンを弄って番組を探していた。 間違いなくそんなことをされてぎくしゃくとする俺をからかっている。いい加減そのくらい分かってきます。 「うーん。やっぱり顔がいい男を侍らせてだらだらする午後っていうのはいいもんだね。典河は本当に可愛い顔してるからね~」 「可愛い可愛いって………男としては複雑な気持ちになるんだけど………。………?」 なんて言っていたらキャスターのいない方の隣に誰かが座る気配。誰かと言われても他にはひとりしかいないのだが。 「………………。なにか?テンカ」 「………いえなんでも」 横を見るとセイバーが膨れ面でキャスターと同じようにゼロ距離まで詰め寄っていた。察するまでもなく拗ねていた。 ことんと首を傾げて俺の肩に頭を乗せさえするものだからセイバーの体温みたいなものを直接感じてしまって尚更緊張してしまう。 4人掛けのソファのはずなのに妙に狭くて窮屈だ。美女二人に挟まれているというのに俺は冷や汗が頬を伝うのを錯覚するのだった。 ―――なお、キャスターがわざと選んだであろうちょっとエロティックな雰囲気の映画は後半からアクションシーンが抜群の盛り上がりを見せて3人で大いに盛り上がったことを追記しておく。
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①
時に土曜日。学校は半ドン。セイバーひとりが待つ我が家への帰宅途中。
さて昼餉は何にするかと考えながら旧土夏のアーケード街へ差し掛かった頃であった。
「やあ典河。いい日和だねぇ。ご機嫌麗しゅう~」
「げ」
本人が言う通り、ピーカンの青空の下。どちらかといえば曇り空の似合いそうな女がにこにこと俺に笑顔を振りまいていた。
この女性もすっかり現代に馴染みきって、ニット生地ののタートルネックにフレアスカートの出で立ちでは最早ただの超美人である。
俺がアーケード街へ踏み込んだ途端するりと路地から現れたので待ち受けていたのは明白だった。
「………何だよキャスター。俺に何か用か?」
「げ、とは失礼だね~。そんなに邪険にしないでよ~。あんなことやこんなこともした私と君の仲でしょ~?」
「そんな覚えは!………いやちょっとあるけど!だいたいは無い!」
そそくさと俺の間近に擦り寄ってきて怪しげな笑みを浮かべながら俺の胸板に指で円を描くので慌てて1歩飛び退いた。
キャスターがとんでもなく美人なのは間違いないもんでつい顔が熱くなってしまう。
用事があろうがなかろうがキャスターは俺に対してこんな調子だった。絶対俺をからかって遊んでいるのだ。どして。
「ほ、本当に何の用だよ。何にもないんなら行くからね。帰って昼飯の用意もしなきゃいけないんだから」
「あー………うん。実を言うと、その話なんだよね」
「は?」
意味が分からない。キャスターと俺の作る昼飯に何の因果があるというんだ?
珍しく眉を寄せて困った顔を作ったキャスターが、まずはこれを見てくれ、と手提げ袋の中身を広げてみせた。
無視するのもなんなので促されるままに袋の中をおそるおそる覗き見る。
キャスターのことだから何かおどろおどろしいものが入っているのかと思いきや、それは予想外の物品だった。
「………獅子唐?」
「というらしいね。私は見たことも聞いたこともなかった野菜だから名前だけしか知らないけど」
そこには青々とした見事な獅子唐がビニール袋一杯に詰まっていた。
俺の中では疑問符が立て続けに並んでいく。キャスターと獅子唐。なにひとつ接点が結びつかない。
キャスターはかつては神域の機織り手というだけで身分としてはただの村娘だったというが、それでも畑を耕していたなんてことは聞いたことがなかった。
ついぽかんとして目の前のキャスターと見合わせてしまう。
②
「どういうこと?」
「うーん。話だけは単純なんだよ。たまたま知り合った老婆がいてね。
夜はまだ冷えて老骨に染みるっていうからさ。気まぐれに膝掛けを織ってやったのさ。
そしたらお礼にって畑で栽培している野菜を山程貰っちゃってさ。だいたいはマスターに押し付けたんだけど、さて残りをどうするかってね」
「………それで、なんで俺のところに来るんだ」
「君、大家族のお母さんでしょ?これあげるから何か適当に作って食べさせてよ、お母さ~ん」
「誰がお母さんだよっ!?」
言い返すがキャスターは悪びれもしない。いつもの怪しくて甘ったるい笑顔を浮かべながら俺の片腕に抱きついてくる。
このサーヴァントはこうすれば俺が断らないやつだと知っているのだ。そして俺は断れないのだ。いつも最後の一線で甘やかしてしまうのだ。
気質は違うがどことなくキャスターが流姉さんに似ているからかも知れない………。
おおげさに溜息つきながら俺はくすくすと俺の横で微笑むキャスターをじろりと睨んだ。
「でも、意外だな。あんたそういうことするんだね。無償でそんなふうに他人へ膝掛けをプレゼントするなんて」
「ふん。今でもあのばか女神より私のほうが機織りの腕については優れてるとは思ってるけど、私は元を正せばただの町娘だからね。
こんなの珍しいことでもない。織られた生地は誰かに愛でられることで価値が生まれるもの。渡す意義のある相手には相応に振る舞うよ」
「へえ………」
こと機織りに関する話になるとキャスターは独特の表情を浮かべる。
漂わせる怪しげな印象はそのままに、真剣で余人の意見を寄せ付けない強い意志をほんの微かに覗かさせる。
それはいわば職人の矜持というやつなのだろう。正直こういうキャスターは嫌いではない。
もしここに機織りの女神―――アテナがいるとしたら、俺はきっとキャスターの肩を持ってしまうはずだ。
「………分かったよ。この獅子唐を使ったありあわせのものでいいなら作るよ。
ただし、その代わりセイバーとは仲良くしてくれよ。俺の家の敷地内で乱闘なんて御免だからな」
「はいはい。家主の言葉には従っておくよ。セイバーとだってきちんと仲良くやるさ。
ま、向こうがその気なら別だけど………その時は典河がちゃんとセイバーを宥めておくれよ?」
「善処します………」
セイバー、キャスターのこと苦手っぽいからな………。
思わぬ珍客を引き連れて旧土夏のアーケード街を行く。
途中、美人を連れて歩く俺へ突き刺さる商店街の皆様の視線はあえてひたすら無視することとした。
③
「………」
「………」
最早想定通りだった玄関での睨み合いにいちいち付き合うのも面倒くさく、俺は土足からスリッパに履き替えて館内に上がる。
「セイバー。いいから通してやってくれ。キャスター。あんまりセイバーをからかわないでくれよ」
「典河にそうきっぱり言われちゃったら仕方ないかな。はいはい、分かったよ」
お洒落な装いのショートブーツを脱いでスリッパに履き替えるキャスターをじろりと一瞥したセイバーはすぐさま俺へと食いかかってきた。
気持ちは分からないでもない。甘んじてその受け答えに応じることとする。
「テンカ!!どういうことだ!!あの毒婦めをこの家に上げるなど!!」
「どういうこともなにも、キャスターは確かに困っていたんだ。それを見てみぬふりをするのも、なんだろ」
「………っ、た、確かに!テンカのそういった部分はひとつの美徳でもあるがっ!相手はキャスターだぞ!?」
「だぞって、まぁ分かるけどさ………」
基本的にセイバーはキャスターと折り合いが悪い。いろいろあった間柄なのはさておいても性格面からあまり噛み合わない。
キャスターの方からは嫌っているということもなさそうなのだが………。
玄関先でやり取りしていた俺たちへキャスターが面白い芸でも見るかのような目で見ていた。
「おーい。盛り上がってる所悪いけど、もう奥へ進んでいいかい?」
「あ、ああ。突き当たりまで行けばリビングだからそこで待っててくれ」
「テンカ!」
「大丈夫だってば。キャスターは食材を持ってきてくれただけだ。何か企んでいるとかそういうことはない………と思うよ」
保証はし切れない。キャスターは笑顔の裏であれこれ良からぬ画策をするのが好きなタイプなので。
とはいえさすがに大丈夫、だろう。我が物顔ですたすた廊下を歩いていくキャスターの背中を見ながらセイバーが溜め息をついた。
「………納得はしていないが………。やれやれ、テンカはキャスターへ妙に甘いところがあるからな………。
ふーん………ふーん………ふたりで食事の約束なんかして………仲が良くてなんとも結構なことだな………?」
「そんなことない。そんなことないぞ。本当だぞ。すぐお昼作るからセイバーも待っててくれ」
じっとりとした半目の視線をセイバーに向けられてはそそくさと退散する他ない。
キャスターから貰った紙袋片手に廊下を足早に通り抜ける。
うちのキッチンはリビングと一体になっているから自然と既にリビングで寛いでいたキャスターの姿も目に入った。
ソファに腰掛けて勝手にリモコンでテレビもつけちゃって、もう完全に我が家状態である。自由人な彼女らしかった。
④
「キャスター、一応聞いておくけどにんにく使っても大丈夫?」
「ん、それって匂いのこと?気にしないから平気よ~」
振り返ることすらせずひらひらと後ろ手を振って答えるキャスターを確認してから俺は冷蔵庫を開いた。
「獅子唐といえばやっぱり相性いいのは油だよな………」
ざっと残り物を把握していく。ブロックで買っていたベーコン発見。昨日の夕飯で使わなかった舞茸発見。
保存容器に密封されたパスタの乾燥麺も発見した。この時点でレシピが脳内で確定する。
とりあえず鍋にたっぷり水を注いで火にかけると俺はキッチンにハンガーで吊ってあった常用しているエプロンを装着した。
いつの間にかソファ越しにこっちを見ていたキャスターがにやにやと笑っていた。
「前掛け姿がなんだか板についてるねぇ。なんなら私が織ってあげようか?いいお嫁さんになれるよ」
「え、遠慮しとく。キャスターの織ったエプロンなんて効き目あらたか過ぎてそのまんま料理人になっちゃいそうだ」
さすがにそういう人生設計は想定外。キャスターが操る糸のようなくすぐったい視線をなんとか無視して包丁とまな板を取り出した。
にんにくを包丁の腹で潰して皮を剥く。芽を取り除いたら微塵切りにしてフライパンの中へ。
赤唐辛子の蔕を取り除いて種を出したら身の方をこれもフライパンの中へ。
種も一緒に入れれば更に辛く出来るけど、今回はマイルドに行こう。きっとキャスターなら平気だろうけれど。
オリーブオイルをにんにくと赤唐辛子が浸るまで注いだら弱火で加熱を始める。オイルににんにくの香りを移す、イタリア料理では基本中の基本みたいな工程だ。
お湯の沸騰した鍋へ塩を溶かして乾燥麺を放り込んだら、にんにくがきつね色になるまでに取り揃えた食材の用意を始めた。
スライスしたベーコンは1cmほどの幅で短冊状に。舞茸は適当に食べやすい大きさにまで手で裂く。
それらをまな板の端へどかしながら、ようやく俺はキャスターが持ってきた紙袋を手にとった。
「さてと。今回の主役は………と」
紙袋からまな板の上へ広げた獅子唐を包丁で切っていく。1本をだいたい三等分くらい。
本当に畑からの採れたてなのがよく分かる、青々としたいい獅子唐だ。
育てたお婆さんというのは一体どんな人なのだろう?キャスターも俺の知らないところで意外な交友関係を作っているらしい。
キャスターのこの街での暮らしぶりに思いを馳せながら程よくにんにくの揚がったフライパンへベーコンを投入した。
途端にぱちぱちとベーコンの水分が弾けて陽気な音がキッチンへ響き出す。ここからの工程はスピード勝負だ、手早く行こう。
⑤
「………本当に突然どうしたのです、キャスター」
横隣りのソファに腰掛けながら警戒心の抜けきらない顔でセイバーは尋ねた。
昼時のワイドショー番組を漫然と眺めながらキャスターは湯呑を傾ける。
いまいち距離感が掴めなかったセイバーが場をもたせるために淹れたお茶だった。
キャスターは崩した姿勢で背もたれに身を預け、思い切り十影宅のリビングを満喫していた。
「あちち。円卓の騎士様に淹れてもらったお茶と聞くとこのお茶もなんだか立派なものに思えてくるね」
「茶化さないでください!」
「だぁかぁらぁ、本当のことだってば。せっかく貰ったものを無駄にするのは気に入らないし。
そしたら栗野のお嬢ちゃんが『典河の飯は美味い』って言ってたの思い出してね。これ幸いと押し付けてみただけだよ。
食事を作らせてる相手に不義理なんてしやしないから、そんな怖い顔で私を見るのはやめなさいって」
そう言ってキャスターは口を窄めてお茶に息を吹きかけ、軽く冷まして口に含んだ。
「……………」
このようにきっぱりと言われるとセイバーとしてもそれ以上追求しづらい。
無理に問い詰め続けて狭量を笑われるのも癪である。むう、と唸ってからセイバーはソファに腰掛け直した。
「………分かりました。確かにテンカの作る食事はきめ細やかな気配りがあって美味なのは事実です。ひとまずそれで良しとしましょう」
「へえ。随分自分の主人に大事にされてるみたいじゃない。もしかしてもうそういう仲なのかな?」
「………!キャスター!」
「んふふ」
流し目を送ってキャスターが微笑む。キッチンではじゅうじゅうと油の喝采をあげて跳ねる音が鳴っていた。
⑥
「………なに話してんだろ」
後ろで何やら姦しいやり取りが行われているのをひとまず聞かなかったことにする。
フライパンへ分量を調節しながら白ワインを振りかけた。途端にざあ、と激しい音を立てて芳香が立ち昇る。
直前に投入していた獅子唐と舞茸にそれを絡ませながらアルコールが飛ぶまでフライパンを軽く揺すって丁寧に炒めた。
あんまり熱を通しすぎても食感が失われてしまうので程々に留めておく。その気になれば生でも食べられるものだし。
だいたい具が調理し終わったと判断出来たタイミングでちょうどよくタイマーが鳴った。
鍋の火を止めて少量の茹で汁をフライパンへ注いだ。いわゆる乳化というやつである。
プロの料理人というわけではないのでなんとなくそれっぽい粘性を帯びれば良しとする。きっとこんなものだろう。
あとは少し硬めに茹で上がった麺を移して具材とソースを絡めれば………。
試しにソースを纏って艷やかな光沢を放つ麺を1本つまみ上げて口にしてみた。丁度いい茹で加減。なかなかうまくいったんじゃないだろうか。
「ま、こんなものかな」
塩と胡椒を軽く足しながら俺は小さく呟いた。満足してもらえればいいんだけれど。
「セイバー、キャスター。お昼出来たよ。席についてくれ」
振り向かずに呼びかけながら皿を3枚並べてフライパンの中身を盛り付けていく。
トングを使って捻じりながら盛る。なんでもパスタの盛り付けは立体感を出すのがコツなんだとか。
別に誰に習ったわけではなく以前インターネットで聞きかじった知識による見様見真似なのであまり大きな事は言えない。
目分量で三等分し、俺は3枚の皿を食卓へと運んでいった。
………セイバーがさりげなく、しかし有無を言わさない動きで俺の隣に腰掛ける。何故だろうという疑問はさておいてふたりに説明した。
「………というわけで、今日の昼食はキャスターから貰った獅子唐を使ったペペロンチーノです。召し上がれ」
目の前に置かれたパスタの山を前にして、セイバーもキャスターも同じように「ほお」と軽く目を丸くしたのに内心くすりと笑ってしまった。
普段は牽制しあっているふたりだけれどこういうところでは息が合うみたいだ。
簡単な料理ではあるが自分でも悪くない出来だと思う。獅子唐の生き生きとした緑が見た目にも鮮やかだ。
いただきます、と手を合わせて早速フォークを突き刺したセイバーの目の前の席で、キャスターがしげしげと料理を眺めていた。
⑦
「ペペロンチーノ、ってイタリアの料理だったっけ。てことはローマ料理だ」
「まあ、パスタの歴史って相当古くて古代ローマ時代から食べられてたらしいから一応そういうことになるのかな。
あれ、もしかして馴染みだったりする?キャスターの出身は、えーっと………ギリシャ?」
「うんにゃ。リュディア………今じゃトルコって国らしいね。そこのコロフォンって街の出身。
別にローマ料理だからどうというわけじゃないけどね。さて、それじゃ早速………」
フォークにくるくると麺を巻きつけてキャスターがぱくりと口にした。途端、ぱちぱちと瞬きしてあの紅い瞳が見え隠れした。
「おお!美味しい!確かにセイバーが言うだけあるね、典河!」
「そうでしょう。テンカの料理は美味しいのです。それに料理以外だって何でも出来るのです。テンカは凄いのです」
よく分からないが俺ではなくセイバーが自慢げな顔をしていた。はは、と苦笑してしまう。
ふたりに続いて俺もパスタを口へと運んで空腹を癒すことにする。うん、やはり我ながら上出来。
しゃきしゃきと口の中で存在感を主張する獅子唐と舞茸が楽しい一皿だ。
「手元にあった時はどうやって食べたもんだかと悩んだけど、こうして食べると他に例えようのない甘みや苦味が癖になるねぇ」
「獅子唐は熱を加えると味が引き立つからね。油とも相性がいいから天ぷらにしても抜群に美味しいよ」
「うん。それにこの茸の食感も小気味よく………今日の昼餉も素晴らしいよテンカ」
人間、えてして美味しいものを食べている間は喧嘩するのは難しいものである。
さっきまであんなに微妙な距離感だったセイバーとキャスターだったが、フォークに麺を巻きつけている間は少しだけ距離が近くなったように見えた。
獅子唐の独特の香り。舞茸の歯ごたえ。ベーコンの甘い塩味。アクセントとなる赤唐辛子と胡椒の刺激。それらを取りまとめるにんにくとオリーブオイルの風味。
キャスターが獅子唐を俺に押し付けてくるなんて珍事がなければ生まれることのなかった味と光景だ。
そう思うとなんとなくキャスターにお礼を言いたい気分になった。気まぐれで自分勝手な困った悪人だが、俺はそれでも彼女があまり嫌いではない。
昼食の時間はあっという間だった。みんな手を止めずにパスタを平らげてしまったからだ。
冷めるとせっかく乳化した水と油が分離してしまうので作り手としてはありがたい限りである。
「ごちそうさま。いや、本当に期待以上だったよ。店の料理にはない気取らなさと細やかさが最高だった。
こんなに美味しいのならまたご馳走してもらいに来ようかな。その時はよろしく頼むよ典河」
キャスターはそう言って俺へ向けて微笑んできた。
極稀にキャスターはこういう表情をする。策謀巡らす時の怪しげな笑みではない。蛮勇とも思えるような選択をする時の勝ち気な笑みではない。
本当に何処にでもあるような、ごくありふれた笑顔。ちょっとお転婆なただの町娘みたいな素朴な笑顔だ。
この顔をする時のキャスターはびっくりするくらいただの女の子に見えてついどぎまぎしてしまう。
だから『また来る』という言葉も断ることが出来なかったのだろう。
⑧
「そ、そりゃどうも。そう言ってくれるなら俺も作った甲斐があったよ」
つい一瞬言葉がつっかえてしまった。横から痛いほど突き刺さる視線。ちらりと伺うとセイバーがまた半目で俺を睨んでいた。
「………テンカ?」
「な、なんでもない!素直に料理を褒められてちょっと嬉しかっただけだ!」
咳払いしてそそくさと俺は皿を片付け始めた。
と、皿3枚とフライパンの油汚れを落として食器の水切り棚に置いた頃、キャスターから「典河~」とお呼びがかかる。
「なんだよキャスター。まだ帰らないのか?」
「いいから来なって。はい、ここ座って」
呼ばれるままにリビングへ行くとテレビの前のソファの真ん中に座ることを促された。
分からないままに腰掛ける。すると。
「よしよし。じゃ私はここね。はい動かなーい。席を立たなーい」
「なっ!?」
断っておくが最後の素っ頓狂な声は俺ではない。顛末を見ていたセイバーのものだ。
おもむろにキャスターは俺の横に座り、しかもその肩と肩の距離はぴったりゼロ距離だった。
いつものチェシャ猫の微笑みで俺の肩にやや体重を預けながらキャスターはテレビのリモコンを弄って番組を探していた。
間違いなくそんなことをされてぎくしゃくとする俺をからかっている。いい加減そのくらい分かってきます。
「うーん。やっぱり顔がいい男を侍らせてだらだらする午後っていうのはいいもんだね。典河は本当に可愛い顔してるからね~」
「可愛い可愛いって………男としては複雑な気持ちになるんだけど………。………?」
なんて言っていたらキャスターのいない方の隣に誰かが座る気配。誰かと言われても他にはひとりしかいないのだが。
「………………。なにか?テンカ」
「………いえなんでも」
横を見るとセイバーが膨れ面でキャスターと同じようにゼロ距離まで詰め寄っていた。察するまでもなく拗ねていた。
ことんと首を傾げて俺の肩に頭を乗せさえするものだからセイバーの体温みたいなものを直接感じてしまって尚更緊張してしまう。
4人掛けのソファのはずなのに妙に狭くて窮屈だ。美女二人に挟まれているというのに俺は冷や汗が頬を伝うのを錯覚するのだった。
―――なお、キャスターがわざと選んだであろうちょっとエロティックな雰囲気の映画は後半からアクションシーンが抜群の盛り上がりを見せて3人で大いに盛り上がったことを追記しておく。