名前なし
2019/02/22 (金) 22:54:10
6a6b2@73453
味がする・しない問題の別解、「終わりが見えてる(信じている)存在からの捧げ物かどうか」がポイントかもしれない。戦死の常習と身分差で茶屋の出来事は一時の夢と割り切っているシノ>いつかはわからないけど世界は必ず終末を迎えるものという認識のジズ>ループは認識しているけど子供達が未来に進むことを願っているスルトの順で味の強さが変わってるし。自分は供物という認識から開放されたら味がするようになる?
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単純に味の強さ=固有の誰かに対する料理って事なんじゃないかな。シノは姫に対しての想い、ジズはベヒモスに対する気持ちが一点に込められているから強い。スルトのは我が子ら家族への気持ちがこもってるから多少分散して薄味ながら知覚できる。チョウジのや市販品のは食べてくれる大多数に対する想いだから薄く広がり過ぎて味が分からないレベル、みたいな
気持ちが込められているだけじゃだめで、過去の記憶が込められている事で初めて味わえる(記憶を味に変換している)みたいな感じかなあとか。チョウジたちのは振る舞う気持ちや技術的な記憶はあっても己の記憶や想い出を込めて作ってるわけじゃない。シノは姫との想い出や記憶を大量に詰め込んだ>ジズはベヒモスたちとの記憶を込めて作った>スルトも過去ループも含めた記憶を込めて作った(けれどループ分は特に記憶が不完全だったから味が薄まった)
今まで味がしたのが何らかの生贄的な存在から振る舞われたものってのは大きなポイントになりそう。ハーロットがそういう在り方にピンときてる点的にも単なる気持ちの範囲だけの問題ではない気がする。世界のものを平らげるベヒモスに対して壁の外へ捧げられる供物となったものはその世界から外れる要素を持ちうるゆえ神器が発動しなくて、その度合いは込められた気持ちや記憶によるって感じかな