ロビンソンの台詞では隊長やおれ「たち」と記述してるから必ずしも流者だけの特性ではないかもしれない。更に姿を変えられるのだとしても現在の姿でいる必要性や理由があるだろうから、もしかすると晩年の姿はないのかもしれない(そこまで成長していないという意味で)
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ロビンソンの台詞では隊長やおれ「たち」と記述してるから必ずしも流者だけの特性ではないかもしれない。更に姿を変えられるのだとしても現在の姿でいる必要性や理由があるだろうから、もしかすると晩年の姿はないのかもしれない(そこまで成長していないという意味で)
クックロビンを『自分の断片の1つ』と言いながら『コイツ』って言い方してるし、ニャルが自分を『我ら』って言ってるのと同じ感じな気も
あれは話の流れからして主人公とは面識があるかや放サモ世界にその相手がいるかは別としてロビンソンには自分と主人公以外に流者の役割を持つ人が知人にいる若しくは心当たりがあるというニュアンスだと思うけど。あと現在の姿でいることについては今ある情報からだけだったら、ロビンソン自身は心のどこかで主人公が思い出してくれることを期待し続けていたのは明言されているのだから、少なくとも主人公とあの島を離れるまではあの姿でいる必然性があるからでいまのところ説明がつくね
クックロビンは実体のあるイマジナリーフレンドみたいなもんなのかな