たくさんの人々の願いが霄灯に込められて空に飛ばされる祭りであり、その願いはモブだろうがプレイアブルキャラだろうが等価値だから。また、仙人や帝君が守りたかったのはこうした人々の幸せな光景であり、神の目という強力な"力"を持った人のみを特別視するのは本末転倒だから。むしろ璃月では、神の目を持つ特別な人々は無辜の市民を守るために尽力し、その結果璃月の繁栄に繋がるという精神が根付いているように感じる。この海灯祭は、そうした「守るべき光景」の象徴なんじゃないかと思う。
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道徳的には同価値かもしれないけど、ユーザー的には同価値では無いよ。そういうのを表現したいのならショウリとか仙人とか七星なんかの目線で「璃月はもう大丈夫だ」みたいな書き方の方が盛り上がると思う。むしろあの祭り主人公が手を貸さないと色々滞るし、やっぱり神居ないと駄目だったんじゃって感想しか抱けない・・・。
えっ、ユーザーの価値観ってシナリオ上の道徳に優先するの……?そもそもの前提が共有できてないかもしれない……。フィクションに現実の都合を持ち込むのではなく、フィクション世界に浸るときはその世界の道徳や世界観に(一時的に)染まるのがロールプレイングゲームの楽しみ方じゃないの……?
シナリオ上はとても尊いものとして扱うべきだけど、ユーザーはモブの願いを見たくて原神をやってるわけじゃないってこと。RPGの楽しみ方を前提に話すとしても、今のあのストーリーで満足な没入感を得られる人は少ないと思う。製作者が何かを伝えたかったとしても退屈なお使いをさせられてるって認識しかされてない。簡潔に言うと見せ方が下手。
世界観に浸れるようなお使い今のところないからなぁ・・・感じ方は人それぞれなんだろうけど モブモブ間のお使いなんてしょうもないだけなんだよね、特に今日はひどかったなぁ これで祭りのにぎやか度が上がりますか・・・?みたいなシナリオばっかりだし
デイリー任務といいやって当然みたいな話の進め方するモブ多いからなぁ
557ae@93b3b は「作品」としての出来について話していて、f4b9a@ade19 は「商品」としての出来について話していているので、話は永遠にかみ合わなさそう。どっちも間違いではないが、俺はどっちかって言えば 557ae@93b3b に賛成。