ハノイ、首相官邸。
チェコクリパニア陸軍総司令官のルドヴィーク・イングルは、
その中の一室で大統領と向き合っていた。
軍の再編を許可させるために、どうしても説得する必要があるからである。
彼の部下はみな平和主義者で、軍事費を1コルナたりとも上げる気はない。
ある1人の議員は我々のことを大量殺人者だと言っているが、
彼が持っている高級車は戦争による好景気で手に入れた物で、
ブランド品のバッグは台湾侵攻でチェコの影響下に入ったメーカーが作った物だ。
それに、大量殺人者は奴らも同じだ。トラストのゲリラも、治安を維持するMPも、皆平等に。
「…それで、一体何の用ですか? 給料は上げられませんよ。」
「軍の再編許可を。 どうしても必要な事なんです。」
「そうか… 私を説得しに来たのか。 君は仕事熱心な男だな。」
仕事熱心? …皮肉としてはあまり面白くない。
冗談半分だが、もしかしたら本心かもしれない。
「陸軍の総司令官に就いている身です。 職務は必ず遂行しますよ。」
「私を平和主義者と知っていて来たのか?」
「首相が軍隊にどんなイメージを抱いているかは知りませんが、
どんな手を使ってでも再編を許可させる思いです」
「…面白い。 私がどんなイメージを持っているか、試しに予想してみなさい」
…試しに予想してみろだって? 膨大な悪口の中から?
悲惨なことに軍隊に使われる誉め言葉は片手で数えられるほどしかないが、逆はいくらでもある。
第二次インドシナ戦争中の1970年代、アメリカの反戦デモでそんな言葉はいくらでも見てきた。
一体、彼はどのような言葉を選ぶのだろうか?
だがそのことを彼は全く考えていなかった。 むしろ逆のことを。
「君達には感謝している」
「…?」
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思考が追い付かなかった。
彼は平和主義者じゃないのか?
そんな考えを読むように、首相がもう一度口を開く。
「私は平和主義者ではない。むしろ融和主義者だよ。」
「しかし…メディアや世論はあなたのことを平和主義者だと」
「平和主義者か。 …トラストのことも台湾の事も、
全くと言っていいほど眼中にないようだな。」
「きっと、トラストに進出した企業の半分以上は
軍需品メーカーだということも知らないだろう。」
一般的なイメージと違うことを、首相は話し続けている。
思考がようやく状況に追いつき、質問を投げかけた。
「どういうことですか? 平和主義者では無かったんですか?」
「さっきも言っただろう、私は融和主義者だよ。」
「戦争を望むわけではないが…
かといって、あっさり兵力を放棄するほど愚かではない。
ただ、譲歩と会議によって戦争を回避しようとしているだけだ。
平和主義者なら、今頃トラストにチェコ人はいないだろう。」
「…ネヴィル・チェンバレンを知っているか?」
「融和政策で有名なイギリスの首領ですか?」
「そうだ。彼についてこんな意見がある。
…「彼は宥和政策で稼いだ時間を、軍備増強のために最大限有効活用した。
この事がなければ、イギリスは史実よりさらに不十分な軍備のまま開戦し、
史実よりもさらに苦境に追い込まれていただろう」」
「つまり?」
「戦争はできる限り避けるが、いざ始まったら徹底抗戦する。
徹底的に戦い、そして勝利する。 簡単に白旗を上げる気は微塵もない。
…実を言うと、トラストの占領政策は思うよりうまくいっていない。
現地人との溝はまだ解消できてなく… きっと、そのうちまた熱くなる。
備えなさい。始まってからでは遅過ぎる。」
「もう一度言うがね…私は融和主義者だ。
戦争を望むわけではないが、
かといって兵力を放棄するほど愚かではない。」
そう言うと、首相は軍の再編を許可する書類にサインをした。
それを見届けると、深々と礼をして自分の職場へと戻るためドアを開ける。
外へ出ると、気温は少し暑かった。
冷戦は終わったが、戦争が終わったわけではない。また夏が来る。
備えよ。 再び過熱し始めるその前に。
トラストのどっかで起こそうと思っている紛争まがいの暴動と、
夏あたりに行おうと思っている軍拡計画をするための口実。
宥和政策って結局何なんでしょうか。
これ、タルコフみたいな代理戦争起きるじゃね?
ウィリアム・ブランチャード「それなら俺が再びトラストを石器時代に戻してやる」