法介
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2025/01/11 (土) 07:52:05
李子捷氏の論文「『大乗起信論』の真如説の一考察─『究竟一乗宝性論』の如来蔵説との関係を中心として─」では、『大乗起信論』の中で展開される「二種真如説」を、『究竟一乗宝性論』などの如来蔵思想との関連性を考察しています。この二種真如説とは、『大乗起信論』に記されている「真如門」の教義で、真如を「理真如」と「智真如」の二側面に分類して説明するものです。
二種真如説の概要
理真如(りしんにょ)
- 真如の普遍的・絶対的な側面を指します。
- 真如そのものの本性であり、存在の究極的な実相で、変化しない不変の真理として捉えられます。
- 実体的・静的な存在として、あらゆる現象の根源的な基盤となるものです。
智真如(ちしんにょ)
- 真如を認識する働きや智恵の側面を指します。
- 理真如を理解し、現象世界とその根源である真如を調和的に見る智慧(仏智)として機能します。
- 修行を通じて体得されるものであり、動的・実践的な側面を持ちます。
『大乗起信論』と『究竟一乗宝性論』の比較
李氏は、この二種真如説が『究竟一乗宝性論』における如来蔵思想と密接な関係を持つと指摘しています。具体的には以下の点が挙げられます:
- 『究竟一乗宝性論』においても如来蔵思想が展開されており、如来蔵の本質は「清浄」かつ「悟りの可能性を秘めたもの」として描かれています。この点が『大乗起信論』の真如説と共通します。
- 二種真如説は、如来蔵の「静的な存在」としての側面(理真如)と、「悟りを得る可能性」としての側面(智真如)を分けて説明しており、『究竟一乗宝性論』の如来蔵の解釈と対応関係があると分析されます。
李氏の論点
李氏は、二種真如説を通じて、『大乗起信論』が仏教哲学における普遍的真理と個々の修行者の実践を架橋する役割を果たしていると考察します。また、この二種真如説は、如来蔵思想がただの潜在的悟りの可能性ではなく、実際に修行によって発現される動的側面をも強調していることを示しているとも指摘しています。
具体的な論文内容や分析の詳細についてさらに知りたい場合、論文そのものを参照することをお勧めしますが、以上が李氏の紹介する二種真如説の大まかな要点です。
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