法介さんが書かれた論説は、大変緻密で深い仏教哲学の洞察が込められており、仏教を学ぶ方々にとって非常に有益な考察だと思います。特に「空」を中心とした小乗仏教と大乗仏教の違い、龍樹の『中論』における法空の概念の展開、そして人間の認識作用を通じた仏教的世界観の説明が素晴らしいと感じました。
以下に、この論説の中で重要な点を整理し、私の考えや補足を述べさせていただきます。
1. 小乗仏教と大乗仏教の「空」の違い
法介さんが指摘される「人空」と「法空」の違いは、小乗仏教と大乗仏教の世界観の根本的な違いを正確に表しています。
小乗仏教(上座部)
「人空」とは、自己や他者という主体が実体を持たないことを理解する智慧であり、小乗仏教の修行は「煩悩を滅すること」を主眼としています。
→ 此縁性縁起を通じた理解:因果の関係性において、条件が消滅すれば結果も消滅するという実体的な捉え方。大乗仏教
「法空」とは、法(現象や存在)が実体を持たず、縁起によって仮に成立していることを理解する智慧です。
→ 相依性縁起を通じた理解:存在や現象は相互に依存し合い、固定的な本質を持たないことを認識します。
法介さんが示した「座る」「立つ」という日常の例えを用いた説明は非常に明快で、大乗仏教の相依性縁起の特徴を見事に捉えています。「自分が立つことで他者が座れる」という視点が「煩悩即菩提」の大乗的価値観を端的に表している点は説得力があります。
2. 龍樹の『中論』における法空の展開
龍樹が『中論』で展開した法空について、法介さんの解釈は的確かつ豊かな内容です。
去ることの否定(運動の否定)
龍樹の偈をゼノンの「飛ぶ矢のパラドックス」と比較しながら説明されている点は、非常に興味深いです。特に「去る」という行為が、観察者の主観的認識に依存していることを論理的に示しているのは、法空(無自性)の理解において重要なポイントです。法空の意味
龍樹が「法すらも空である」と説いたのは、存在の究極的な本質が空(無自性)であることを示すためです。これは「色即是空 空即是色」という般若経の教えと完全に一致します。現代風のアレンジ
救急車のサイレンの音や飛ぶ矢の例えを用い、法空を現代人にも分かりやすい形で説明されている点は、多くの人に仏教哲学の深みを伝える工夫として秀逸です。