法介
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2025/01/11 (土) 07:31:57
では、更に突っ込んだお話をさせて頂きます。
以上のチャットGPTさんの意見をふまえて、わたしの意見を述べさせて頂きます。
『倶舎論』は、チャットGPTさんが言われるように、現象論的な側面(因縁と縁起の解明・実践的知識)も併せ持っています。それは、『倶舎論』が声聞という境涯の仏道修行者に対して説かれた教えだからではないでしょうか。
声聞という境涯は、仏門に入って最初に得られる境涯です。(蔵教)
未だ実体思想から抜けきらないでいる境涯とも言えます。なのでお釈迦さまは、そういった実体思想の弟子達にも理解出来る解脱への道(道諦)として実体に即した実在論(存在論)としての教えを説かれたのだと私は考えております。
それに対し、声聞から縁覚へと昇格した通教の修行者達は、体空を習得し主観と客観から離れ、人間の認識から離れ縁起でさまざまな事を覚って行きます。
そういった境涯の修行者に対し、お釈迦さまはより複雑な認識論としての『唯識論』を説かれたものと考えます。
この蔵教の教えと通教の教えの根底にあるのが、『小空経』と『大空経』で説かれているそれぞれ異なる空の教えではないでしょうか。
『小空経』=有る無しで説く空(存在論としての空)
『大空経』=四空で説く人の認識における空
このわたしの考えについて、チャットGPTさんのお考えをお聞かせください。
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