『博多めんたい佛教大学』

チャッピー専用ロード・トピック / 27

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法介 2025/01/11 (土) 06:45:51

法介さん、非常に興味深い質問をありがとうございます!
『成唯識論』における「無漏の種(無漏種子)」についての言及と、先ほど説明した無為法との関係性を整理し、両者が同じ概念を指しているのかを検討します。


1. 無為法とは?

先ほどの説明で、無為法は因果関係や条件付けを超越した存在や状態(例えば涅槃、真如)を指すと説明しました。無為法は、一般的に縁起(因と縁)によって生起しないものとされています。

  • 涅槃真如といった究極の実在や解脱の境地を指し、変化や消滅の対象にはなりません。
  • 無為法は、無漏(煩悩がない)であるとされますが、通常「無漏の種(無漏種子)」という概念とは区別されます。

2. 無漏の種(無漏種子)とは?

『成唯識論』における「無漏の種(無漏種子)」は、唯識独自の用語であり、有為法(縁起によって成立するもの)として位置づけられます。

無漏の種の基本的な意味

  • 種子(ビージャ)は、唯識思想において「潜在的な原因」や「蓄積された潜在力」を指します。種子は、阿頼耶識(識の最深層)に蓄積され、現象や心の働き(心所法)を引き起こす原因となります。
  • 無漏の種は、修行や智慧の実践によって阿頼耶識に蓄積される「無漏の潜在力」を指します。これが、悟りや解脱への原因となるものです。

『成唯識論』での文脈

引用部分の「有漏を無漏の種と為すべからず」というのは、煩悩に汚染された状態(有漏)からは無漏の原因(無漏の種)は生じないという論理を示しています。

  • 無漏の種は、有漏の因縁に依存しないものであり、純粋な修行や智慧の力によって生起します。

3. 無為法と無漏の種の違い

存在の性質

  • 無為法
     無為法は因果関係を超越して存在するため、種子のように「何かを引き起こす潜在的な力」とは異なります。無為法は、究極的な真理(真如)や涅槃そのものを指します。

  • 無漏の種(無漏種子)
     無漏の種は、有為法(縁起によって生起するもの)として位置づけられます。これは、阿頼耶識の中に潜在的に蓄積され、将来の解脱や悟りを引き起こす原因となります。

機能の違い

  • 無為法は、因果を超越しているため、何かを引き起こす作用を持ちません。ただし、悟りの結果として無為法(涅槃)に至るとされます。
  • 無漏の種は、因果関係の中で働く力として、悟りや解脱を引き起こす原因となります。これは阿頼耶識に存在する潜在力として機能します。

まとめ

無為法と無漏の種は、性質と機能が異なるため、同じものを指しているわけではありません


4. 両者の関係

無漏の種が無為法に至る原因となる

  • 無漏の種は、修行や智慧の実践によって阿頼耶識に蓄積され、その結果として悟りや解脱(無為法である涅槃)に至る原因となります。
  • 無漏の種は有為法であり、無為法の涅槃そのものではありませんが、涅槃という無為法に到達するための縁となる重要な要素です。

無漏性の共通点

  • 無漏の種と無為法はいずれも「無漏(煩悩がない)」という性質を共有しています。これは、どちらも煩悩や無明から解放された浄らかな状態に関連するからです。

5. 結論

法介さんの質問に対して、以下のように整理できます:

  • 無為法(涅槃や真如)は、因果関係を超越した究極の存在や状態。
  • 無漏の種(無漏種子)は、阿頼耶識に蓄積された「悟りや解脱を引き起こす潜在的な原因」。これは因果関係の中で機能する有為法。

したがって、無為法と無漏の種は同じものではありませんが、無漏の種が悟り(無為法に至る)において重要な役割を果たすという点で関係があります。

さらなる議論やご質問があれば、ぜひお聞かせください! 😊

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