今まで書いてきたことが、俺の人間は誰に対しても礼節をもって対応しなければいけない、に基づいた歴史観だが、俺も例えば天皇制を否定するわけではないし、例えばインド哲学には無視できない深い知恵があるかもしれないとかはそうだ。文明の産物を全部否定するわけではない。しかし武士などその存在などの必然性を批判的に考えてる階級はあるし、やはり歴史上も今も基本的に人間は欲というのはそうじゃないだろうか。上の人間も。それその行動必然性あるか。社会経済に問題ないか。そんな見地からの本物の歴史が広まることやその批判、現代社会の社会経済批判が世界に広がることを望む。人間誰しも威張りたいし、うまいものが食いたいし、いいものが着たいし、いい家に住みたいし、いい車に乗りたいとかだが、そのための百姓や機織りや大工や油まみれの機械仕事や勉強や道路工事の土方なんかはしたくないのだ。それでどうしたかどうなったかが社会を歴史を見るポイントだ。社会か。その社会の変化が歴史だ。資本主義の経済学で考えてもこれらは違うのかな。以下が資本主義の経済学で考えても、いつの時代も経済ができる経済を作る方法。経済のできかた作り方が分かれば歴史が分かる。産業革命のグローバリゼーションは遠距離間の移動運輸の手段を人類にもたらすことによってより大きなビジネスチャンス経済的利便性メリットも生んだろう。生産力の向上だけじゃなく。日本が自分の国であまり出ない鉄や石油やらを自国に運びこめることで豊かなように。俺も人の悪口ばかり言ってるようだが、貧しい人は卑しいとか下々の皆さんとかいうような悪口はよくて、いくら生まれがよくても数学のできん人間はおつむが粗雑というような悪口は悪いんだろうか。経済は貨幣的現象で歴史上も今も貨幣はある程度以上発達した社会を成立させるためには不可欠だが、カネ貨幣はそれによって買うことのできる商品やサービスあっての貨幣だ。その買われる商品やサービスをどうやって供給するか生産するかそのために必要なことものはなにかに着目して経済を見る。海外から運び込むも含めて。そのためにどのような行動を取ったか。歴史上の経済も。あるいはカネなしでそんなサービスやものを手に入れた方法も、歴史上。たいていの人間は飲んで食べて着て寝て排泄しないと生きていけない。そのために必要なものを買ったんでなければどうやって手に入れたか、歴史上も今も。そんなふうに歴史上の人間も今の人間もどうやって生活を経済を成り立たせてるか。成り立たせてたか。以下でカネ貨幣をもとに歴史を見る。経済は貨幣的現象だ。貨幣経済によってより効率的な経済が成り立つ。ある程度以上発達した社会を成立させるためには貨幣は不可欠だ。貴金属はそれ自体価値があるからそのままカネ貨幣になれる。紙切れや金属片をカネに変える方法。以下が僕のその理論の資本主義経済モデルの骨子。 資本主義経済の経済主体は中央銀行、金融機関、企業、家計と政府 だから以下のモデルで資本主義経済システムの基本的にすべてをカバーするはずだ。 例えば、君が、保険にはいった、銀行におカネを預けた、 また、銀行が、中央銀行からおカネを借りた、あるいは、 株式を買った。カネの力は、この時生まれる。金融機関や企業は、 それを運用するなり、企業活動をするなりして、利子の付いた借り入れたカネ以上の その時の利子率以上のメリットを稼ぎ出さなければならない。 そのカネによって、労働が、買われ、企業活動が始まり、 その生み出す、財、サービスを買うことによって、僕らは、生きている。 資本主義というシステムは,借りたカネは返すで成り立っている。 中央銀行から出たカネは,銀行にいき,それは,中央銀行に返さねばならず, 銀行から出たカネは,企業に行き,それは,銀行に返さねばならず,株式は, 返さなくていいが,その価格の他の投資物件に張り合えるだけのメリットを 保有者にもたらし続けられなければ,株価は下がり,それがひどいと, 会社はつぶれてしまう。企業に入り込んだカネは,従業員の給料に消えるが, その従業員の労働によって 生み出した財,サービスを消費することによって,僕らは生きている。 それからもたらされる売り上げ,収益によって企業は銀行に借りたカネを 返し,株主にメリットをもたらさなければならない。従業員たちは, 先に書いたように,カネがなくならないうちに, おカネをかせがなければならない。以上,資本主義というシステムは, 借りたカネは返す,で成り立っていることが分かってもらえたと思う。借りたカネを返さないならカネを貸す人間はいなくなり経済は破綻する。 2回連続ごはんを忘れることのできる人間は少ない。そして, 今では地球上どこへ行っても,おカネがないということは, そういう事態を招きやすい。 僕らが労働、起業などでおカネを得て{この労働によっ て生み出された財、サービスを消費することによって僕らは生きている。これによって社会を成立させる経済は成立する。 資本主義経済といっても何もせずに財サービスが湧いて出るわけではない。} スーパーなどに行ったとする。そこに例えば1リットル100円の ミルクコーヒーがあったとする。君がそれをレジに持っていけば商談成立 だ。カネの力はこの時生まれる。君はシステムを100円分 動かしたことになる。また、レジに持っていった時、たいていの人は それで生活が破綻しないと考えてそうする。 これに加えて掲示板「古川浩一阪大卒の掲示板」のスレッドのどこかに 書いたカネというのは使えばなくなるからこそ、力を持つ、というのも 考えにいれて。 財政、税、金利については、この場では触れられてない。 カネはもうかるほうにながれ、 もうからないほうからは、退いていくことによって、 資本主義経済では、より効率的な財、サービスの供給がなされることを、 加える。 それと、同時に労働者の権利は守られなければならない。 この経済モデルを財務諸表を使って組み立てるとより正確になる。繰り返すが、以下と貴金属はそれ自体価値があるから、ほぼそのまま貨幣になれると、僕の紙切れや金属片をカネにする方法で歴史や世界を考える僕の資本主義の経済モデルは基本的に完成だと思う。資本主義の経済学で考えても経済が社会の構造を作るのに大きく深く影響を与えてるのは以下の記述で明らかだと思う。マルクスの歴史観と同じように。そこで歴史観を作る正義の一つとして、基本的に人権代表なくして課税なし、税は出せ、口は出すな、代表は出すな、税金の私的流用税金泥棒はおかしい、というのが出てくる。それから来る歴史観も。前に平安貴族に憧れて、平安時代に生まれたかったとか言う人間を批判した時に使った要領で経済から社会を考えることができる。逆算できる。どこもいつの時代もたいていの人間は飲んで食べて着て寝て排泄しないと生きていけないし、性交渉もしないと人口の再生産ができないので、ある社会の構成員を資本主義の経済学でいいから経済で追っていくことができる。平安時代だと総人口の1%の平安貴族の高級有閑生活を支えるため彼ら彼女らに食わして着せて身の回りの世話をし、住むところを作るのに総人口の5%くらいの人間の仕事が必要だ。社会全体全人間が食わなきゃいけないので残りの94%がそのための百姓やらの食料など生活必需品生産要員。例としてのざっとの計算だが。子供は勘定に入れてないが。そんなふうに資本主義の経済学でいいから経済で社会の全体像が追える。いつの時代も現代でも。彼ら彼女らの生活がどんなふうかもその時代の経済的限界やらからある程度の推察はできる。こんなふうに資本主義の経済学でもマルクスみたいに社会は想像できる。そんな考え方からすべての歴史は階級闘争の歴史であるというのを解決するためにアメリカ式資本主義、機会の平等だ。人権を軸にした正しい歴史観のためにも。人権の軸になる代表なくして課税なし。税は出せ、口は出すな、代表は出すなというのは基本的におかしい、の考え方から。税金泥棒税金の無駄使いやら帝国主義など搾取で美しくなった人間。資本主義の経済学で考えたらこれらは違うのかな。たいていの人間は飲んで食べて着て寝て排泄しないと生きていけない。そのためその人間の持ってるあるいは消費したものは自分で作ったかもらったか買ったか採集したものだ。経済成長は戦争をしなくてもできた。日本の戦前の戦争は誰のためのなんの必要からの誰が望んだ戦争だったのか。殿や姫が高貴で美しいのは、彼ら彼女らが最高のものを食い、最高のものを着、最高の住まいに住んだからだ、家事もせずに。そのうえ和歌の恋の贈答とかの優雅な生活を送ったからだ。そんな生活を成り立たすため、百姓から取りあげた米やらを下男やはしために料理させ機を織らせ服を作らせ家を建てさせ身の回りの世話をさせた。それによって殿や姫は高貴に美しくなり、百姓や下男や端女は労働と生活の苦しさから醜くなった。歴史上の社会経済ってそんなもんだ。搾取によって美しくなった人間が搾取されたことによって醜くなった人間を馬鹿にする。家電製品の発達もそういう社会を変えた。ジェントルマンやレディと執事やメイドも同じだ。転生して騎士になる、か。メイド喫茶か。愚かだ。我々はそんな歴史と伝統を守るため、これからも殿や姫やジェントルマンの子孫に同じような生活、身分を保証しなければいけないんだろうか、未来永劫。歴史観か。本物の歴史か。。。
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