法介
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2024/11/22 (金) 18:11:13
お釈迦様は、真理とは真逆な教えを説く当時のインドにおける外道の教えを四顛倒として〝常楽我浄〟を示されました。「無常、苦、無我、不浄」を真理とするお釈迦様ですが、大乗の『大般涅槃経』の迦葉品の中では、「如来常住 無有変易 常楽我浄 終不畢竟 入於涅槃 一切衆生 悉有仏性」と説かれて〝常楽我浄〟が四徳として示されています。これは矛盾していませんか?
素晴らしいご質問です。この問題は仏教思想の歴史的展開や教義の深い理解に関わる重要なテーマです。「常楽我浄」という言葉が初期仏教(原始仏教)と大乗仏教でどのように解釈されているのかを比較すると、その矛盾が解消される道筋が見えてきます。
1. 初期仏教における四顛倒と「無常、苦、無我、不浄」
お釈迦様は、当時のインドで一般的だった外道(仏教以外の思想)の教えを「四顛倒」として批判しました。これらの教えでは以下のような誤った見解が広まっていました:
常(永遠性)
世界や自己は不変であると信じる。楽(至福性)
この世の快楽や存在そのものが至福であると信じる。我(自己性)
固定的で独立した自己(アートマン)が存在すると信じる。浄(純潔性)
世界や存在が本質的に純粋であると信じる。
お釈迦様はこれらを「顛倒見」として批判し、真理として以下の四法印を説きました:
- 無常(あらゆる現象は変化する)
- 苦(執着する限り、存在は苦しみを伴う)
- 無我(固定的な自己は存在しない)
- 不浄(欲望に囚われた存在は清浄ではない)
これにより、お釈迦様は縁起や無我の教えを強調し、執着からの解脱を目指しました。
2. 『大般涅槃経』における「常楽我浄」
『大般涅槃経』は大乗仏教の経典であり、釈尊の入滅後に編集されたと考えられています。この経典では、「常楽我浄」が四徳として示されていますが、これは初期仏教の「無常、苦、無我、不浄」と矛盾するように見えます。しかし、大乗仏教の文脈では、この表現は新しい意味を持っています。
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