仏の認識というのは、『般若心経』で「色即是空 空即是色」として説かれているのですが、その言葉の意味するところを更に掘り下げて理論的に明らかにしたのが無著・世親兄弟が大成した『唯識』です。
この『唯識』は、龍樹が先行して解き明かした空の理論である『中論』を前提として発展展開された法理です。龍樹が解き明かした我空(析空と体空を合わせた二空、人空とも言う)で仏の空観に入ることで人間の主観と客観による第六意識での認識から離れ、阿頼耶識を対象として起こる縁起で対象を捉えます。
唯識ではそれを三つの心(識)の性分として説きます。
① 人間の心は、遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)。これは人の主観と客観とによって仮設された存在形態です。
② 仏の心は、依他起性(えたきしょう)。客観と主観を析空と体空の二空で機能停止させ、意識を第七末那識に持っていく事で対象を阿頼耶識を中心にすえた縁起で捉えます。縁起という他に依存しながら存在する形態です。
③ 覚りの心は、円成実性(えんじょうじつしょう)。捉え方が変わる事で対象の真実の姿が顕れてきます。唯識ではこれを「完成された存在形態」と言います。
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