知的探求ラボ

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ナチュラル 2024/10/28 (月) 23:25:40

>> 4
@ぱぴ子:10/22(火) 午後10時39分

驚かないで聞いてくださいよ。シュタイン君、変なものが憑いてるかもしれません。落ちついて聞いて下さいね。

今話題に上がっている二つの言葉を考えてみましょう。

【多義的】
多様な解釈の余地がある曖昧な性質。多くの意味にとれる様。

【客観的】
主観から独立していて、事実や数字など誰もが等しく認知可能な絶対的、普遍的な性質。

これらは相反する性質です。つまり「多義的」である以上「客観的」はありえないのです。

これを踏まえて次は数学の授業を思い出してください。習いましたね?命題が真であればその対偶も必ず真になります。

 
P→客観的
Q→誰もが等しく認知可能

としましょう。

P⇒Qが真
であれば
¬ Q⇒¬Pも真
となります。

つまり

「誰もが等しく認知可能でないならば、客観的ではない」

これは「真」です。

さて、ここでもまた君の自己紹介を思い出してみましょう。以下のように言っています。

「聞く人次第でどう捉えられるかが変わるような、多義的で尖った意見を表明するのが私のスタイルです」

そうなんです。君は最初から自分で言ってるんですよ。

「自分の意見は客観的ではない」

と。ね?おかしいでしょう?

@ぱぴ子:10/22(火) 午後10時39分

つまり、シュタイン君が度々呟いていた

「自分が主観と客観の微妙な境界線上で踊っている…」
「私の意見は主観と客観の双方の性質を兼ね備えている…」
「客観性の枠組みを超えるかどうかのチキンレースをしている…」

↑これ全部オカルトなんです。
踊っているのではなく、踊らされていたのかもしれませんね。シュタイン君、見えないはずのものを見てるんですよ。何やら言動もずっとヘンテコだし、一回視てもらった方がいいかもしれませんね。

ヘンテコと言えばシュタイン君の出した例えの話です。

「肌の黒い人物を街で見かけ、80%の日本人が黒人だと認識した」という状況を考えれば、彼らの認識が客観性の土台になります。

これも残念ながら誤りです。

客観性は「事実」多義性は「曖昧」です。双方の概念を過不足なく例えるなら以下のようなります。

客観性

黒い日本人が「私は黒いですが日本人です」というフリップを持って歩いてる状態。

多義性

黒い日本人がデカいラジカセを肩に担いでヒップホップかなんかをかけながら歩いている状態。

つまり見る人によって黒人なのか日本人なのか答えが割れる時点で、もうそれは客観的ではないんですよ。

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