今もこの掲示板で活動してる?
『小説』や『漫画』より 結局は映像の方が優れてるってわけよ。
『テレビ』や『ドラマ』や『映画』は他人と共有することが出来るが、 『小説やら漫画やら新聞やら』は他人と共有出来ない ただひたすら黙々と読むことしか出来ない存在よの
霧雨のスレッドはわりと面白いモノが多い。詠み人知らずがいるからってのもあるけど、霧雨も喧嘩王に近いレベルでやり取り出来てるよね。
試験運用を兼ねて相手を募集してみるぞ!
『喧嘩・論争の期間は1日(24時間)』 『反論期限は1日(24時間以内)』 それに加えて文字数制限を導入するぞ! 『1~50字以内に納めてくれ』
以上だ!
しばらくSMS認証を外すことにしました。
俺は文字数を制限することも有用な使い道だと思ってる。 『文字数は1~30字以内でお願いします!』みたいな考え方もあり 対話の面白さってのが喧嘩にはあると思うし、そこの部分を重視する考え方は 今後の『令和喧嘩塾』の肝にしたい部分にも繋がってくる。 それに文字数を制限すれば初心者も参加しやすくなるっていうメリットもある。 こうみると制限の使い道は意外と広いのかもしれない。
鉄足のジョニー
喧嘩界の『ゼロサムゲーム化』 この喧嘩というゲームは『得をする人間』が居れば『損をする人間』が居る。
鉄足のジョニーは 喧嘩は誰かが得をすれば、誰かが損をするゲームだって言ってるわけだ。 これを越える為には何をすれば良いか?ってことだけど
喧嘩に明確なルールを設定する以外にないと思う。 このサイトでは事前に相手を募集して「論争する期間」と「反論する期限」を決めることを推奨している お互いの同意さえあれば「ルール」という枠の中で喧嘩を楽しむことが出来るからだ。 要は無駄な争いを避けられて 純粋に喧嘩を楽しむことが出来るサイトになるってわけ だから このサイトを使うユーザーには『ルールを守らせる』っていうことを徹底していこうと思う。
霧雨の話しに共感する人間は多いはずだ 何故なら無駄は『誰もが省きたいもの』だからだ。
では霧雨の言う引き算喧嘩が無駄を省くものであるならば『足し算喧嘩』とは何だろうか?
俺がぱっと浮かんだものは無駄の反対『有益』だ。
『足し算』は有益なもの 『引き算』は無駄を省く
足し算と引き算の違いは そこに有益なもの付け加えるか無駄なものを省くかの違いにあると思う
URLを入れると読みにくくなるのが欠点だなー どうにかならんかねえ。
霧雨の『引き算喧嘩』話は面白い。
ひよこ餅の置き土産について要がまとめている。
①「喧嘩」は「人を楽しませる創作活動」の一環である。 ②創作活動の邪魔になるもの(頭が悪すぎる読み手や話の流れを汚すような論理的誤謬など)は最初から相手にしない。 ③したがって「ある程度の力量のある読み手」や「いつでも強いと評価されている喧嘩師」に限定して論理的攻防を行う。 ④圧倒的知識量がある。
↑対話する相手を選ぶところから もう既に『引き算喧嘩』が始まってるわけだ。
喧嘩を通して、人間関係や対人スキルといった社会性を身に付けていきます。そのため、喧嘩をタブー視するのでなく、成長の機会と捉え、見守っていきましょう。
↑こういう考え方は参考になるね。
とある引退喧嘩師の落書き
ぜんぜん議論の内容読んでないけど、『空気を読む』っていうワードで幾つか記事を読んでみた。 どうも社会風潮っていう言葉がキーワードになってるみたいだ。
例えば 日本では『女性がメイクをせずに外に出るのは恥ずかしいこと』『フォーマルな場では女性はヒールを履く・男性ならスーツを着るのが当たり前』 空気を読んで恥ずかしくない行動を取るのが 日本では常識だってことだ。
ネットに求められている『承認欲求』は 『喧嘩界隈』の成り立ちに大きく影響を及ぼしていると思う。 古参の喧嘩師は『HKJ』だの『毒殺天国』だの『平成喧嘩塾』だので自分達の界隈に求められている『承認欲求』はどういったモノか?といった疑問に答えを出していったんじゃないか?
この喧嘩界隈に求められている承認欲求とはなにか? 答えを探ると面白くなるかもしれない。
>> 3 集客ね。 確かに人が居なきゃ話しも始まらないもんな。
方針は良いと思うけど、もうちょっと集客しませんか。
とりあえず当面は喧嘩界のQ&Aの様なサイトを目指したい 質問者と回答者が居るイメージだ 例えば「強くなる為にはどうすれば良いですか?」といった質問者に、回答を寄せていくイメージです。
そういう初歩的な質問を出来るサイト 喧嘩初心者でも楽しめるサイトを作っていけると新規も入ってきやすいかもしれない
守りと攻め。 勝利に繋げる為には、どちらを重視すべきか。 あるいはどちらも重視すべきか。
今もこの掲示板で活動してる?
『小説』や『漫画』より
結局は映像の方が優れてるってわけよ。
『テレビ』や『ドラマ』や『映画』は他人と共有することが出来るが、
『小説やら漫画やら新聞やら』は他人と共有出来ない
ただひたすら黙々と読むことしか出来ない存在よの
霧雨のスレッドはわりと面白いモノが多い。詠み人知らずがいるからってのもあるけど、霧雨も喧嘩王に近いレベルでやり取り出来てるよね。
試験運用を兼ねて相手を募集してみるぞ!
『喧嘩・論争の期間は1日(24時間)』
『反論期限は1日(24時間以内)』
それに加えて文字数制限を導入するぞ!
『1~50字以内に納めてくれ』
以上だ!
しばらくSMS認証を外すことにしました。
俺は文字数を制限することも有用な使い道だと思ってる。
『文字数は1~30字以内でお願いします!』みたいな考え方もあり
対話の面白さってのが喧嘩にはあると思うし、そこの部分を重視する考え方は
今後の『令和喧嘩塾』の肝にしたい部分にも繋がってくる。
それに文字数を制限すれば初心者も参加しやすくなるっていうメリットもある。
こうみると制限の使い道は意外と広いのかもしれない。
鉄足のジョニー
喧嘩界の『ゼロサムゲーム化』
この喧嘩というゲームは『得をする人間』が居れば『損をする人間』が居る。
鉄足のジョニーは
喧嘩は誰かが得をすれば、誰かが損をするゲームだって言ってるわけだ。
これを越える為には何をすれば良いか?ってことだけど
喧嘩に明確なルールを設定する以外にないと思う。
このサイトでは事前に相手を募集して「論争する期間」と「反論する期限」を決めることを推奨している
お互いの同意さえあれば「ルール」という枠の中で喧嘩を楽しむことが出来るからだ。
要は無駄な争いを避けられて
純粋に喧嘩を楽しむことが出来るサイトになるってわけ
だから
このサイトを使うユーザーには『ルールを守らせる』っていうことを徹底していこうと思う。
霧雨の話しに共感する人間は多いはずだ
何故なら無駄は『誰もが省きたいもの』だからだ。
では霧雨の言う引き算喧嘩が無駄を省くものであるならば『足し算喧嘩』とは何だろうか?
俺がぱっと浮かんだものは無駄の反対『有益』だ。
『足し算』は有益なもの
『引き算』は無駄を省く
足し算と引き算の違いは
そこに有益なもの付け加えるか無駄なものを省くかの違いにあると思う
URLを入れると読みにくくなるのが欠点だなー
どうにかならんかねえ。
霧雨の『引き算喧嘩』話は面白い。
ひよこ餅の置き土産について要がまとめている。
①「喧嘩」は「人を楽しませる創作活動」の一環である。
②創作活動の邪魔になるもの(頭が悪すぎる読み手や話の流れを汚すような論理的誤謬など)は最初から相手にしない。
③したがって「ある程度の力量のある読み手」や「いつでも強いと評価されている喧嘩師」に限定して論理的攻防を行う。
④圧倒的知識量がある。
↑対話する相手を選ぶところから
もう既に『引き算喧嘩』が始まってるわけだ。
喧嘩を通して、人間関係や対人スキルといった社会性を身に付けていきます。そのため、喧嘩をタブー視するのでなく、成長の機会と捉え、見守っていきましょう。
↑こういう考え方は参考になるね。
とある引退喧嘩師の落書き
ぜんぜん議論の内容読んでないけど、『空気を読む』っていうワードで幾つか記事を読んでみた。
どうも社会風潮っていう言葉がキーワードになってるみたいだ。
例えば
日本では『女性がメイクをせずに外に出るのは恥ずかしいこと』『フォーマルな場では女性はヒールを履く・男性ならスーツを着るのが当たり前』
空気を読んで恥ずかしくない行動を取るのが
日本では常識だってことだ。
ネットに求められている『承認欲求』は
『喧嘩界隈』の成り立ちに大きく影響を及ぼしていると思う。
古参の喧嘩師は『HKJ』だの『毒殺天国』だの『平成喧嘩塾』だので自分達の界隈に求められている『承認欲求』はどういったモノか?といった疑問に答えを出していったんじゃないか?
この喧嘩界隈に求められている承認欲求とはなにか?
答えを探ると面白くなるかもしれない。
>> 3
集客ね。
確かに人が居なきゃ話しも始まらないもんな。
方針は良いと思うけど、もうちょっと集客しませんか。
とりあえず当面は喧嘩界のQ&Aの様なサイトを目指したい
質問者と回答者が居るイメージだ
例えば「強くなる為にはどうすれば良いですか?」といった質問者に、回答を寄せていくイメージです。
そういう初歩的な質問を出来るサイト
喧嘩初心者でも楽しめるサイトを作っていけると新規も入ってきやすいかもしれない
守りと攻め。
勝利に繋げる為には、どちらを重視すべきか。
あるいはどちらも重視すべきか。