みんポケ!

72年前の明日、正午に玉音放送が流れたので

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そん時の心情語ろう

俺は田舎暮らしだったから関係なく川でヤマメ取ってた

てさき
作成: 2017/08/14 (月) 02:30:31
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メガゴルダック◆KyUpmG9.1 2017/08/14 (月) 09:43:10

もう72年前かよ 懐かしい あの時はアメリカで聞いたは

俺は日本陸軍の軍人。最終階級は軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。戦後は大盛堂書店を開き、代表取締役会長を務めた。全日本銃剣道連盟参与、南太平洋慰霊協会理事、大盛堂道場館主。テキサス州名誉市民章授与。

特別銃剣術徽章、特別射撃徽章、剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能を相当に習熟していた。
それと俺が戦いで負った傷をみた軍医は、あまりの傷口の深さと大きさに、もはやこれまでと、舩坂軍曹に自決用の手榴弾を手渡して去ってしまう。
おまえはもう死んでいる、と宣告されたようなものです。「負けるもんかっ!」俺は近くにあった日章旗で足を包帯代わりに縛り、夜通し這って洞窟の陣地に帰り着きます。
着いた時には、死体が這ってきたような姿だったのですが、この俺、並みの体力気力ではありません。翌日には、左足を引き摺りながらでも歩けるまで回復してしまった。

参考文献[ソースを編集]
戦史叢書・第13巻 中部太平洋陸軍作戦(2)ペリリュー・アンガウル・硫黄島(防衛庁防衛研修所戦史部編・朝雲新聞社)
星亮一『アンガウル、ペリリュー戦記―玉砕を生きのびて』(河出書房新社・2008年) - 収容所での弘について記述。